39.誘惑に負けたりなんか
サーシャはアルシエと共に市場へとやってきていた。
王都の市場では様々な食材が手に入る――朝市であれば新鮮な魚介類も取り扱われているが、時間は少し過ぎてしまっている。
魚に関しては大分売れてしまっているようだった。
「何を作るかは食材から決めるっていうのありよね」
「食材からですか」
「ええ、サーシャちゃんは好きな食べ物ある?」
「す、好きな食べ物ですか……? 基本的には何でも食べますけど」
「えぇ、本当に? お野菜とか結構嫌いな物あるんじゃない?」
アルシエはいたずらっぽい笑みを浮かべながらそんなことを言う。
ドキリ、とサーシャは視線を逸らした。
「うっ――って、嫌いな物じゃなくて好きな物の話ですよねっ?」
「あ、そうね。何でもとかじゃなくて、好きな料理何かあるでしょう? そういうのでいいのよ」
アルシエの言いたいことは分かる。
何を作るか決めていないのなら、サーシャの好物から作った方がいいということだ。
アウロは基本的に肉を食べると言っていたが、サーシャも肉類は好きだった。
サーシャは少し迷いながらも、思いついた料理の名前を口にする。
「そういうことなら……ハンバーグとか、好きですけど」
「え、ハンバーグ?」
「……子供っぽいとか思いました?」
「お、思ってないわよぉ。わたしもハンバーグは好きだし。むしろ嫌いな人っていないんじゃないかしら。むしろ、作るならハンバーグは丁度いいと思うわ!」
うんうん、とアルシエが一人結論に達する。
サーシャも特段拒否する理由はなかった。
ハンバーグくらいなら作ることができる――できると思いたい。
「サーシャちゃんって料理はどれくらいするの?」
「今年に入って、一人暮らしを始めたのでその時からですね」
「じゃあ、まだ経験は結構浅い感じなのね」
「そうですね。でも、ハンバーグは好きなので作れると思います」
「……作り方は?」
「えっと、挽き肉を混ぜます」
「何と?」
「……卵?」
「間違ってはいないけれど何か心配ねぇ」
サーシャも決して適当に言っているわけではない。
作っているところも見たことはあるという、微妙な知識からの回答だった。
サーシャにとって必要なのは食材よりもまずはレシピ本ではないかという疑惑も感じられる。
ただ、何事もそつなくこなせるサーシャは、レシピさえあれば作る自信はあった。
「……アルシエさん、正確な作り方については教えてもらってもいいですか?」
「もちろん、いいわよ。家で練習していきましょ?」
「え、いいんですか?」
「ここまで来たら付き合うわよ。ふふっ、手取り足取り教えてあげるわ」
「あ、ありがとうございます」
サーシャはぺこりと礼をする。
何やら怪しげな言い方ではあるが、アルシエに聞いてよかった。
「そうと決まれば、食材は多めに調達してわたしの家で作りましょうね」
「はいっ、お願いしますっ」
サーシャとアルシエはそのまま、市場で食材の調達を続けた。
ハンバーグに必要な材料は市場であれば簡単に揃えられる。
あとは添え物やサラダなど必要な物を購入した。
「うん、結構いい感じに揃ったんじゃない?」
「そうですね。これだけあれば十分……な気がします」
多い少ないについての判断材料を持たないサーシャは、サーシャの視点から言えば多く感じなくもないが、アルシエに同意する。
サーシャはこのまま真っ直ぐアルシエの家へ向かう予定だったが、
「そうだ。サーシャちゃんは甘い物好き?」
「! どうしてですか?」
サーシャは一瞬、嬉しそうな表情でアルシエを見たが、すぐに元の表情に戻って問いかける。
「はいっ」と元気よく答えるところだったが、サーシャの目的は料理を作ることだ。
あまり口にすることはないが、だからこそサーシャは甘い物が好きだった。
自分へのご褒美に、と買うことはあるが積極的に向かうことはない。
今日も寄り道などをするつもりはなかった――
「おいしいケーキ屋さんがあるのよ。良かったら寄っていかない?」
「いきます――ではなくて、食材が傷んでしまいますし……」
「少しくらいなら平気よ。《氷の魔石》も入っているしね」
アルシエのいう氷の魔石とは、食材の保管によく使われる魔石だった。
氷の魔石は魔力がある限りひんやりとしていて、飲み物を冷たくするときや食材の保管に役立つ。
「そ、それなら少しくらいなら……」
「決まりね! じゃあ早速、行きましょうっ」
「あ、ひ、引っ張らないでください!」
基本的にはしっかりとした性格をしているサーシャだが、誘惑には非常に弱い。
押されてしまうとそのまま流されてしまうのだ。
アルシエの誘いに負けて寄り道をすることになったサーシャだが、
(何か忘れているような……?)
心の中で何か引っかかっているサーシャだが、今はケーキのことを考えることにした。
――料理のことも若干忘れかけているのだった。




