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番外 大阪法善寺横丁界隈

 大阪の町は、よく行った。

仕事で行くことがほとんどと言ってよかったし、そうであればそれほどのんびりも出来ない。


戦前から戦後にかけて、かの「大大阪時代」と呼ばれる空前の繁栄を享受した大阪の町は、私が通っていた時、かの橋下市政のもとで、徐々に活気が取り戻されつつあったころだった。

とはいえ、再開発の名の下に、かつて名曲『宗右衛門町ブルース』が歌い上げたような往時の大阪のしっとりとした雰囲気はとっくに失われている。


……と、私は浅はかにも誤解していた。


 その日。仕事を終え、お客様に頭を下げたあと、私は勇んで大阪駅まで向かった。

年長の畏友とも呼べる方が、待ってくださっていたのだ。

大阪の歴史に通暁し、いろんな点で端倪すべからざるその方には、お世話になりっぱなしである。


そんな方に連れて行って戴いたのが、法善寺横丁であった。

織田作之助が『夫婦善哉』で描ききった古き良き大阪、まるで芝居の登場人物になったかのような世界が、そこにあった。


 時刻は日暮れ。

夕闇が静かに去り、うす闇に包まれる町を彩るように、赤いぼんぼりが町を照らす。

店の明かり、『不動明王』と書かれた寺の明かり。

石畳の地面は、河岸を探す酒客の足音が木霊し、左右に隙間なく広がった店からは、大阪弁の楽しげな声が響いていた。


「ええですやろ」


そう嬉しそうに振り向いた畏友・松永氏に、私は頷くこともできなかった。

それほどまでにすばらしい光景だったのだ。

石畳を革靴が打つ音、和装洋装様々な人々が行きかう夜の法善寺横丁は、さながら現代にふと浮かんだ百年前の幻だった。

明治、あるいは大正、昭和の『古きよき時代』だ。

ツイードを優雅に着こなし、シルクハットに杖の紳士や、華やかな衣装を纏った千日前芸者が現れても、おかしくない。

さながら大きな芝居の登場人物のように、私と松永氏が歩く横を、子供が両親と一緒に不動に手を合わせている。


「芝居みたいですねえ」


かろうじてそれだけを言った私に、松永氏は莞爾と笑い、


「大阪の一番ええとこですねん」


と、どこか誇らしげに仰った。


 往古、この横丁は千日念仏を行い、千日寺とも呼ばれた法善寺の境内であったという。

門前町である千日前が繁栄するにつれて、かつては堂宇が静かに立ち並んでいたこの通りも、大小さまざまな店が軒を連ね、非常な活況を呈したと物の本にある。

戦災、そしてあの阪神大震災も超え、ここだけは古い大阪の賑わいを頑固に守り通している。

レトロが叫ばれ、日本のあちこちで、古い町並みを残そうとようやく試みられるようになった時代だ。

飛騨・高山、武蔵・川越、備後・鞆といった町々はもとより、江戸でも昭和の後期は火の消えたようだった浅草がいまや都下最大の観光地として、国内外を問わず、多くの観光客を集めている。

忘れ去られていた旧帝国海軍の軍艦や、古来の名刀が若者を引き寄せ、各地では地元の大名や志士を町おこしに使おうと懸命だ。

それはそれで素晴らしい。

だが、最もすばらしいのは、過去を無理やり再現するよりも、こうして過去から風景や遺産を守り通すことにあるのではないか、と私などは思う。


 その日、その前に一軒行っていたこともあって、私たちは横丁の一角のバーに入った。

難波っ子らしいマスターとその母親が、真剣な顔でウイスキーを注ぎ、シェイカーを振っている。

私達の横には、観光パンフレットらしい紙を手にした西洋人の女性が座っていた。

机に置かれたパンフレットには、『OSAKA』『Hozenji Yokocho』と夜の横丁の写真と共に書かれている。


「あのお姉さん、いい夜に、なんとも運がいいですねぇ」

「そうでんな。ええ時にきはりました」


そう囁き交わす私達の横で、その女性がウイスキーを飲み終え、席を立った。

マスターに何かをたずね、マスターが地図のどこかを指差す。

嬉しそうな彼女が、不動尊のほうへと歩いていくのが見えた。


「大阪はええ町ですさかい」


マスターの老母が、その女性に会釈してそうにこりと微笑んだ。



 松永氏と別れて、私はホテルに戻ると、途中で買ったウイスキーを部屋で飲みながら、ふと窓の外を見た。

足元に見える純和風の家から、羽織をゆったりと着た旦那風の人が出てくるのがふと見えた。

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