17. 銀座 煉瓦亭
『銀座も昔は煉瓦地と申しました その頃から洋食は煉瓦亭へ』
手渡されたマッチには、情緒あふれる絵と共にそう記されている。
ここには先輩に連れられて来たのが初めてだった。
丸の内の会社に勤め始め、前途に対する不安と、丸の内でサラリーマンになったという妙な満足感とがないまぜになった、青臭い新入社員だった頃のことだ。
「学生時代はこんな店に来たことなんかないだろう」
と、まだネクタイも満足に結べないボンクラであった私を、その3つ上の先輩は連れて行ってくれたのだった。
私の世代までは、まだ銀座は『ドレスコードのある町』と言われていた。
最近はそうでもないが当時はまだノーネクタイでは銀座に連れていけないな、と先輩に言われたことも多々あった。
その日はクールビズ期間中だったが、馬鹿な私はカフスボタンまでして付いて行ったものだ。
*
中央通から路地を一本有楽町側に外れ、隣にこれまたおいしそうなロシア料理屋の近くに店はある。
中は地下1階、地上3階で、池波も足しげく通ったその店はなんというか、一歩踏み込んだだけで昭和初期にタイムスリップしたようだった。
帳簿台の、古めかしいレジスターの前に座る大旦那はあくまで穏やかな暖かい目を客に向け、息子さんなのだろう、顔立ちがよく似ておられる若旦那が手ずからドアを開けて下すった。
その時頼んだのは忘れもしない、ポークソテーだ。
古式ゆかしいメニューに『ポークチャプ』と書かれているのがポークソテー。
豚肉を柔らげに焼き、小さな玉ねぎを煮たものと、平麺のパスタがついている、肉の上にはパイナップルの輪切りが焼かれてひとつ。
これで2,000円はいかなかった。
先輩は「おれはこれだよ」とハヤシライスを頼んだ。
香ばしいブラウンソース。
大ぶりの牛肉がかかり、しゃきしゃきとした玉ねぎの甘味が心地よい。
などと書いているのはその時、私は間抜けにもご飯を頼み忘れ、ポークソテーしかなかったからだった。
仕方なく先輩がわけてくれたハヤシライスのおいしかったこと。
ポークソテーの色合いの妙。
周囲で落ち着いた風情でそれぞれの夕食を口に運ぶ人たち。
空腹を満たすだけに殺伐と食べるチェーン店の丼や、ぎゃあぎゃあと騒ぐ居酒屋とは違う。
『銀座で、いい洋食屋で食事を楽しむ』という悦楽。
まさに楽しむための食事だった。
ポークソテーは豚肉らしさを残しながらも、あっさりとしたソースが肉によく合う。
人によって賛否両論あるのであろうが、パイナップルと共に味わうとまた甘くてよい。
口の中の味わいを変えるために食べる野菜のおいしさ。
さっぱりとした口にパスタをほおばると、その優しい味に心も落ち着く。
心も胃袋も間違いなく落ち着いたところで、レジスターで示された金額が、3,000円。
ポークソテーとハヤシライスを心行くまでゆっくりと食べてその値段だ。
気取った『何とか星シェフのリストランテ』とやらで食べれば、優に2倍はいくだろう。
戦前から銀座で名を成した古い洋食屋の心意気である。
池波はここで若いころは大カツレツを2人前は平らげたという。
晩年になっても銀座めぐりや映画鑑賞の後で、ここで上カツレツにハヤシライスを食べて酒を飲み、
満ち足りて帰って行ったという。
私はカツレツも食べたが、何よりここで頼むのはポークソテーであり、ハヤシライスだ。
そこには、昭和高度成長期のさらに前、まだ夕食に情緒と風情がふんだんにあったころの雰囲気が濃厚に残っている。
それを楽しみに一人でも行ったし、友人とも行ったし、仕事の関係で父母が上京した時も、私の家族ともどもここに連れてきた。
その時はいつも通される地下や一階ではなく、三階の小座敷にあげていただいた。
「小さな子供がいると、下の階では気忙しいであろうから……」
その心づかいのありがたさ。
もし、金を払って食べる食事を、生涯の最後にどこか選べと言われたら、ここを選ぶかもしれない。
未来のことは分からないが、震災も戦災も戦後の狂奔した時代も乗り越えて、古くて良いものを残してくれたこの店は、たぶん私が死ぬであろう数十年後も同じように残っていてくれるだろう、と信じられてくるのである。




