第78話:つながりを持つ者たち
「[ビューティーメモリー]?」
カルベローナが持ってきたクッキーを口に頬張りながら、ミラは彼女の口からさらりと出たその名を反芻する。
カルベローナは、紅茶を口に含み、喉を潤してから言う。
「そう、[ビューティーメモリー]。それが[知恵の遺産]の別名ということは、魔術師ギルド首席の座を欲しいままにしていた貴女ならご存知でしょう?」
あいも変わらず回りくどい言い方をするカルベローナであったが、ミラはさして気にも止めずに答える。
「そりゃね。けど、そっちの名前で呼ぶ人はいないよ。何がビューティーなのかとか全然わからないじゃん?」
いわゆる、眉唾の宝物というやつである。
ビアレスの埋蔵金だとか、ザカールが隠した邪法だとか、様々な考察がなされているが、どれも確証はない。
だが一応つい最近、ザカールの目的にそれがあるらしいことから後者の説はなくなったらしいが。
だが結局の所、百、二百ある説の内一つ二つが消えただけだ。
それらしきもの、あるいは手がかりは何一つつかめていない。
あるかどうかもわからない。
だが、信じている者も少なくは無い。
例えば、[グランイット帝国]の流通を牛耳るマクスウェル商会。
そして、建前上ではあるが、[ハイドラ戦隊]もそうだ。
最も後者に関しては、メリアドールが隊の再建理由に最もそうな建前を手当たりしだいに詰め込んだ結果にすぎないのだが。
だが、前者に関しては――。
ミラは思う。
[ビューティーメモリー]。美しい、記憶。[知恵の遺産]。なぜ美しい記憶が、知恵の遺産の別名なのだろう。
なぜ、[知識]の遺産では無く[知恵]の遺産なのか。
[賢王の遺産]は美しく、それが[知恵]の何たるかのメモリーなのか?
意味がわからない。
国の流通を牛耳るほどのマクスウェル商会ですら、手がかりすらつかめていない。
本当に存在していないものを、ただ闇雲に追い求めているだけなのだろうか。
カルベローナが言う。
「[遺産]は、全ての人々に無限の富をもたらし、世界の神秘を解き明かすものである。いつの頃からか噂が囁かれて、追い求め――[冒険者ギルド]だって、元々は[遺産]を探すために作られたって――」
「ん、知ってる。ビアレス王が作った[魔術師ギルド]と[冒険者ギルド]は元々一つだった。けど、グランイット女王が、それを分けて、[魔術師ギルド]を魔法使い向けの学校施設に変えて――」
「座学も優秀だったのねぇ、ほんと。嫌味なくらい」
「えー、カルベローナほど嫌味じゃないと思うけどなー」
「はいはい。――次何食べる?」
「クッキー美味しかった。んー、じゃあ豆大福」
「んふ、渋い趣味ね」
「えー、美味しいじゃん? カルベローナは嫌い?」
「まさか。――そう言えばうちではあまり出してなかったわね」
「んー、基本お菓子は全部好きだし」
「[G]の血筋かしらね?」
「それ関係ある?」
「あら、[G]の子たちはみんな好きよ? 小豆とか、お餅とか。元々〝次元融合〟の向こう側のお菓子っていうし、味覚が合うのかしら」
「ふーん。……で、なんで[遺産]?」
ミラベルは、カルベローナの付呪付きの魔道具、[ヨバクリのかばん]から取り出された豆大福を口いっぱいに頬張りながら問う。
カルベローナは、
「お下品」
と呆れてから言った。
「ザカールの襲撃があってからね、[遺産]の捜索の話が持ち上がりはじめたの」
「は? なんで?……ザカールよりも先に見つける、とかそういうこと?」
「……それもあるわ。けれどね、これだけの被害がでて――不幸なことがあると、みんな何かに縋りたがるのよ……。つらくて、悲しくてね――。夢みたいな理想を、追い求めたくなるの」
ミラは、何も言えなくなる。
ここからでも、[帝都]の爆心地は見渡せる。
白亜の綺羅びやかな街並みの端に、巨大なクレーターが見える。
すでにこの爆心地での救助作業は終わり瓦礫は撤去されはしたものの、行方不明者が多く埋め立て作業にまでは至っていない。
あの中心に、リディルと、[翼]の彼がいたのだ。
ドリオ・マリーエイジという人がいたのだ。
パーティで一度会っただけなので、そこまで思い入れがあるわけではない。
だが、不思議な印象を持ったのを覚えている。
最初は、何だか怖そうなイメージを感じた。
少し距離を置かれているような、あるいは値踏みをされているような――。
だが、初めてのパーティで緊張し、頭が真っ白になっていたミラベルは不要なことをいっぱい言ってしまったような気もしていた。
カルベローナに色々と一夜漬けされたというのもある。
だがそもそも、ミラは冒険者なのだから、マリーエイジ家への印象は良いのだ。
ミラが嫌いな貴族に対しても割と強気で物を言ってくれているのも評価はプラスだ。
[冒険者ギルド]の組合は即ち[戦士ギルド]であり、支給される多くの装備や道具類も、もとを辿ればマリーエイジ家に繋がる。
他の冒険者仲間の中にだって、マリーエイジ家を悪く言う者は滅多にいないのだ。
[冒険者ギルド]の人たちには計り知れないほどお世話になったのだし、ここでお礼をいっぱい言って[城塞都市]のギルドの人たちに恩返しがしたいという思いもあったのだろうと今になって思う。
だから、とにかくミラベルは、頭が真っ白になりながらも、冒険者で名前は聞いてましたとか、みんな凄く尊敬していましたとか、保険で助かったことがありましたとか、たくさん助けてもらいましたとか、ありがとうございますとか、おかげで無事に暮らせるようになりましたとか、混乱した頭で色々とまくし立ててしまったような気がする。
あの時、彼がどんな表情をしていたのかはわからない。
呆れられたのかも知れないし、この体たらくでは政敵にはなりえないと見なされたのかもしれない。
ドリオはややあって、ミラベルの肩に優しく触れ、少しばかり力を込め、背を向け去っていった。
結局、何を伝えたかったのかわからず終いだ。
寡黙な人なのだろうと勝手に思ったが、親戚のケルヴィン曰く別にそういうわけでも無いらしい。
だが、彼の行動の意味も意図も、もうわからないだろう。
二度と会えないのだから。
もっと、良く話を聞いておけば良かった。
行動の、意味を、わかるようになりたいと、そう思った。
そして、気づく。
「カル……どうしたの?」
カルベローナの目元が、腫れてる。
彼女は顔を背け、言った。
「本来なら、みんな途中で……この嘘みたいに悲しいできごとが、現実なんだってわかって……押しつぶされそうになりながら、生きていく。無理やり前を向いてね。――だけど、今になってその夢みたいな理想を、煽り立てる連中が出てきた」
「カル――」
ミラは思わず、カルベローナの目元に触れようとして躊躇い、そのまま彼女の頬に指先を振れる。
カルベローナがミラをまっすぐに見、言った。
「ボーン商会が、捜索隊を新たに組んで[遺産]を探すって息巻いてる。[G]の血統が、その鍵になるだなんて根拠のない嘘を織り交ぜて――」
「泣いたの……?」
一瞬、カルベローナが息を呑み、顔をそらし目元を覆った。
「わたくしの話聞いてた?――貴女、利用されるかもしれないってことを……」
「でも、カルが泣いてるの、わたし、嫌だ。……どうしたの? 何か、あったの……?」
カルベローナは、ぽつぽつと語りだす。
いつも一緒にいた生真面目なエミリー・ジロットの家族が殺されたこと。
そして、その全員の遺体が、どこかしら欠損し行方がわからないことを。
現状は、ザカール一派の仕業であると見なされているが――。
カルベローナが真面目な顔で言う。
「父も、ゲイルムンド卿も、犯人は別にいると考えているわ。……だから、不安なのよ。ジロット家は、[ギネス家]の中でも一番の末席。だけどねミラベル。貴女も、そうなのよ……?」
「それは、わかる。わかってる。でも、だったら……カルベローナは――」
違う。ミラは、喉元まで出かかった言葉を飲み込む。
カルベローナは、それでも――ミラのために来てくれたのだ。
それを非難する権利なんて、ミラには無い。
事実、ミラは不安だったのだ。
このままずっと一人で閉じ込められたままなんじゃないかと。
誰も、来てくれないんじゃないかと。
だけど、カルベローナは来てくれた。
……ミラのために、来てしまったのだ。
カルベローナは黙りこくり、俯いた。
「エミリーは今、父の北鷹騎士団と、最近再編成された八天騎士団が警護に当たってる。どちらも、強くて信頼できる隊よ。――わたくしよりも、ずっと……」
それが、カルベローナの負い目なのだろう。
彼女は……ミラから見ても、弱い。
基礎はとても良くできている。
魔法に関しても、試験でならかなり上位まで行けるだろう。
そこは自信を持っていい。
だが、実戦と試験は違う。
カルベローナは、頭でっかちなのだ。
実戦において応用力と想像力が欠如しているのだ。
それは、致命的な問題である。
魔法は、自由だ。故にその二つの欠如はすなわち弱さそのものである。
剣を振るいながら、無詠唱で相手の足元の大地で土の槍を作り、背後から氷の雨を降らせるようなことは実戦では平気で行われる。
その全てに対応しなければならないのだ。
それはつまるところ、魔法に対しての知識不足でもある。
故に剣と魔法双方の高い練度が要求される魔法剣士を極めるのは、大変な道のりなのだ。
――無論、ミラはそちらでも首席を取ったが。
しかし、腕が錆びついているのも事実だ。
「ねえ、カル」
おもむろに、ミラは言った。
「〝次元魔法〟、使ってみたくない?」
戦いとは、先手必勝である。
そして選択肢をどれだけ持つかである。
熟練者と戦う場合は、最悪全ての魔法を使えなくとも、全ての魔法に対しての対策はできるようにしなくてはならない。
が、その中でも特別なのが、〝次元魔法〟なのだ。
その次元そのものに干渉するそれは、同じ〝次元魔法〟でしか防御することができず、対策とすれば逃げることか避けることである。
だから、大切な友人に少しでもその選択肢を増やしてもらうためにミラは言う。
「一緒に、やろ? カルが思ってるより、〝次元魔法〟って単純だから、絶対にできる」
「え、え……? ミラ、貴女何を……」
と困惑するカルベローナの手を、ミラはぎゅっと握った。
「〝次元魔法〟の初歩、一番簡単な魔法。〝次元伝達〟は、互いに決めた相手――許可をした相手と、次元を通じて見たり、聞いたり、話したりできる魔法」
「そ、それは――知ってはいるけれど……」
「みんなを守りたいカルには、必要な魔法だと思う」
「……それ、皮肉?」
「ううん。……わたし、カルベローナのこと好きだよ」
「…………うん」
「わたし、カルベローナの力になりたい」
そして、二人の魔法が始まった。
※
〝次元伝達〟の練習をはじめてから、一週間が経った。
ミラから見ても、カルベローナは優秀だった。
やるべきことをちゃんとこなし、センスも良い。
そうか、とミラは考える。
自分のできること、理想の自分、そして体の使い方が合致していないのだ。
カルベローナは優秀である。
その優秀さ以上に、リディルという雲の上の存在への憧れと畏怖、罪悪感。そして日々彼女が行う訓練以外に取られる時間の多さが、ごちゃごちゃになって彼女本来の実力から遠いものとさせている。
理想が高すぎるのだ。
だから、アークメイジはたった一つのこと、魔法剣のみに集中させたのだろう。
そのやり方に反してでも、カルベローナに〝次元魔法〟を教えようとしているミラは、エゴそのものであるかも知れない、という自覚はある。
それでも――。
「じゃあ、本格的に行くよ」
「……ん」
ミラが合図すると、カルベローナはぎゅっと目をつむり、胸の中心で淡く透明な光の玉のようなものを作り出す。
ミラはカルベローナの手を握り、集中し、呼吸する。
既に、カルベローナは〝次元伝達〟に必要な魔力の[精霊化]の条件を満たしている。
それを今日は、その状態で次元を超える手助けをするだけだ。
そのために、ミラはより高位な、魔力の[幽体化]を行う必要があった。
ミラは自らの魔力を、ミラの体の薄皮ぴったりになぞらせ、それをミラの輪郭のまま、かすかにずらす。
やがてそれは、ミラの魔力によって彩られ、魔力の皮膜で作られたもう一人のミラの姿を形作った。
[幽体化]で作られたもうひとりのミラが、カルベローナの[精霊化]した魔力を胸の内側に優しくしまい込む。
カルベローナの期待と不安が、魔力を通じて伝わってくる。
今、ミラの見る景色、聞こえる音はミラの[幽体]を通してカルベローナにも伝わっている。
同時に、カルベローナの感情が伝わってしまうのは、彼女の[精霊化]の微かな荒さと、ミラとのつながりの強さが原因だ。
期待と不安、後ろめたさと、罪悪感。
それが今の彼女の心の内か――。
魔力の荒さは追々ミラ側で魔力を補正し、適切な状態にする必要があるだろう。
心の中で、
『飛ぶよ、カルベローナ』
と思いを言葉に変えて飛ばす。
カルベローナは、目を閉じたまま小さく頷いた。
ミラの[次元伝達]は、古い時代の塔の魔法障壁を軽々と飛び越えたのだ。
そして――。
ぐらり、と視界が揺らいだ。
その感覚は、ミラでは予期できないほど自然に、緩やかに訪れ、まるでそうなることが当然かの如く、ミラの[幽体]は次元の壁を越え、[次元伝達]を成功させる。
繋がった先にいたその相手が、歪んだ色の空の下で、ゆっくりと振り返った。
『[古き翼の王]の[司祭]が、再び私の前に現れるか』
強い、繋がり――。
同じ、[古き翼の王]の[司祭]。
ミラと同じく[幽体化]したザカールが、仮面の奥で笑った気がした。




