表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/21

15. 駒形 前川


良い店の条件とは、なんだろうか。

勝手に言うなら、それは金を払ったとき、『惜しくなかった、また来よう』と思わせる店に尽きると思う。

飲食店に限った話ではないが。


先日、お世話になった会社の先輩が定年になった。

私にとっては父に近い年の方で、私とほぼ同年代の息子がいる。

苦労なすった人で、その為か我ら若手には厳しく、優しかった。

それでいて、人を見る目は厳格で、めがねにかなわなければ見向きもされぬ。

ありがたいことに、よくしていただいた。


そんな方が、先日風邪を引いた。

快復してから、土用に近いし精をつけようとばかりに行ったのが浅草、駒形橋のたもとにある鰻屋『前川』だ。


この店は創業は無論のこと江戸、府内一と押す人も多い鰻屋だ。

今は天然物の代わりに、扱う店の少ない最高級の養殖鰻、坂東太郎を食わせる。

鰻重と言えば甘いタレだが、ここのタレは甘くない。

重だけでも良いが、この日は鰻巻きから白焼きから、と一通り食わせるコースを頼んでみた。


二階の席からは、隅田川が見える。

畳敷きの座敷の窓沿いに点々と机が設えられ、夕暮れに向かう隅田川、そして点灯したスカイツリーが茫漠と見えた。

昔は純和風の建物で、隅田川から船で付けることも出来たという。

夕暮れ時、芸者を乗せた船が、新内を流しながら行き交うのを見ながら鰻を食べる風情は、さぞ抒情的であったことだろう。


ビールで暑熱を逃がし、先付から八寸、そして先ずは白焼きだ。

山葵がいい。

ビールが進む。


次は鮪にとろろを掛けた一品、そして八寸。

刺身も出るが、懐石風にしていかないと、なかなか難しいのだろう。

日本酒に変えたあたりで鰻巻き。

甘くないのが良い。

日本酒と玉子は存外に合うものだが、これはいい。

そして肝吸いと鰻重が満を持して出てくる。


私は肝吸いが好きだ。

肝の付焼き、というものを食べたことがあるのだが、下手味がなんとも良かった。

それに比べると品が良いが、さすがに味わいは枯淡で、最近とみに飯の趣味が枯れてきたので嬉しい。

鰻重は大きさで違うが、例えばその辺の牛丼屋の鰻重と違って一匹がきちんと入っている。

あれは伊井蓉峰の話だったか、明治の頃、鰻屋に行った人が半身の鰻重を出され、『ここの鰻は半身で泳ぐのか。そんな化け物食えるかよ』と、庭に鰻重をぶちまけて帰ったというエピソードを読んだ。

現代人なら10人の9人が反感を抱くと思うが、個人的にはその人には賛成する。

金がなければ兎も角も、偶に贅沢をしたければ鰻は一匹丸々食べるのが良い。


ここの他、浅草には『色川』という鰻の名店があるが、人を呼んで酒を呑み、鰻重を食べるならやはりここが東京一かもしれない。

値段も、まあお気軽に食べられるレベルではないが、それはそれで良いものだ。

鰻と飯を一粒残さず食べ、満足したところで、諭吉先生が何人かお隠れになられた。

全く惜しくなかった。


その先輩も喜ばれたろうか。

ちなみにその人とは、その後浅草・ビュウホテルの近くのスナックに行き、たまたま行き合った御歳87の鳶の大棟梁、84の職人とゆるりと煙管を喫みながら話した。

それも、それで良い。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ