73.駆け付けた者
状況は好転しないまま、サーシャはひたすらに思考を巡らせる。
魔法が使えない状況で、どう部屋から脱出するか――入口には鍵を掛けられていて、窓からは出ることもできない。
倉庫にはサーシャやフィルの手枷を外せるようなものは存在しない。
(……これって、どうやっても逃げられないかな)
考えれば考えるほど、ひどく冷静にその事実を理解してしまう。現状、サーシャとフィルが助かる術はない。
可能性があるとすれば、サーシャの手枷を外すこと。完全に手首に嵌っている状態では、関節を外せたとしても難しいだろう。
金属で構成されている枷は、ぶつけた程度では壊れることもない。
「……やっぱり、あるとすれば賭けるしかないかな」
「……? な、何か方法が?」
不安そうな表情で、フィルが問いかけてくる。彼女も彼女で、脱出する方法を考えていたようだが――やはりサーシャと同じく拘束されたままでは、どうしようもないだろう。
フィルの問いかけに、サーシャは立ち上がって答える。
「おそらくですが、ここから出る方法はもう、あそこの扉が開くことしかありえないです」
「あそこって……い、入口ですよ?」
「出られそうな場所もあそこしかないので。それに、いつかは私とフィルさんの様子を見に誰かが来るはずです。ただ待つよりは……たとえ低くてもできることをしようと思います」
サーシャは決意に満ちた表情で言った。
作戦は単純だ――サーシャが入口の扉の裏に隠れて、誰かが様子見に入ってきた時に、攻撃を仕掛ける。
小さな身体でもタックルをすれば、相手を昏倒させるくらいはできるかもしれない。
もしも失敗すれば――そんなことは考えない。今できることを、サーシャはする。
「フィルさんはそこで待機しておいてください。私が仕掛けますので、上手く行ったらここから逃げ出します。最悪、二手に分かれる可能性も想定しておいてください。……一応、危険なことに代わりはないので、仮に脱出できそうだったとしても、危険であれば身を隠すように」
「わ、分かりました。でも、それじゃサーシャさんが……」
「私は大丈夫ですよ。慣れているわけじゃないですけど……まあ、こういうピンチは何度か経験しているので」
前世も含めての話だが、危機的な状況でも冷静でいられることには、フォルの記憶にも感謝しなければならないだろう。
サーシャは息を潜めて、その時を待つ。
聞こえてくるのは動物達の鳴き声ばかりだが、時折コツコツと足音が響いてくるのが聞こえる。
やがて、一人の足音がサーシャ達の部屋の方まで向かってくるのが聞こえた。
ちらりと、サーシャはフィルに視線で合図を送る。相手は一人――扉が開いて、中に入ってきたら仕掛ける。
ガチャリと、鍵を開ける音が耳に届いた。
「よう、もう一人は目覚めたか……って、もう一人はどこに――」
サーシャは聞こえてきた男の言葉と同時に、扉の裏から飛び出して踏み込む。
低めに飛び込むような形で、腹部に一撃を食らわせるようにタックルをする。
「うおおっ!? テメ……何のつもりだぁ!?」
「っ!」
身を低くしたタックルは、男の腹部を直撃したが、屈強な身体付きの男を倒すどころか、サーシャの方が逆にバランスを崩してしまう。
サーシャは首元を掴まれて、そのまま壁に叩き付けられる。
「かっ、は……」
「サーシャさんっ!」
「随分元気そうじゃねえか。腹に一発かました仕返しのつもりか?」
やってきたのは、先ほどサーシャが倉庫前で話した男だった。
小さなサーシャの身体を、片手で簡単に持ち上げるほどの力がある。
「うっ、くぅ……」
首を掴まれた状態で、サーシャの身体は地に足が付かない。呼吸も満足にできない状態で、それでもサーシャは男を睨む。
「この状況でも随分と反抗的な目をするじゃねえか。もう少し、しつけておく必要があるかぁ?」
男が手に力を込めて、サーシャの首を強く締めた。
すでに浮かんでいる状態のサーシャは、さらに首に負担を掛けられ――苦しむように身体が震える。
作戦は失敗した……薄れゆく意識の中で、それでもサーシャは再び、思考を巡らせる。
(せめて、フィルさん、だけでも……)
今、男の意識はサーシャに集中している。ちらりと、フィルの方に視線を送る。
だが、怯えた様子の彼女は、とても動けるような状態にはない――仮に、ここで動き出したとしても、逃げられる可能性も低いだろう。
(もう、意識、が――)
思考すら定まらない。そんな状態で耳に届いたのは、轟音。見えたのは、すでに見慣れた巨躯の男。
アウロ・ヘリオン――この王国で、《戦神》と呼ばれる騎士だ。
「な、なんだ、お前……!?」
「そいつに触れるな。ぶち殺すぞ」
「ひっ!?」
「ごほっ、えほっ」
男が驚きのあまりに、サーシャの首元から手を放した。
ほとんど同じタイミングで、アウロが駆け出し――大きく一歩を踏み出して、男を殴り飛ばす。
大柄な男を軽々と殴り飛ばして、アウロはサーシャの前に立った。
「無事か?」
「ア、アウロ、さん……!? どうして、ここに……」
ちらりと、サーシャはアウロがやってきた方向を見る。
地面ごと抉るようにして、壁が破壊されている――アウロの力であれば、今更驚くような光景ではない。
だが、何故ここに彼がいるのか……その理由は、すぐに理解できた。
「わうっ!」
「クリン……!?」
アウロの肩から、嬉しそうな鳴き声が響く。
そこにいたのは一角狼のクリンだ。ここにアウロがいる理由……クリンが、アウロを連れてきてくれたのだろう。
「さて、状況はよく分からんが、少なくとも良からぬことが起こっているのは確かなようだ。とりあえず……だ。サーシャ、この建物の中にいる奴は――ここにいる奴ら以外、全員とっ捕まえていいんだな?」
ゴキリと首の骨を鳴らして、アウロがそんな風に問いかけてくる。――危機的な状況でサーシャを助けてくれたのは、またしてもアウロという男であった。




