第131話:世界の鍵
遺跡の内部はそこかしこが石の木々に侵食されていた。
ドラゴンの遺跡と良く似通った作りをしているため、天井が非常に高い。
吹き抜けの部分から石の巨木の幹が真っ直ぐに伸びており、それが遺跡の中央に根を張っている。
その巨木があまりにも大きすぎて、根と根の隙間は人どころかドラゴンすらも容易く通り抜けられる。
リィーンドが言った。
「俺がわかるのは、ここまでだ。……ブレインとの約束は果たした」
そして最後に、
「……人間どもと、相容れるつもりは無い」
とつぶやき、うなだれた。
女王が、
「ありがとう、リィーンド」
と礼を述べるが、リィーンドは答えず、顔を背けただけだ。
ふと、バーシングはどこか楽しそうな様子で軽く首をかしげる。
「それで、どうなるのだ? ここは代々ドラゴンの長が瞑想を行う場だ。俺も何度か入ったことはあるが、面白いものは何も無いぞ」
女王がゆっくりと歩き出す。
「それは千年以上昔の知識です」
「……ほお」
と、バーシング。
女王は中央の石の根付近にある、碑石に近づきながら語る。
「千年前の戦いの後、[オルドゥーム]とビアレスは、この[約束の地]にある仕掛けを施しました。ドラゴンと[G]の血族、二つが互いに手を取り合うことで得られるもの。[ビアレスの遺産]の鍵が、封じられているのです」
「遺産の……鍵と言ったか」
バーシングが興味を引かれ、女王に近づく。
ブランダークが女王を守るようにして間に入り、ミラベルたちもバーシングが勝手な真似をしないよう女王のそばで警戒する。
ふと、バーシングが言った。
「ビアレスは、未来の者たちを信じていなかったのか?」
それは、意地の悪い質問である。
「信じていたからこそ、鍵を託しました。そして、ザカールと[古き翼の王]の強大さを知っていたから、道のりを険しく、限りのあるものに」
「……理屈としてはわかる。だが、[遺産]とはザカールと[古き翼の王]を倒せるものなのか?」
女王は短く首を振る。
「そこまでは、伝えられていません。ですが、始まりの時代の記録が、ここに記されているとあります。ドラゴンたちはこの石の大木に祈り、言葉を捧げ、数を増やす。新たなドラゴンを生み出す。――そうですね?」
問われたバーシングは息を呑み、しかし頷いた。
「そうだ。これは我らの母であり、揺り籠。……そして、死を望んだドラゴンの眠る場所でもある」
思わず、ミラベルは口を挟んだ。
「ドラゴンって……死ぬんですか?」
はっとし慌てて口を噤む。
バーシングは言った。
「そうだ。自らがそれを強く望み、この[揺り籠]にて眠りにつけばやがて肉体は滅び、[揺り籠]と同化する。この石の木は、我らの祖の亡骸でもあるのだ」
「ですが、ドラゴンは死してなお強い力を放っています」
と、女王が続ける。
「ビアレスと[オルドゥーム]は、それを読み取る秘宝を、共同で作り上げたのです」
女王が碑文に手をかざす。
「私に託された知識は、ここに封印されている知識の上辺だけです。まずはそれを開放します」
バーシングがつぶやいた。
「……その石碑は千年前には無かったものだ。人の言葉で書かれているのか?」
「ビアレスと、[オルドゥーム]が記した石碑です。――私と同じようにしてくださいますか? 知恵のドラゴン、バーシング」
一度、バーシングは息を飲む。
視線を落とし、ゆっくりと周囲を見渡し、言った。
「光栄だ、ビアレスの子」
バーシングはそのまま女王の背後にたち、女王の手に自分の鉤爪を重ねた。
すると、かすかに魔力がほとばしり、青白い輝きがミラベルたちの足元に溢れ出した。
バーシングが言う。
「――〝次元融合〟では無い。これは……何かが起動したのか? これを、ビアレスと、長老[オルドゥーム]が作ったというのか……?」
すると、ミラベルたちのいる位置がゆっくりと振動し、円形状に切れ目が入る。
ゆっくりと地面がスライドし、地下へと潜り始めた。
同時に、封印されていた[揺り籠]の記憶が開放されていく。
『我らだけで、やらねばならぬのですね』
声が、響いた。
若い男の声だった。
やがて光が集まると、薄く透き通った半透明な若い男が姿を現す。
薄汚れたローブの下に、同じく使い古された鎧を着込んだ青年。
ふいに、リィーンドは震える声でその男の名を呼んだ。
「ロード……!」
それは、この大地の記憶であった。
千年前よりも遥か昔の、神話の時代のおとぎ話。
後に建国の王となる、ロード・ミュールの若き時代。
リィーンドは翼を伸ばし、ロードの体に触れようとする。
だが彼の体はするりと通り抜け、リィーンドは寂しげに俯いた。
「……俺は、取り残された。最後の戦いに、連れて行って貰えなかった」
「俺が生まれる前の話だな? ザカールと[古き翼の王]、そして初代ミュール王が[闇の神]を撃ったとかいう――」
リィーンドは頷いた。
「そして、我らドラゴンの中で争いが生まれた瞬間でもある」
ふと、別の男がどこか緊迫した様子で言った。
『お前ならばやれるさ、ロード』
その男は、ロードと呼ばれた男とよく似た顔立ちをしていた。同じく使い古されたローブを着込み、その中には鎧が隠れ見える。
ロードは気恥ずかしげに、しかしどこか嬉しそうに言う。
『兄上のお力があればこそ……』
『世辞は良い。――皆、お前の才に気づいている。私も、皆も、お前の元に集ったのだ。……[イドルの悪魔]を、この地で倒す。そしてお前が導けば、皆は従う』
兄が言うと、ロードは難しい顔をして俯いた。
『……導くなど、自分には――』
『できるさ。――お前は全てにおいて俺の上を行く、生意気な弟だろう?』
と、兄上と呼ばれた男は少しばかりからかう様子で言うと、ロードは苦笑で答えた。
不意に、別の半透明な影がぬらりと姿を現す。
その漆黒の翼と巨体に、皆は息を飲む。
半透明なロードが言った。
『[古き翼の王]、[イドルの悪魔]が怯えているというのは本当なのですか?』
すると、記憶の[古き翼の王]は言った。
『[イドルの悪魔]は人の世に置いて、絶対者だ。だが――私は父である[星の神々]からこの地を託された。世界の理に最も近いのが、この私なのだ。この意味はわかるな? 懸命なるロード、そしてその兄マティウスよ』
ロードが、すぐに言った。
『僕たち人間の恐怖で成長してしまった[イドルの悪魔]は、人間にしか倒せない。だが倒したところで、人間がこの世にいる限り復活し続ける。……数が増えれば、より強大になって。――だが[古き翼の王]……本当に、良いのですか?』
マティウスが難しい顔で[古き翼の王]をじっと見、言った。
『貴方という柱を失ったら、残されたドラゴンたちはどうなる? 彼らにとって貴方は、父であり、兄であり、王でもある。そんな貴方が、我々人のために、こうも――』
『それが、[原初の神々]の願いなのだ。ロード、そしてマティウス。世界を想像し、そして自らこの大地と同化し命を吹き込んだ彼らのように、私にもその時が来た。――それが、この地に最初に生まれた者としての、責任だと私は考えている。人のためでは無い。この地に生まれた命の為に、父と同じことをするだけなのだ。――これほど光栄なことは無い』
『願いの話は別に良い。……オルドゥーム卿に、ドラゴンたちをまとめ上げられると思っているのか? 彼が聡明なのは認めよう。だが……冷徹になれないように見える。お前という柱を失ったドラゴンたちは、やがて不和を生むのでは無いか?』
『ああ――マティウス。優しいのだな。我が息子たちのことをこんなにも気にかけてくれるとは』
『茶化すな。俺は未来の話をしている。人の世に、仇なす可能性もある』
『オルドゥームには、全てを話してきた。彼の口から、散り散りになってしまった息子たちにも伝わるだろう。ならば、後は息子たちを信じるだけだ』
『俺が言いたいのは、そういうことでは無い』
『……わかっている、友よ。わかっているのだ。だが――時間が、それを許してくれない。大地が、空が、海が、風が腐っていくのがわかる。膨れ上がった[イドルの悪魔]が、あるがまま、飲み込もうとしているのだ』
『不滅のドラゴンたちには、無関係な話しだったはずだ』
『かもしれない。だがな、マティウス。私は……この世界が好きなのだ。滅んでほしく無い』
『……エゴだよ、それは』
『すまない、まれに見る、賢い友よ』
『煽てるな。……俺は、お前の子らを撃つことになるかもしれんのだぞ』
『――それもまた、運命なのだろう。だがもしも、マティウス、お前が我が息子たちのことを思ってくれるのならば』
[古き翼の王]は穏やかな瞳でマティウスを真っ直ぐに見、言った。
『我らの言葉で、抗う者、賢き者、知恵の戦士の意味を持つ[ザー・カール]という名を贈ろう。[言葉]には力がある。ドラゴンたちからも、お前を守ってくれよう[ザー・カール]よ、願っている』
『……気休めを、良く言う』
さーっと景色が流れていく。
やがて、床の振動が鳴り止むと、大きな空洞が正面に見えた。
バーシングが、何かを考えながら言った。
「……[古き翼の王]は人間たちに殺されたと、そう主張する勢力が、この後の時代に生まれた」
ミラベルは言った。
「あ、の……随分と、その、[古き翼の王]のイメージが――」
「当たり前だ」
と、リィーンド。
「あれが、本物の、[古き翼の王]。世界で最初に生まれた命であり、[原初の神々]が世界を託した王。――そうか、[古き翼の王]は、自らの意思で……」
バーシングが口を挟む。
「俺から言わせれば、だ。リィーンド。[古き翼の王]を神格化しすぎているのでは無いか?」
一瞬、リィーンドが心の底から怒り、牙をむき出しにする。
だがバーシングは臆せず言った。
「[古き翼の王]も、一つの命に過ぎない。だから彼が弱音を吐ける相手が、必要だったというのが俺の思うところだ。どうだ?」
すると、リィーンドは押し黙り、忌々しげな顔のまま視線を落とした。
一同は、更に奥へと足を進めた。




