32.戦う理由
一角狼の見据える視線の先には、アウロとサーシャがいる。
サーシャが全力で魔力を扱える時間はおおよそ十一分。
ただし、これはあくまで扱える時間だ。
魔法も合わせて使用すれば――実際にはもっと短い時間になる。
一角狼の傷はかなり大きい。
時間さえ稼ぐことができれば、アウロとサーシャの勝ちだ。
「奴は必死だ。追い詰められた獣ほど強い者はいない。サーシャ、お前が加勢したから有利になったとは思わねえ」
「分かっています……っ」
《戦神》と呼ばれたアウロに対して、致命傷を負いながらも一角狼はまるで引けを取らない。
そこまでして戦おうという意思が一角狼にはあった。
ズンッと一歩、一角狼が踏み出す。
先ほどのアウロとの戦いのように、闇雲に突っ込んでくるわけではない。
(まさか、警戒してる……?)
サーシャは先ほどまで、一角狼の視界にすら入っていなかった。
今は違う――アウロに対する攻撃が届かなかったのは、サーシャが原因であると理解しているのだ。
だからこそ、一角狼は様子を見ている。
アウロとサーシャも同じだ。
一角狼の動きに合わせて対処する――そのために一瞬たりとも気を抜いたりはしない。
向き合ったままお互いに動かない。
この状況で、一番負担が大きいのはサーシャだった。
戦う決意をしたとはいえ、一角狼に対する恐怖は消えていない。
向き合っているだけでも相当な負担であり、戦いが始まる前から呼吸は荒くなっていく。
「ふっ……ふぅ」
(大丈夫……落ち着いて)
サーシャはそれでも、冷静ではあった。
魔力を全開した状態で、サーシャはすでに複数の魔法を発動している。
身体能力を向上する効果と《透視》の魔法。
本来、ある程度限られた建物の内部などで使用することで物や人間の位置を把握することができる。
サーシャの今の使い方はその応用――透視の魔法で一角狼を見ることで、わずかな行動の変化も見逃さない。
(この状態だと数分くらいしか持たない……けど、一角狼の方が、たぶん長くない)
サーシャの判断は正しい。
一角狼の出血は止まることはなく、アウロとの戦いでさらに出血が激しくなっている。
むしろ――まだ動けていることの方が驚きだった。
「どうして、そこまで……」
「そうするだろうな。こいつは」
「! やっぱり、理由が――」
「話は後だ! 来るぞッ!」
「っ!」
サーシャの言葉を遮り、アウロが叫ぶ。
限界を迎える前に一角狼が動いた。
左側へと跳躍し、サーシャとの距離を詰める。
先に狙うべきはサーシャ――そう一角狼は判断したのだろう。
だが、それよりも早く反応したのはアウロの方だった。
「させるかよ」
サーシャと一角狼の間に割り込むようにアウロが立つ。
サーシャもまた、魔力の壁を展開する。
一角狼は駆ける――その速度は目で追うのがやっとであり、サーシャは透視の魔法を使用していなければ追いつけていないほどだった。
(私の背中を取ったら、来る……っ!)
サーシャの視界の外から狙うつもりだろう。
サーシャはそれを理解した上で、あえて背中を見せた。
一角狼が地面を蹴る。
その大きな身体で跳びかかり、サーシャに向かって鋭い角を突き立てようとする。
「――私にはもう、それは届かないっ!」
サーシャは自身の背後に魔力の壁を作り出す。
初めから壁を作り出す準備をずっと続けていた。
一角狼の角がサーシャの魔力の壁に衝突する。
その勢いは凄まじく、一瞬でサーシャの魔力の壁を突き破る。
だが、瞬時に二枚目の魔力の壁が作り出される。
一枚目の魔力の壁によって圧し殺された勢いは、それでもサーシャの魔力の壁を上回る。
二枚目の魔力の壁を突き破って、サーシャを貫こうとする角は迫る。
そこに、アウロが剣を振り上げる。
勢いが殺された状態では、アウロの方が攻撃力で上回っている。
角が弾かれると、一角狼がバランスを崩した。
アウロが一歩、力強く踏み出す。
先ほどの一撃は一角狼に対して浅く入った。
今度は確実に入れようとしているのだ。
一角狼もそれは分かっている。
バランスを崩しながらも、アウロに向かって前足を振り下ろそうとする。
だが、その一撃が届くことはなかった。
「ッ!」
パァンと渇いた音が、一角狼の前足を弾く。
その空間で小さな爆発が起こったように、一角狼の攻撃を弾いたのだ。
――《風界》。
サーシャの使用した魔法によって、風が渦を巻くようにアウロの周辺には漂っていたのだ。
ぶつかると勢いよく風が爆発するような威力を見せる――殺傷力はないが、防御には適している。
「オオオッ!」
アウロが雄叫びと共に、剣を振り下ろす。
一角狼の胴体に深く、アウロの剣が入った。
赤い血が噴き出すが、アウロはさらにもう一撃を繰り出す。
「グルゥ……」
初めて、一角狼は苦痛の声を上げた。
一撃目も二撃目も――完全に一角狼の命に届く攻撃だ。
「ッ!」
だが、アウロはすぐに後方へと跳んだ。
サーシャもすぐに気付く。
ただでさえ深手を受けながらの追撃――それでもなお、一角狼はまだ動けたのだ。
一角狼が地面を蹴ると、倒れ込むようにサーシャに向かって角を突き出す。
サーシャは後方へと跳び、それを回避する――だが、追いかけるように一角狼は角を突きあげた。
「サーシャッ!」
「っ!」
サーシャは咄嗟に、自身の身体の前に厚い魔力の壁を作り出す。
それは精巧なものではなく、およそ普段サーシャが作り出すものとはかけ離れた乱雑なもの。
だが、その壁がクッションになる形で、サーシャの小さな身体を押し出した。
空中に投げ出される形になるが、角による直接攻撃を避ける。
地面を転がるサーシャは、すぐに態勢を立て直す。
吹き飛ばされた勢いで頭部から出血するが、それでもサーシャはすぐに一角狼に向き合った。
「大丈夫ですっ! それよりも一角狼を!」
「……いや、待て」
サーシャの言葉に対して、アウロは制止するように言った。
サーシャも一角狼の方を見る。
サーシャに飛び込んできたのが最後の力だったのだろう――もはや、満足に動く事も出来ない様子だった。
自身の血で足を滑らせながらも、それでも一角狼はよろよろと立ち上がる。
「まだ、戦えるって言うの……!?」
サーシャは身構えるが、一角狼はもうアウロとサーシャが見えていないかのように、不意に別の方角を向いて歩き始める。
「……え?」
「あいつはとっくに限界を超えてる。もう、前も見えていないんだろうな」
アウロはそう言いながら剣を納めた。
その行動に、サーシャは少し驚く。
「トドメは、刺さないんですか?」
「必要であればやる。だが、もう必要はねえ」
「それってどういう……?」
「見てれば分かる」
わずかな時間でも生きていた方がいいということだろうか――アウロはきっとそんなことは考えない。
よろよろと歩き始めた一角狼が辿り着いたのは、《マルクーフ》の葉が生えている場所だった。
(自分の傷に効く薬草が分かってるってこと……!? でも、あの傷じゃ――)
サーシャの考えは、すぐに否定されることになる。
一角狼は、無造作に薬草を口でむしり取ると、そのまま歩き始めた。
その減り方は、サーシャが薬草を取りに来た時と同じく一画が丸々なくなってしまうようなむしり方。
サーシャも、そこで察してしまう。
「まさか……」
「ああ、後はあいつを追いかけるだけだ」
一角狼が向かったのは、草原を抜けた先――煙の上がっていた方角だった。
火が広がっていることはなく、すでに静かな森に戻っていたそこは――木々に囲われた一角狼の巣となっていた。
そこにいたのはおよそサーシャの知っている一角狼とは違う、小さな子犬のような一角狼の子供だった。




