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第56話:現剣聖

 [盾]に護衛され始めてから、数日が経過した。

 一体自分の身に何が起こるのか、どうして誰も彼もこんな自分を利用したがるのか――。

 それでも、ことを荒立てるわけには行かず、メリアドールら友人の顔に泥を塗らないためにも黒竜は平静を努めようと覚悟を決めていた。


 が、想像以上に何事もの無く、拍子抜けしつつあるのが現状であった。

 [帝都グランイット]の最西端にある、[久遠の塔]と呼ばれる、ある種の封印施設で黒竜は数日を過ごした。

 その際監視に当たったのが、[盾]の団長にして現剣聖のティルフィング・ゲイルムンドなのだ。

 一見堅物で、怖いイメージを感じさせる人であったが、黒竜は友人のアリスの感性を信じた。

 すなわち、あえて無理やり友好的に接してみたのだ。


 最初こそ迷惑そうにしていたティルフィングであったが、時折穏やかな表情を見せるようになったことから、アリスの感じ方は正しいのだと確信した。

 剣聖ティルフィングは、誤解されやすい人なのだ。

 最初こそ、一人娘のリディルの名を出すと、「公務の最中である」と一切の会話をしてくれなかったが、今では彼女の日常や交友関係を話せるくらいには、気を許してくれたようだ。

 そして、黒竜は問う。


「報告はしたけれど――ベルヴィンであって欲しかったと言った人がいた。

 ……その人から、ガラバの名は一度も出なかった」


 それは、エルフの国で、残された思い出の中で出会った、もういない人。

 だが、ティルフィングは言った。


「敵が見せたまやかしだという可能性は残されている」


「それは――そう、なんだけど……」


 そう言われると弱いのだ。

 なにせ、自分にしかわからない謎の記録、謎の世界。証拠が一切無い未知の話など、世迷い言以外の何物でもない。


「先日も言った通りだ。貴方を誰かの依代にするつもりは無い。ただ――」


 彼女は一度言葉を区切り、何かを考えながら、悩みながら言った。


「皆の希望になれるような、何かが欲しいだけよ」


 ――希望。


 それが、[盾]の――少なくともティルフィングという人の願いだった。

 恐怖の伝染。

 それがザカールの戦い方なのだ。

 だから、こちらはその恐怖に打ち勝てる強い象徴が必要なのだ。

 賢王が打ち倒したはずのザカールが蘇った。

 ならば、その対抗馬として、[古き翼の王]の力を手に入れた初代剣聖ガラバという御旗は、願ってもない象徴なのだろう。


「貴方が、ガラバでもベルヴィンでも無いことはわかってる。

 だけど、両方の魂や、何かが貴方の中にいるかもしれない」


「僕の中に、彼らはいるのだろうか」


「……いてくれることを願う。そして、良き人であることも」


 ガラバは――十一番隊は、ビアレスに見殺しにされた。

 故に、復讐を願っている。

 そんな逸話は、確かに残っている。

 だからこそ、剣聖であり十一番隊の副隊長を務めていたガラバが蘇り賢王の血統と共にあってくれれば、そういった望まぬ説の否定にも繋がり、より地盤は安定的なものとなる。

 そして、ティルフィングが言った。


「そうすれば、貴方を[盾]の一員にすることだってできる」


 と。



 ※



 ドリオ・マリーエイジは部下の不手際に苛立ち、マリーエイジ邸の私室で盛大に舌打ちをした。

 それでも怒りは収まらず、かつてリディルという小娘に斬られ、今は鋼の義手となっている右手で、報告書を乱暴に床に叩きつけた。


「使えぬ、マランビジーめ……!」


 呪詛のように呻き、エボニー製のチェアにどかりと腰を下ろしたマリーエイジは考える。

 グランドリオの娘の暗殺に失敗し、ガジットの娘には傷一つ負わせることができず、あまつさえザカールにも逃げられるという失態――。

 [暁の教団]へのスパイとして潜り込ませていたレドラン・マランビジーは昔から使えぬ男であった。

 末端とは言え同じ[M(ミュール)]の名を冠する者、それを今日まで使ってやってきたというのに……。

 ふと、私室の扉がノックされ、


「お父様、いらっしゃいますか」


 と遠慮がちな声が届く。

 マリーエイジは短く思考し、言った。


「入れ」


 すると、扉を開けた娘、アンジェリーナが、


「アンジェリーナ、戻りました」


 と一礼し、視線を落としたまま続ける。


「どのようなご用件でしょうか」


 マリーエイジ家では最高傑作の娘。が、それでもなおゲイルムンドの娘には到底及ばなかった。

 マリーエイジは、ぎり、と奥歯を噛み締め娘をにらみつける。


「五年だ」


 低く唸るが、娘は微動だにせず視線を下に向けたままだ。

 可愛くない娘だ、とマリーエイジは思う。

 最高傑作であるが故にと言うべきか、完璧に育ちすぎた。

 それが余計にマリーエイジの神経を逆立てる。


「お前をメリアドールの元に潜り込ませて、五年も経つ。

 だと言うのに、何をやっている。……時間がかかりすぎている」


 女王の娘とは言え、まだ子供のメリアドール一人懐柔できないという事実は、マリーエイジにとって不愉快である。

 アンジェリーナならば可能だろうとして送り出したというのに――。

 アンジェリーナがそのままの姿勢で言う。


「既に、三番隊から十二番隊までは掌握しています」


「その報告は既に聞いている! 愚か者!」


 マリーエイジは椅子を蹴って立ち上がると、苛立ったままの足取りでつかつかと娘の真正面に立ち、静かに怒鳴る。


「お前の仕事は……娘よ、お前のやるべきことは、メリアドールをその気にさせ、次の女王へと導くことだと言ったはずだ。そうして次の剣聖にお前を指名させ――」


 そのままマリーエイジは義手となった右腕を娘に見せつけ、ギチギチと鳴らす。


「――[ミュール]はようやく、奪われたものを取り返すことができるのだ……!」


 [ミュール]。それは、千年前――[暁の勇者]が現れる前にこの地を支配していた家系である。

 最終的に国王が戦死してしまったため、幼かったミュール王子は[暁の勇者]に国を奪われたのだ。

 故に、現王朝はビアレス・ギネス――[ギネス]の血統であり、それが[ミュール]としては面白くないのだ。


 ずきん、と右腕に痛みが走る。

 リディルさえいなければ、今頃は自分が剣聖となっていたのだ。

 あの小娘さえいなければ、再び[ミュール]王朝となっていたというのに……。

 父も、祖父も、それを夢見て志半ばで倒れたのだ。

 後少しで、取り戻すことができていたのだというのに……。

 そのための鍛錬は重ねてきた。努力を積み重ねてきた。

 だが――リディル・ゲイルムンドという異常者が全てを台無しにしてしまった。

 もはや剣聖の地位ですら……否、[盾]の存在意義すら疑われる事態になってしまっている。

 子供一人に殲滅させられる女王の私兵など、国民は認めない。

 マリーエイジの名に置いてザカールを討伐できればそれで良しという目論見は、マランビジーが想像以上に無能であったため白紙へと書き換わった。

 後一歩のところだったというのに――。

 計画を、修正せねばなるまい。

 マリーエイジは先程から微動だにしない娘を見、言った。


「レドラン・マランビジーを殺せ」


 それでも、娘はぴくりとも反応しない。

 不気味な、まるで人形のように育った娘だ。

 マリーエイジは冷ややかに言った。


「ヤツを[教団]に潜入させていたことはお前が知っている通りだ。

 が、[教団]の内情が漏れつつある。……所詮は世界を知らぬ宗教集団よ。

 立場が危うくなれば離反者も出る。

 そこからマランビジーの存在が明るみに出るのは不味い。

 我がマリーエイジ家が関わっていると知られるわけにもいかない。

 ヤツを、お前が始末し、マリーエイジ家へのダメージを最小限に抑えよ。

 ――信頼を勝ち取れ。

 マリーエイジは他の[ミュール]と違って国家に忠を尽くす立派な騎士なのだと、世間に知らしめよ」


 マリーエイジは、己の野心を諦めてはいなかった。[ミュール]千年の悲願なのだ。[古き翼の王]の問題で政治がごたついている今が好機でもある。

 首都に呼び寄せた[古き翼の王]に罪をなすりつける計画も同時に進行中ではあるが……あちらは正真正銘未知なる存在だ。どうなるか――。

 同時に、都合のいい道具として懐柔するための準備もしている。

 [記録]とやらを見ることができるのならば、素晴らしい駒となってくれる。

 [ギネス家]によって抹消された千年前の真実を、明らかにできるのだ。

 ふと、娘が静かに口を開く。


「マランビジー家の者は、どうなりますか」


 マリーエイジは考える。ヘドがでるほど子煩悩なレドランの様子――。


「殺せ。レドラン・マランビジーから何を聞かされているかわからん。

 ……最悪、娘二人だけでも確実に始末するのだ。お前ならば可能だ」


 ややあって、娘は深々と頭を下げ、氷のような声色で言った。


「わかりました、お父様」


 と。

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翻訳の魔導書を完成させた魔導師見習い。役立たずと言われ魔法学校と魔術師ギルドから追放されるもルーン文字を翻訳できることが判明し最強の付呪師となる
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