76.情報部
「ユーカ、ほんとにユーカだ!」
「にゃぁ」
ミナに名を呼ばれると、ユーカも元気そうに返事をする。
サーシャは腕に抱いたユーカを手渡すと、ミナが大事そうにユーカを抱えた。
「お姉ちゃん、本当にユーカを連れてきてくれた!」
「うん、約束したからね」
サーシャは笑顔で答える。
「もう、目を離したりしないようにね?」
「うんっ、お姉ちゃん。本当にありがとうねっ」
ミナが笑顔でユーカを抱きしめて頷いた。
サーシャは約束通り、ミナに子猫を無事に手渡すことに成功した。
仕事ではないけれど、普段の仕事と同じかそれ以上に達成感がある。
やはり、目の前で喜ぶ姿を見ると安心するのだ。
ミナが何度も振り返りながら、サーシャへと手を振る姿を見届け、また安堵する。
無事、サーシャはやり遂げた。
「これも、フィルさんが手伝ってくれたおかげ――あれ?」
サーシャが振り返ると、そこにフィルの姿はなかった。
猫を手渡す時は離れたところから見ている、と何故か固辞した彼女は、気が付くと気配すらもなく……。
サーシャは周囲を確認するが、フィルの姿はない。
「フィルさん? どうしたんだろ……」
サーシャはしばらく周辺を歩き回るが、やはりフィルの姿はない。
出会った頃から思っていたことだが、彼女は相当に人見知りだ。
ひょっとしたら、サーシャと一緒にいるのも気苦労を掛けたかもしれない。
それに、事件にも巻き込まれてしまったくらいだ。
「大丈夫かな……?」
サーシャはそんな不安に駆られるが、不意にサーシャの足元にやってきたクリンの首輪に、何か巻き付けられているのは見えた。
「これって……」
サーシャがミナに引き渡している間、フィルの近くでクリンは待機させていた。
首輪に結びつけられた内容を確認すると、
急用ができました。またいずれお会いしましょう。
そんな簡単な文章だけが書かれており、それがすぐにフィルであることは理解できた。
「急用か……。なら、仕方ないかな。また会えるといいけど」
「わんっ」
「あ、アウロさんのところに戻ろっか? あの人、説明とかできるか不安だし」
サーシャはクリンを抱きかかえると、小走りに駆け出す。
やるべきことはやったが――今回の件で、一番助けてくれたのはアウロだとも言える。
アウロは「任せろ」と言っていたが、休日でも……サーシャは彼の補佐官だ。
アウロはきっと「戻って来なくてもいい」と言うだろうが、サーシャはそれでもアウロの下へと向かう。きちんと、やるべきことはやれたということも、報告するために。
***
去っていくサーシャの姿を目で追いながら、フィル――フィーリア・クルツは目を細めた。
彼女が立つのは、近くにある時計塔の上。
ここからなら、町をよく見渡すことができた。
「……」
「どうだった、アウロ・ヘリオンの補佐官は?」
「ロア・ヴァーンズ騎士団長」
声をかけてきたのは、《第三騎士団》の団長であり、フィーリアの上司であるロアだった。
「《王国騎士団経理課》が私の本来の役職です。情報部の仕事は私には回さないようにしてください」
「フフフ、本来の役職は――私の補佐官、だろう? そう演じるように強いたのは私だが、今は素で構わない。それで、どうだった?」
「どうも何も、そうですね」
ロアの問いかけに、フィーリアはわずかに思考を巡らせる。
しばしの沈黙の後、フィーリアは思ったままを口にした。
「ただのお人好しの女の子。良い子ですが、悪く言えば無鉄砲ですね。後先のことは考えず行動しているようにも見えます。それでいて、とても冷静です。悪漢に囚われた状態でも、引くような素振りは見せませんでした」
「なるほど。アウロ・ヘリオンの補佐官には相応しい人材、というわけか」
「……ヘリオン騎士団長が補佐官を選んだことが、そんなに気になりましたか?」
「なるとも。あの男は、自ら補佐官を選んだことはない。補佐官になった者はいても、すぐに辞めることになる者ばかりだ。それが、不意に一人の少女――それも、まだ学生の身分だった子を選んだ。情報部としては、『気になる』というのが至極当然なことだと思えるがね」
「でしたら、ご自分で接近すればよかったでしょう」
「フフフ、私は情報部を統括する身――簡単に姿を見せる訳にもいくまい。確かに、いくつか姿を持っていることに違いはないが」
「そうですね。とにかく、私からの報告は以上です。それと、結果的にはヘリオン騎士団長が、我々が調査を行っていた『ペットの密売』組織を捕らえることになりましたが」
フィーリアは、その事実も報告する。
第三騎士団の目的――それは、元々はそこにあった。
ペットを密売し、他国へと売りつける……そんなパイプを持つ組織については、第三騎士団の管轄になるのだ。
どのような経路を以て、他国とやり取りをしているのか。
やり取りをするようになったのか――情報部としてはそういう小さな組織の細かい情報も、手に入れておきたかったのだ。
「構わない。第一騎士団には話を通してある。捕まえた者達は、後程我々に引き渡される予定だ」
「そうでしょうね。おそらく、ヘリオン騎士団長に話しても引き渡されるとは思いますが」
「フフフ、奴は管轄の仕事以外に興味を持たないからな。だが、どうやらあの補佐官が関わると違うらしい――それはある意味、第二騎士団の団長の弱みを握った、とも言えるな」
「弱み、ですか。同じ騎士団長だというのに、随分な言葉を使われます」
「そういうものだよ。組織というものはね。では、私は行くよ。君はどうする?」
「私は……本日休暇ですから」
「おっと、そうだったな。では、残りの時間を楽しむといい」
それだけ言うと、ロアはフィーリアの下を去っていく。
第三騎士団――情報部は、ありとあらゆる情報を管理し、それを統制する。
そんな組織に属していると、フィーリアもまた、色々な『顔』を持つことになる。
第三騎士団の補佐官として。騎士団の経理部の受付として。ただの気弱な、騎士としての一面も。それらすべては、彼女が情報部として必要だった顔だ。ただ、
「趣味は同じ……そんな情報は、いらないでしょうね」
雑貨屋で買おうとしたぬいぐるみ。
あれだけは、純粋にフィーリアが買おうとしたものだった。
経理部で恐れられる彼女の顔の一つの、要因を和らげるため――今更ながら、そんなことを気にすることも、フィーリアの人間性であった。
「そんなもの、とうに捨てたと思っていましたが」
くすりと笑顔を浮かべて、フィーリアは呟く。
たったそれだけのことだ。けれど、フィーリアは今日と言う日を、少しだけ楽しんだ気がする。
サーシャという少女は、そういう子なのだと――フィーリアは理解した。




