36.静かな朝……?
朝――重苦しい感覚がサーシャにはあった。
周囲はとても静かで、鳥のさえずりくらいしか聞こえない。
サーシャは眠い目を擦りながら起き上がろうとすると、
「んぅ……?」
そこにいたのは小さい犬――ではなく、寝息を立てて眠る一角狼の子供のクリン。
サーシャが引き取って面倒を見ることにした子だ。
部屋の隅のスペースをクリンのために用意していたのだが、どうやら出てきてしまったらしい。
起きているときは色々なことに興味があるのか、騒がしいこともあるが、寝ている姿はまるでぬいぐるみのよう。
(か、かわいい……)
サーシャは素直にそう思った。
成長すれば大きくなるということは分かっている――分かってはいるが、魔物でも幼体というのは可愛らしい外見のものがいる。
それこそ、ぬいぐるみを地でいくような存在だ。
抱きかかえたい衝動に駆られるが、クリンは熟睡している。
起きるにしても、そっと優しく床に下ろす必要がある。
「……」
「! わんっ」
「あ、起こしちゃった……?」
触った瞬間、パチリと目を開けて鳴き声をあげるクリン。
サーシャを見つめるその姿は変わらず可愛らしく――
「……っ」
思わず抱き締める。
サーシャはぬいぐるみ好きではあるが――基本的には可愛いものが好きだった。
クリンもそれに答えるように、ペロリとサーシャの頬を舐める。
「申請、通るように頑張るからね……!」
サーシャにできることがあるわけではないが、許可が下りればクリンはサーシャのペット――とは少し違うが、保護しているという形になる。
クリンはそんなことを知るよしもなく、サーシャの言葉を受けて、
「わうっ」
「……へ?」
生暖かい感覚がサーシャに広がっていく。
嫌な予感がありながらも、サーシャはクリンの下の方を見ると――案の定おしっこをしていた。
「わ、わわっ、よりにもよってベッドの上って……!」
「わうっ?」
慌てるサーシャに対して、首をかしげるクリン。
クリンの大きさから考えても一角狼としてはまだ赤子の部類――サーシャも怒るようなことはしない。
(でも、しつけはしっかりしないと……)
サーシャの心の中で固い決意が生まれる。
もちろん、保護という形である以上、クリンが一匹でも生きられるようになれば森へ返すこともあり得る。
それまでは、サーシャが親代わりということになる。
「いい? クリン、おしっこはここでしたらダメだからね?」
「わうっ?」
「わうっ、じゃなくてはい――って答えられるわけないか。とにかく『めっ!』だからね?」
「……くぅん」
「!」
叱られているというのがサーシャの表情で分かったのか、しゅんとした姿を見せるクリン。
それを見て、サーシャの心はすぐに揺らいだ。
「ま、まあ……少しずつよくしていけばいいから」
そう言って、優しくクリンを撫でる。
どうにもきつくしつけるということはできなさそうなサーシャだった。
ただ、まずはシーツを片付けなければならなかった。
「替えのシーツとかあったかな――」
「騒がしいな、何かあったか?」
ガチャリ、と扉を開いてやってきたのはアウロだった。
サーシャを《騎士団長補佐官》に任命した、王国第二騎士団の騎士団長――今、サーシャはアウロの家に厄介になっている。
クリンのおしっこで汚れたベッドと、サーシャの方を交互に見るアウロに、サーシャは言う。
「違います」
「おう」
「違いますって」
「心配すんな」
「違いますからぁっ!」
冷静に説明するつもりだったが、冷静でいられるはずもなかった。
「こ、これはクリン! そう、クリンのオシッコなんですっ」
「だから心配するなって言ってるだろ」
「い、言い訳とかじゃないですからねっ!? 大体、人の部屋に入るならノックくらいしてくださいよ!」
「したが」
「……っ!」
サーシャがクリンのことに夢中で気付いていないだけだった。
顔を真っ赤にして弁明するサーシャに対して、アウロは冷静だった。
「お前が漏らしたとか思ってねえよ」
「あ、当たり前じゃないですか……!」
「そうやって動揺してる方が疑われるぞ、戦いでも常に――」
「疑ってるんですか!?」
「待て、聞け」
結局、自分で騒々しい朝を作り出すことになってしまったサーシャだった。
少し短めかもしれないですが、第二部開始です!




