第136話:根源へ
ベルヴィンと呼ばれた少年は俯いたまま、それでもレイジが差し出した手をぎゅっと握る。
ミラベルは、言った。
「あ、あの――」
レイジがミラベルを見る。
その優しげな瞳は、ミラベルの次の言葉を待ってくれていた。
しかしミラベルはまた言葉を詰まらせ――。
「え、ええ、と……わたし、あの――」
うつむき、思考がぐちゃぐちゃになり、姉の顔と、カルベローナの顔を思い出し、ミラベルはやがて真っ直ぐにレイジを見つめ、言った。
「――貴方が、わたしのお父さんなのを、知っています」
そして、少しばかり攻撃的な口調になってしまったことを後悔した。
だが、レイジはそんなこと気にもとめない様子で優しく言う。
『……すまない、ミラベル。伝えることができなかった』
……なんで、謝るんだ。
それはミラベルの中で、理不尽な怒りとなる。
「……どうして、教えてくれなかったんですか」
恨みが言葉となる。
『平和に、暮らしてほしかった。――最後の最後で、僕は欲をかいてしまった。リドルと二人で、ザカールを――[イドル]を打ち倒そうと。結局、何もできずに……』
レイジの――父の姿が、わずかにゆらいだ気がした。
彼は一度寂しそうな顔になり、自分の手を見つめ、静かに目を閉じる。
そしてミラベルの顔を見てから、少年に促す。
『僕は、ここまでだ。――貴方の旅が、報われることを願っています』
「何を……」
言っている意味が、わからない。
ミラベルは困惑したまま、レイジに少年を押し付けられる。
レイジが言った。
『良いかい、ミラベル。この子はまだ、白紙なんだ。この先でこの子が何者になるのかが決まる。[イドル]に染められた[古き翼の王]に戻るのか、あるいは――』
次第に、大勢の影がレイジの元に集まってくる。
やがて彼らは、レイジを見ようともせず、横を過ぎ去り、奥へ、奥へと向かっていく。
ミラベルは怯え、後ずさった。
少年は俯いたまま、ただじっと一点を見つめている。
レイジが言った。
『ミラベル。――雑多の想いは、僕が連れて行く。願いが集まりすぎれば、それは渦となって押しつぶす。皆の願いはね、ミラベル。もう、既に、託された後なんだ。だからそれ以上のものは――残りすぎてはいけないんだ』
見れば、その影の中に先程の大柄な男――ドリオ・ミュールの姿もある。
ふと、遠くへと離れていく一つの影が視界の端に映り込む。
レイジの指が、ミラベルの頬に触れた。
『キミを、誇りに思う』
かあっと胸の奥が熱くなり、ミラベルはたまらなくなって声を荒げた。
「勝手です、そういうの……そういう、言い方! 自分だけ満足して、影で、守ってたとか、助けてくれてたとか、そういうの、馬鹿げてる! わたしは――」
想いが溢れ、喉の奥がぎゅっと閉まる。
「わたしは――そばにいて、欲しかったのに……」
ジョット姉は、みんなの母親だった。
ミラベルよりも幼い子がいれば、そちらを構うのは当然だろう。
だから、それを悪く言うつもりは無い。自分の我儘だと理解している。
父も、母もいないのだから、それは諦めていたし、我慢もできた。
それなのに――。
「……生きて、いたんだったら――」
父と子を、してほしかったのだ。
レイジはもう一度寂しそうな顔で、
『すまない』
と視線を落とす。
それは、もう終わった話なのだ。
二度と戻らない、過去の出来事である。
望んでも決して手に入らないもの。
この先何があろうと、ミラベルは、父に撫でてもらうことは無いのだ。
そして、父はミラベルの背後にいた誰かに語りかける。
『随分と、苦労をかけてしまった。――行こう。僕たちは、ここまでだ』
不思議と、ミラベルは振り返ることができなかった。
不意に、通り過ぎていく影の中の誰かが、言った。
『お母さん!』
その影の主は、アークメイジのカトレアに似ていた。
彼女が別の影に駆け寄ると、彼女の姿はみるみる内に子供の姿に戻り、もう一人の影にぎゅっとしがみついた。
その影の隣には、父親と思しきエルフの男性がいた。
カトレアに似た少女は、父と母に連れられて、奥へと足を進める。
ミラベルの背後にいた女性が、優しく言った。
『ミラベル。――負けないで』
それは、いつか見たミラベルを守る淡い輝きそのものであった。
だがその女性も、レイジの手を取ると、ミラベルのそばから離れていく。
そこにいたのは、写真や映像で見たことのある、昔の人。
オリヴィア・グランドリオその人だった。
ミラベルの、身代わりになった人。
魂をミラベルに、差し出した人。
ずっと、一緒だった、人――。
そしてレイジは、ミラベルの傍らの少年に言った。
『自慢の子だ。――後を頼みます』
少年は答えず、俯いたままだ。
やがて、一人の長身の男がレイジに言った。
『これで、全員だ。残るのは、[イドル]の怨念と、ベルヴィンの想いだけになる』
ひと目で、強いとわかるその男に、レイジが言う。
『ありがとう、ガラバ』
すると、ガラバは笑った。
『もうガラバでは無いよレイジ。私はただの、ウィリアム・チェルンだ』
そう言って、彼は消えていく。
やがて、父と母の姿も、波に引かれていくようにして薄くなっていく。
咄嗟に手を伸ばし、けれど、何を言って良いのかわからず、ミラベルは伸ばした手を止める。
ようやくひねり出した言葉は、涙でかすみ、
「――待って……」
としか言えない。
まだ、何も伝えてない。怒ってることも、許せないことも、嬉しいことも、友達がたくさんできたことも、何も――。
もっと、はっきり言えればどんなに良かっただろう。。
嫌なら嫌だと、好きなら好きだと伝えられれば――。
それができないから――。
途端にカルベローナの声が聞きたくなり、ミラベルは蹲りそうになる。
年下のくせして、生意気なカルベローナ。
彼女にだけは、ミラベルは素直になれる。
それが、売り言葉に買い言葉でしか無いのもわかっている。
だけど、素直になれる相手がいてくれるのは、救いなのだ。
けど結局、一番大切な時に――一番伝えたい人に、言えなかった。
それな悔しくて、情けなくて、ミラベルは動けなくなる。
鳥が、ミラベルをじっと見つめている。
そんなもの知らない。本当は家族に会いたい。ずっと、一緒に――。
不意に、隣にいた少年の手が、ミラベルの手を引いた。
ふと見れば、少年は少しばかり成長し、ミラベルよりも少し年下くらいの容姿になっていた。
けれども、彼は喋らず、しかし俯かず、まっすぐにミラベルを見据えている。
彼はもう一度ミラベルの手を引く。
ミラベルはそのまま片方の手で涙を拭い、ゆっくりと足を進めた。
鳥も再び、歩き始める。
次第に、先程よりも一層闇が深くなっていく。
ただ少年の手の暖かさが、ミラベルに熱を与えてくれる。
周囲から、くすくすと幼子たちの笑い声が響く。
それは、とてつもなく邪悪な声。
ならば、これが父の言っていた[イドル]の怨念かと思い当たる。
そして同時に思う。
――わたしは、どこに向かっているのだ?
と。
幼子たちが邪悪に笑い、同時に景色が移り変わっていく。
石で出来た塀と、知らない様式の家々と、石の柱と石で出来た道。
不思議な明かりが灯る幾つかの建物。
また、景色が移り変わる。
〝次元融合〟の魔法陣が描かれた、石造りの大広間の中心。
どこか古臭い街並み。
[グランリヴァル]近くの遺跡の内部。
いつか見た草原。
見知らぬ荒野。
山脈の中腹。
溶岩が吹き上がる山の中心。
一面の雪景色が広がる世界。
いくつもの、いくつもの景色が移り変わり――。
最後に、たどり着く。
そこは、どこかの遺跡の最奥であった。
天井は限りないほど高く、上は霞んで見えない。
壁は古く、煉瓦に似た素材に見えるが、詳しくはわからない。
その中心に、奇妙な光の柱があった。
何らかの仕掛けが発動した後なのだろうか、きれいな円形の空洞から、まばゆい輝きを放つ光が天に向け立ち上っている。
鳥は足を止め、ただその光を見据えている。
やがて鳥はゆっくりと振り向き、ミラベルと、少年を真っ直ぐに見据え、言った。
『これより先は、私の力の及ばぬところだ』
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