表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
111/146

第109話:怨念と残されたもの

 まるで泥の底にいるようだった。

 ただ母の姿と、声が遠く聞こえ、そこに母がいるのだとわかっていても手を伸ばせず、自分の体が冷たくなっていくのがわかった。

 消えゆく母が自分の名を呼び、光となって消えた。

 その光が[古き翼の王]へと吸い込まれていくのを見た時、リディルは思った。

 母の魂が、吸われていく。

 やめてほしい。


 ――お母さんを、返して欲しい。


 そう、願った。

 それが通じたのか、[古き翼の王]がリディルの体に、人の腕を触れさせたのだ。


 男の腕だった。

 激戦を生き抜いてきたような、戦士の腕。


 意識がさーっと遠くなり、次に目覚めた時、リディルの傷は完全に消えていた。

 そこにいたのは、翼が朽ち、体の多くを崩壊させたままかろうじて生にしがみついている黒いドラゴンだった。


 リディルは、言うべき言葉を見失った。

 母は、どこだろうと考えた。

 でも、答えはとうに出ていた。

 その時を、この目で見たのだ。

 最期の言葉までも――。


 視線が合わなくなる。

 何を思えば良いのか、どう思えば良いのか。

 今更、リディルのためだけに、過去を取り戻すかのつもりで大虐殺を起こし、それを――。

 どう、思えば良いのかなど……。


「……お母さん、は――」


 口に出して、その先の言葉が出ない。

 母は――

 ドラゴンが優しく言った。


「僕と、キミを、助けてくれた。……最後に、救ってくれた」


 そのドラゴンは、これ以上体が崩れることは無いようだった。

 リディルはただ呆然と、


「そう」


 とだけ返す。

 巨大な影がリディルとドラゴンを覆う。

 [鮮血の巨人]がリディルたちに目もくれず、亡者のような遅い足取りでどこかを目指している。

 方角は、旗艦[グラン・ドリオ]か。


 母は、女王が〝支配の言葉〟を使ったと言っていた。

 ならば、そういうことなのだろう。

 [鮮血の巨人]の指揮権は奪ったが、本体そのものは同じ[ギネス家]――メリアドールが乗っているから、動き続けているのだ。

 まるで、怨念のように――。


 ……思っていた通りになった。

 彼女は絶望し、座りこんだ。

 こんな剣なんて、もっと巨大な力の前では無力なのだ。

 [飛空艇]に勝てないリディルが、[魔人王]に勝てないリディルが、あんな巨大な[機械人形]に勝てる道理は無いのだ。

 だからリディルは、もう――。


 幼子の頃以来、数年ぶりに泣き言と弱音が口から出そうになった時、ドラゴンが言った。


「メリアドール君を、助けに行くんだろう」


 ――無理だ。勝てない。戦えない。剣が、届かない。


 リディルは感情をそのまま口にする。


「……お母さんと、一緒にいたかっただけなのに」


 ドラゴンが黙り、静かにうなずいた。


「褒めてほしかっただけだったのに……。それだけで、良かったのに――」


 喉の奥が熱くなり、リディルは嗚咽とともに言う。


「戦いたくなんて、無かったのに……」


 最初は、大好きな母の真似をしただけだった。

 母と一緒にいたかったから、その動きを見た通りにしてみせた。

 母は喜んでくれた。褒めてくれた。

 だから、リディルはもっと喜んでほしくて、母の真似をたくさんした。


 ――いつからか、母は褒めてくれなくなった。


 悲しそうな顔をするようになった。

 体を大きくするためにと、たくさん食べさせられるようになった。

 何度も吐いて、それでも母に喜んで欲しくてリディルは――。


「お母さんは、たくさんの人を、殺してしまった」


 ――あたしのために。


 それは、リディルの絶望であった。

 リディルのために、母は誰かの幸せを奪い尽くしたのだ。

 リディルよりも深い絶望と悲しみを背負った、リディルよりも幼い子たちが大勢できてしまったのだ。

 そしてそれを作ったのは、母なのだ。


 ――言うべきだった。


『嫌だ』


 と。

 ただ一言。


 母は、優しい人だったから。

 リディルのためにここまでできてしまう人なのだから。

 たった一言――そう言うだけで、きっと母はリディルのために何かしてくれたはずなのだ。

 剣聖の座をかなぐり捨ててでも、きっと――。

 ドラゴンが、ゆっくりと歩みを進める[鮮血の巨人]を見上げる。


「あの中に、メリアドール君がいる」


 リディルはぎゅっと膝を抱え、うずくまった。


「……無理だよ、あたしには――」


 あれは、叡智の結晶なのだ。リディルという小さな個を超えた、全の集合体として生み出された巨大な力なのだ。

 だが、それでもドラゴンは言う。


「だけど、できる。ティルフィング隊長は、俺たちに託してくれた」


 母の名を出され、リディルは顔をあげた。

 ドラゴンの姿を見、リディルは息を呑む。

 彼は、気づいていないのか。

 顔が半分えぐれたドラゴンの頭部から、人の顔がほんの僅かにのぞかせている。

 かすかに見える男の左目は、黒いまっすぐな瞳をしていた。

 母と、同じ色をしていた。

 どろどろに溶けた黒騎士と、同じ顔をしていた。


 唐突に、彼の瞳の色が変わった。

 母や自分と同じ色から、アンジェリーナのようなスカイブルーの瞳になる。

 かすかに覗いた白い肌は、人種すらも違っていた。


「我らの、子よ。遠い子よ」


 しわがれた声は、先程のものとは違う。

 彼が穏やかな瞳で言った。


「ロードの、血筋――」


 また、別の顔が現れ、言う。


「祈りの、先の――」


「形と、なった、結果の――」


「覆い尽くした、魂の、溢れるほど、の――」


「――願いの、器」


 ぶくり、と[古き翼の王]の甲殻が膨れ上がり、人の輪郭を覆い隠していく。

 最後に、リディルと同じ瞳に戻ると、彼が言った。


「俺たちの、希望の、その先」


 しかし、と思う。

 この人は、誰だ――?

 最初の人に見える。

 だけど、漂う気配が、視線が、別物だ。

 息遣いだけが、同じ。

 自分よりも、この人は強い。

 知らない彼は微笑むと、完全に甲殻に覆い隠され、[古き翼の王]となったその人は言った。


「――できるはずだ。キミなら……」


 意味がわからない。

 彼はそのまま力強く羽ばたき、跳躍する。

 そして、普段とは別人となった[古き翼の王]は言った。


「俺がヤツの力の足を止める! メリアドールはキミが見つけるんだ!」


 知らない彼はあっという間に天高く舞い上がり、真正面から[鮮血の巨人]と対峙した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
読んでいただきありがとうございます!
↑の☆☆☆☆☆を押して頂けると、とてもとても励みになります!
新作はじめました!良ければ読んでいただけると嬉しいです!
翻訳の魔導書を完成させた魔導師見習い。役立たずと言われ魔法学校と魔術師ギルドから追放されるもルーン文字を翻訳できることが判明し最強の付呪師となる
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ