54.それでも否定する
サーシャは一人、第二騎士団が作った臨時の拠点から離れた場所にいた。
そこにはちょうど川があり、細く流れる水を見つめながら、先ほどの話を思い出す。
――サーシャは、ヘリオン騎士団長のことが好きなんだよね?
エルのその言葉を思い出しては、否定するように頭を横に振る。
サーシャの長い髪が尻尾のように揺れる。
「ない……そんなことは絶対ないって」
改めてその言葉を否定する。
エルに対しても、サーシャは思い切り否定をした。
サーシャはアウロに対してそんな気持ちは持っていない。
サーシャがアウロに会いに行ったのは、フォル・ボルドーという男の記憶があったからだ。
ところどころ欠けている部分はあっても、十分に鮮明に残っているところもある――とても赤の他人とは思えなかったから、アウロのことを放っておけなかっただけだ。
――結果として、今はアウロの傍にいることになっているが。
(……前にもそんなこと言われたような気が)
アルシエにも似たようなことを言われたことを思い出す。
手作りの料理を食べさせようとしたときだ。
それも、アウロの食生活を心配してのことであって、別にアウロのことを――
(……あれ)
サーシャはそこで少し考えた。
アウロのことが心配で、アウロに会いに行って、そこでアウロの普段の態度や生活を改善させるために一緒にいる。
ただそれだけ――それだけだと思っていたけれど、思えば最近のサーシャはアウロのことばかり考えていた。
思い出に残る丘で会った時からそうだ。
サーシャがアウロに会いに行ったのは、ただアウロのことが心配だったから。
それはどういう気持ちだったのだろう。
自分のことなのに、その時のことがよく思い出せない。
アウロはフォルの親友だから、その記憶があるから行ったと思っていた。
けれど、今の自分にはそんなことは関係ないことでもある。
だって、サーシャはサーシャでしかないのだから。
(でも、私……アウロさんのことばかり考えてるのは、本当みたい)
サーシャも気付くことができたのは、アルシエとエルの二人から同じようなことを言われたからだろう。
それがアウロを好きということに繋がるとは、サーシャは思わない。
(そうだ。私はアウロさんのことが心配なだけで。別にそういう感情はない、ないんだ)
言い聞かせるように、サーシャは心の中で繰り返す。
フォルとしての記憶がそのままアウロへの恋心に繋がるなんて――あり得ない。
フォルとしての記憶にあるアウロはどこまでも直情的で、騎士らしくあるようで騎士として足りないところもある、そんな青年だった。
今のアウロは、その容姿や言動から多くの人に恐れられるという《戦神》と呼ばれる騎士団長。けれど、実際に話してみれば話し方は雑だけれど、騎士として真っ当な考えを持っている。
地下水道の、何も見えない場所でも真っすぐサーシャのところまでやってくることも、アウロでなければできなかっただろう。
それだけの実力を身に着けたというのは嬉しいことでもあったし、こうして危険な仕事ばかりに身を投じているというのは心配なのも事実だ。
「うん、だから、私は違う」
「何がだ」
「っ!? ア、アウロさん……! いつからそこに!?」
「いつからも何も、テントにいないから探しに来たんだろうが」
そう言いながら、アウロがサーシャの横に座り込む。
探しに来たということは、アウロもサーシャのことを心配していたのだろうか。
(……アウロさんの心配は、私のことを子供扱いしているようなものだろうけど、私の心配は親心? みたいなものかな。そう思うと、何かおかしいかも)
「ふふっ」
「何笑ってんだ」
「! べ、別に何でもないですよ。それより、わざわざ探しに来てくれたんですか?」
「明日の作戦はお前に任せてるんだから、当然だろう。早く寝ろよ」
「ああ、そういう。それなら別に心配しなくても大丈夫です。私のコンディションくらい、私が理解していますから」
「そうか? 少し疲れてるように見えたがな」
「!」
アウロに言われて、サーシャは少し驚いた表情をする。
そんな素振りを見せたつもりは一切なかった。
サーシャは今日、少しだけ無理をしている。
慣れない森の中を進み、高度な魔法の操作も行った。
誤魔化せる程度ではあるけれど、サーシャが疲れているのは事実だ。
それを、アウロから指摘されるとは思わなかったが。
「……そういう気遣いを普段から色んな人に見せてくださいよ」
「何だって?」
「何でもないです! 普段から色んな人にやさしくしてくださいねっ!」
「何でもなくねえだろうが。お前はそういうがな、俺は普段から誰にでも優しいぜ」
「そういうところ見たことないんですが。アルシエさんだって怯えているじゃないですか」
「あいつが臆病なだけだろ」
アウロの言葉を聞いて、サーシャは小さくため息をつく。
(こういうところがダメだって言ってるのに。私ばかりに優しくするんじゃなくて――ん、私ばかりに……?)
サーシャはまだ、先ほどまで考えていたことを思い出してしまう。
サーシャはアウロのことばかり心配して、アウロはサーシャに対しては優しくする。
そんな事実に気付いてしまうと、サーシャでも意識してしまう。
もしかしたら――
「……っ。き、今日はもう寝ます!」
「ああ、そうしたらいい。……なんだ、お前。風邪か? 顔が赤い――」
「何でもないです! おやすみなさい!」
「お、おう」
サーシャは勢いのままにアウロを残してその場を去る。
(そんなことはない……! 絶対にない!)
サーシャは改めて、自身の考えを強く否定する。
もしかしたらサーシャはアウロのことが好きなのかもしれない――そんな事実を、サーシャは認めなかった。




