18. 銀座 ライオン本店
ライオンといえば、羽田空港到着ロビーで人々をうまそうな匂いで誘う店だ。
それ以外にも東京を中心に各地に店を出し、そのいずれにも一貫した主義を貫いている。
「ここはビールをおいしく飲ませる店だ」
という矜持だ。
人とは不思議なもので、悪酔いするとわかっていながらもつい次の酒に手を出してしまう。
今は忘年会の季節なので尚更であるが、まずはビールで乾杯、次は日本酒の冷、ついで熱燗をきゅっと流し込み、ようやく腹が据わってくる。
そこで今度は焼酎だ。 お湯割り、水割り、時には蕎麦湯割り。
特に会社の関係で上司や同僚と飲んでいるときなどは、いつのまにかプレートの下がった焼酎の瓶がでんと居座り、若手がお湯から入れるのだとか水割りは氷でまずグラスを冷せだとか、
先輩たちにああだこうだと指図されつつ必死に酒を入れる光景というのも珍しくはない。
河岸を変え、銀座あたりのクラブへ行けば次はウイスキーの水割りに進み、悪酔いした人の中にはこっそりとウイスキーをウーロン茶にすり替えるのも光景である。
だがライオンはそんなことはしない。
ビールだ。
徹頭徹尾、ジョッキを片手に飲むドイツ式の宴会こそ、この店にはふさわしい。
肴も無論のこと、ビールに合うものがすべてと言ってよい。
ビール、そしてソーセージにチーズ、魚、さらにビール。
時間がたつのを忘れるようだ。
チェーン店だと侮っている人がもしおられるとするならば、自らの胸に聞いてみるといいだろう。
「自分はビールをいかにおいしく飲むかについて、考えたことがあるだろうか?」
と。
この店はそれを始終考えてくれている。
そして私がよく行くライオンはその中でも旗艦店といえる、銀座七丁目の『ビアホール ライオン』だ。
ここは、ほかの店と全く違う。
味がではない。
雰囲気が違う。
それは入ってみるとたちどころにわかることだろう。
そこは一般的にあるような、仕切りで区切られたテーブルやカウンターがあるのではない。
見渡す限りの広い空間の壁にはモザイク画が張られ、その中を無数のテーブルが埋めている。
入った客はそのどこかに案内されるのだ。
夕暮れともなれば、ジョッキを掲げる酔客の声がうわんとした音響となり、一種異様な幻想味を帯びる。
まるで異国のような……それでいて戦前の日本を思わせる不思議とゆったりした空気に、誰もが心に覆ったコートを脱いでいく。
夕暮れの光が入口から差し込み、ぼんやりとした光とジョッキにシャンデリアから反射するきらりきらりとした輝き、そして人々が口にする煙草の紫煙……。
その光景を非とする人には何の感慨を呼ぶでもなかろうが、私にはこの空間がたまらなく素晴らし『かった』。
この店がいつのころからあるのか、試みに紐解いてみれば。
『銀座ライオン』は、サッポロホールディングスの子会社であるサッポロライオン株式会社の経営になる。
サッポロビールのサッポロだ。
1934年、かの新橋演舞場を手掛けた菅原栄蔵の設計のもと、このビアホールは生まれた。
爾来80年。
戦前の空気を残しながらも、多くのビール好きをこの店はひきつけてきた。
私は、この店に行くと、ビールとともに必ず頼むものがある。
『シュリヒテ・シュタインヘイガー』。 ジンだ。
本場ドイツでは、この杜松の香り漂うアルコール40度のこの酒をチェイサーに、老若男女問わずビールをたしなむというが、確かに良い。
キンキンに冷えたジンの燃えるような味が、ビールの酸味、甘味、旨味を引き立てる。
そして熱いソーセージを口に運ぶ時のたまらない美味しさ。
合間に嗜む煙草の香りの豊かさ。
この店では、かつて戦場に行く将兵も、銀座に居を構える旦那衆、そして老いも若きも上流も中流も、様々な人が訪れたという。
そんな人々の残り香、海軍士官の襟につけられた香水、欧州文化華やかなりし時代の豊かさがここには残っている気がする。
精神的な豊かさだ。
効率を求め、無味乾燥な箱のような家に、機械のような無表情なインテリアを飾っているのとは違う。
机に、モザイクに、シャンデリアに、磨き抜かれたカウンターに残された職人の芸。
そこに集った人々の心の豊かさ。
美しいものがあちこちにあり、それを素直に美しいとだれもが賞賛できたことの素晴らしさ。
銀座のライオンは、それが残っている店なのである。
値段はというと、無論のこと高くはない。
だが、他の支店と比べるとほんのわずかに高いそうな。
それは腹のみならず、心まで豊かだった時代を思い出させてくれる代金とするならば、喜んで払える程度の額である。
私は、この店が好きだった。
かなうことならばもう一度あの雰囲気を心行くまで味わってみたい。
だが、私は残念ながらもう二度と、あの雰囲気を楽しむことはできないし、しない。
なぜならば……。
2015年12月1日から、1階のビアホールが全席禁煙になってしまったからだ。
世間の風潮とは言うまい。
自分も決して紫煙が万人に心地よいとは思わないが、子供のいるはずもない酒場で煙草を吸わないというのもまた、異様だ。
ま、煙草を吸わない人間にとっては、他人の紫煙は不快なだけだろう。
そういう人間にとってはかえって行きやすくなったと言えるかもしれない。
漂う甘い煙がなくなったとしても、ほかの点はかつてのままであるのだから。




