第104話:愛する人のために
[グラン・ドリオ]が爆発し、噴煙を上げながらゆっくりと高度を下げていく。
その中枢から、まるで卵の殻を割り破るようにして、どす黒い巨大なドラゴンが姿を現した。
そのドラゴンが一言天に向け咆哮すると、先程まで覆っていた雨雲は全て消失し、自らの魂の衣そのものである[ブラックカーテン]を発動させた。
そしてそのドラゴン――[古き翼の王]そのものとなった黒騎士は、笑った。
『私は、たどり着いた――! 千年もの間、誰一人として到達できなかった、その先に――!』
黒騎士はただ破滅を願い、天に向けて咆哮すると、空を覆う黒いオーロラがぶくりと膨れ上がり、黒く巨大な隕石を雨のように降り注ぐ。
いくつかの艦は[フィールド]を全開にさせかろうじて耐えきったが、それだけだ。
遺跡付近の[ドール商会]、[聖杖騎士団]の飛空艇は全艦が隕石に押しつぶされ、爆発、炎上し、墜落していく。
やや遅れて、墜落しつつある旗艦[グラン・ドリオ]から虹色の輝きの膜が天に向けて放たれた。
それはまるで[古き翼の王]となった黒騎士の[ブラックカーテン]を押し流そうとしているように見えた。
対、[古き翼の王]用の決戦兵器の一つ。それは、黒騎士も知っている。
だから、黒騎士は笑うのだ。
『アハハハハハ! フランギース! お前の浅知恵と、薄っぺらな気概じゃあなあ! 私はもはや止められんよ! [グラン・ドリオ]の[魔導炉]では、無限となったこの私には勝てない! 決着は、既に、ついた! ビアレスも、ザカールすらも出し抜いて、この私が[古き翼の王]となったのだ! お前が間違っていたんだよ! お前が! お前が!!』
そして、遺跡の天井が光とともに弾け飛ぶ。
まるで[古き翼の王]の復活に呼応したように、[賢王の遺産]が悲鳴のような産声とともに姿を現した。
『ハッ! [鮮血の巨人]が何を今更! ギネス家の血にのみ従う機械人形ならば、我が名に従うのが道理! 試してやろう、我が力を――!』
黒騎士が呼吸し、[鮮血の巨人]に狙いを定める。
『〝[鮮血の巨人]・ウィル・ディネイト〟!』
放たれた[言葉]が波動となって、[鮮血の巨人]を飲み込んだ。
しかし――。
その巨人はぐりんと奇妙なゴーグルのような目をこちらに向け、全身に備え付けられた[八星魔導砲]の全砲門から追尾する[八星]以上の砲弾が撃ち放たれた。
黒騎士ははっとし、翼を羽ばたかせて高度を取った。
同時に破滅の言葉を嵐のようにばらまき、[八星]の雨を相殺していく。
耳元で、幼子が嘲笑ったような気がした。
[鮮血の巨人]の中心に、知っている子の姿が垣間見えた。
黒騎士は狼狽する。
『メリアドール・ガジットは、逃したはずだ……!』
同時に、[鮮血の巨人]に立ち向かう中身の違う[古き翼の王]の姿を見つけ、絶句する。
その背中に、一人の少女が乗っている。
たった一人で、あの[鮮血の巨人]に立ち向かおうとしている。
黒騎士は思わず、
『――リディ』
と呻き、翼を羽ばたかせた。
※
『ブラックカーテンが発動したのか!? [古き翼の王]は――ぐあっ!』
墜落していく[飛空艇]に激突し、ザカールはきりもみするように落下する。
なんとか体制を立て直し高度を維持すると、ボロボロのリィーンドがやってきて言った。
「ザカール、話と違うぞ! [古き翼の王]が、何故我らを攻撃するのだ!? あれは間違いなく、[古き翼の王]だ!」
天から降り注ぐ隕石は、ザカールのドラゴンたちにも襲いかかったのだ。
同じくやってきたバーシングが叫んだ。
「御老体、なんとかしろぉ!」
だが、ザカールは無視して言った。
『私は、[イドルの悪魔]を、複数に分けて封印した。――人が制御しやすくするために……』
「[古き翼の王]が復活したぞザカール! どうなっている!」
ウィンターも叫ぶ。
ザカールはようやく、一つの可能性にたどり着いていた。
『ビアレスは、私がしたように――[古き翼の王]をバラバラにして封印したのだ……。そうか、奴は……[イドル]のことにも気づいて……』
肉体は何者かに奪われ、G家の者と行動している。
そして今現れたあれは、まさに[古き翼の王]の力そのものに見える。
肉体と、魂と――。
『精神が、どこかに封印されているはずだ。どこかに――』
同時に、つい今しがた姿を現した巨大なゴーレムが咆哮する。
あれが、[賢王の遺産]なのか……?
あんなものが……?
そんなはずはない、とザカールは尚も考える。
この程度の戦力ならば、千年前にザカールが作った[古き翼の王]の方が上だ。
[遺産]とは、ただの力のことだったのか?
圧倒的な力――その程度のものだったのか?
……そんなはずは無いのだ。
ビアレスは、ベルヴィンすらも捨て駒にした男だ。
ヤツが後世に残すほどの[遺産]ならば、もっと違う何かのはずだ――。
「どうする、ザカール! [古き翼の王]は――」
リィーンドは空から降り注ぎ続けるブラックカーテンを回避するので精一杯のようだ。
情報が、不足している。
[イドル監獄]から連れ出した者たちのおかげで戦力は整ったが、所詮は戦いの駒でしかない。
[魔人王]は、暴れて力を使い果たした後は正気に戻り、再びザカールの敵となる。
ザカールが真に欲しているのは彼らではない。
知識と、知恵と、情報なのだ。
監獄産の試作装備はいくつかあるが、まだ解析が完了していないため剣聖辺りと対峙し失ってしまう危険を犯すつもりもない。
ザカールはブラックカーテンから逃れながらも考えをまとめ、言った。
『[古き翼の王]を取り戻し、[遺産]も我がものとする。やることは最初から変わっていない』
『――御老体!』
バーシングが悲鳴にも似た叫び声を上げる。
ザカールが遅れて気づくと、巨大な赤いゴーレムが天に向け、両腕から光の剣のようなものを撃ち放った。
その極彩色の閃光は、[古き翼の王]の[ブラックカーテン]を貫き、[次元]すらも貫通し、その最奥にある[何か]を切り裂いた。
ここに来て、ようやくザカールは理解した。
赤いゴーレムの周囲にどす黒い帯が漂っている。
『[イドル・ドゥ]は依り代を見つけたのか――』
ザカールは失態に気づく。
一手も二手も、先を行かれてしまった。
今、この体で魔法戦闘をしすぎるのは厳しいのだ。
「どうするザカール!」
リィーンドの焦る声を聞き、ザカールは迷った。
引くべきか、まだ抗うべきか――。
引けば現在の、双方の力量を客観的に判別できる。
だが[イドル]に知と思想は無い。
あるがままに、思うがままに、ただ欲望を無尽蔵に叶えるだけの、[力]そのものでしか無いのだ。
即ち、ただの暴力。
暴れ狂う子供。
程よく間引こうと考えるザカールとは対極なのだ。
しかし、とザカールは思う。
熱を帯びる感情は、とうに消え失せたのだ。
期待と希望は風化し、萎びた何かが残っただけだ。
『引き際だ。――機を待つ!』
※
「あの大きなヤツ、データがこちらにあった! [鮮血の巨人]――」
背中のリディルが、言葉を詰まらせた。
黒竜は焦り、言った。
「あれはどういうものなんだ!? 敵なのか、味方なのか……[賢王の遺産]なんだろ!?」
「起動、には――グランイットの血族が、必要……。な、なに、じゃあなんで、動いてるの……メリーちゃんは!? メリーちゃんが乗ってるなら、味方でしょ!」
「メリアドール君が――。メリアドール君が、敵から奪った!? 先に起動させた!?」
黒竜が羽ばたき、[鮮血の巨人]の周囲を旋回する機動へと変えた。
背中のリディルが、何かに気づく。
「なんだ、この、変なの――[ゼロコード]って、何だっけ……。――後ろの方、何か来る!」
「な、何だってんだ――」
瞬間、黒竜に悪寒が走った。
自分と、同じ姿をしたドラゴンが空を飛んでいる。
一瞬、最初の遺跡で見た[古き翼の王]の姿と重なり、
「何だ、あれは……」
と出た言葉は不安と恐怖に押しつぶされうめき声のようになった。
本物、なのか……?
もしもそうならば……。
――俺は、何なんだ。
[鮮血の巨人]の身体が不自然に振動し、一帯を震わす鈴の音を響かせた。
まるで、世界が揺れているかのようで――。
背中のリディルが、絶句して言った。
「ほ、本当に、[遺産]だったんだ……。あたしの鎧が言ってる、これ、本物の[遺産]だ!――[翼]君引いて、距離を――」
閃光が瞬くと、空を貫き天へと伸びるいくつもの光が、火柱のようにしてたち登った。
その無数の光の柱たちは、地平線の彼方まで広がっている。
「何なのだ、一体、何が起こっているのだ!」
黒竜は羽ばたき、一気に距離を取る。
背中のリディルがうろたえた様子で言った。
「これ、対[古き翼の王]用の、決戦兵器の、量産、モデルだって……」
地平線の彼方にまで見える無数の光の柱全てに、[鮮血の巨人]の姿が見えた。
[鮮血の巨人]たちが一斉に起動し、光を放つ。
その光は大地を裂き、空を焼き、あっという間に一帯を火の海へと変えた。
そして、最初に起動した[鮮血の巨人]の背に、光の輪のようなものが現れ虹彩を放つと、その輝きそのものが力場のようなものを生み出し、重量を感じさせない不自然な起動でふわりと宙に浮かび、一点を見据える。
そして、[鮮血の巨人]は圧倒的な光を放つと、遠方に見える光の柱から無数の[鮮血の巨人]が飛び立った。
空を埋め尽くすほどの[鮮血の巨人]の群れから、一斉に[八星]と同等の威力を持つ誘導魔法が雨のように撃ち放たれるのを見た黒竜は、愕然とし叫んだ。
「ど、どうすんの!」
「やっば――! 翼君は障壁の――」
言うが早いか、黒竜は咄嗟に全ての力を乗せた[障壁の言葉]を前面に集中して撃ち放つ。
[鮮血の巨人]が放った雨のような[八星]が、黒竜の障壁を打ち破ったその時だった。
突如、上空から降り注いだより強力などす黒い彩りを放つ壁が黒竜とリディルを守る。
同時に[鮮血の巨人]の右目に当たる部分に、同じくどす黒いカーテンが襲いかかった。
その輝きの主、闇を羽ばたく漆黒の翼を見、リディルが呻く。
「なんだ、あの黒い――」
だが、彼女は途中で何かに気づき、言葉を失った。
見るからに狼狽しているように思えた。
そのドラゴン――上空を旋回するもう一匹の[古き翼の王]は、どす黒いカーテンを津波のように連続して撃ち放ちながら、黒竜とリディルの元に急降下し、更にカーテンの弾幕を放ちながら言った。
『聞け! あれは[ビアレスの遺産]、その一つ! 未来のために、我らの世界を豊かにするために作られた[機械人形]! それを、手にするのだ! そうすれば、戦いは変わる! もう二度と、血に――血統に縛られた生贄など作らなくて良い!』
リディルが絶句して、呻く。
「な、に……やってんの…………? な、なんで……」
彼女は呼吸を荒くし、片手で頭を抱える。
空の[古き翼の王]が黒竜をまっすぐに見据える。
その眼差しに、黒竜は奇妙な既視感を覚える。
『お前がやれ、[ガラバ]! そして[機械人形]ならば、お前を元の〝次元〟にだって運んでくれる! そういう力と、可能性がある!』
ぞわり、と背筋が震えた。
――俺をガラバと呼ぶのは……。それに、この息遣い。
リディルと黒竜が、同時に言った。
「何やってんの、お母さん!」
「――ティルフィング隊長か……!」
[古き翼の王]が、一度だけ穏やかな目をし、言った。
『……お前には、何も残してやれなかった。何もしてやれなかった――』
リディルは何かを言おうとしたが言葉にならず、言うべき言葉すら見つけられず、ただ信じられないものを見るようにして、狼狽え、首を振った。
『もう誰にも、お前を利用させない。お前を、傷つけさせない……』
それだけ言うと、[古き翼の王]は強く羽ばたき、叫んだ。
『この圧倒的な力さえあれば、[剣聖]などもはや不要! 抗う者は全て、[古き翼の王]が焼き尽くす!』
[言葉]が世界を巡ると、再びどす黒いオーロラが大空を覆い隠し、そこから放たれる全ての暗闇が[鮮血の巨人]を目掛け撃ち放たれた。
[鮮血の巨人]の、複眼がぎろりと[古き翼の王]を睨みつけ、再び全身からハリネズミのような[追尾型八星砲]が発射される。
咄嗟にリディルは黒竜の背を蹴り、両肩と両太ももの裏に備わった[魔導推進装置]を吹かせ一気に加速した。
「ま、待てリディル君!」
状況がつかめない。
明らかに、リディルの動きは精彩を欠いている。
だがリディルには黒竜の言葉は届かず、彼女は回避運動すらも取らずにまっすぐ[古き翼の王]となった母へ向けて加速した。
同時に、[鮮血の巨人]から放たれた追尾する[八星]のいくつかが、リディルにも迫る。
だが、リディルはそれにすら気づかず、ただ[鮮血の巨人]へと向かう母へと手を伸ばし――。
黒竜は自身に迫る追尾[八星]の嵐を睨みつけながらも、口の中で
「子供に怯えた母親が――!」
と吐き捨て、同時に全ての力を込めた[障壁の言葉]を、リディルに向けて叫んだ。
[障壁の言葉]があっという間に破られ、リディルが[八星]の雨に腹をえぐられる様を直視してしまった黒竜は、自身の体を[八星]に貫かれながら尚も彼女を守るために[障壁の言葉]を叫ぶ。
しかし――。
死角から放たれた〝雷槍〟が黒竜の左腹部から右翼にかけて焼き貫いたのは、ほぼ同時だった。
はっとし見やると、暗闇の中、木々に紛れて雷の魔法を詠唱する、見知らぬ二人の騎士がそこにいた。
顔は他の騎士たちと同じくフルフェイスタイプで覆われているため判別はできない。
そして何者か知る間すらなく、[鮮血の巨人]から放たれた雨のような[八星]が黒竜の体をえぐり貪った。
霞む視界の端で、ティルフィングがリディルの盾となっているのが見えた。




