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10. 広島 一福

正式には『奥出雲そば処 一福』という。

出雲蕎麦の店だ。広島駅前に店があるが、ここは支店である。

では本店は?というと。


多分、余程の蕎麦食いでないと東京や大阪、博多から足を運べないのではないか。

そんな、雪深い広島・島根の国境、頓原と言う峠に店はある。

だが、寂れた田舎かというと、さにあらず。

関東平野を見慣れた人には圧迫感すら与えるであろうその峠には、恐るべきことに暖簾が下がっている間、大抵行列が並んでいる。


中に入り、蕎麦茶を受け取って一息つくと、と、まず箸入れのような入れ物がある。

あるのは、蕎麦がきだ。

といっても、所謂普通の蕎麦がきではなく、油掻き、つまり蕎麦のフライである。

香ばしいそれは、無料だ。

本店のみのサービスで、それはキツい峠を越えてきてくれた客への、暖かなサービス。


そして蕎麦が来る。人の好みは好き好きというが、是非『割子蕎麦(わりごそば)』を行った人には試して欲しいと、思う。

これは、普通の蕎麦ではなく、小さく盛った蕎麦を入れた塗り椀の上から、ダシをかけて食べる、いわばぶっ掛け蕎麦だ。

出雲は、西日本にしては珍しく、蕎麦文化圏であるが、こうした食べ方は東京ではあまり見ない。

客を飽きさせぬよう、山菜の天麩羅や茸、紅葉卸などが蕎麦にはそれぞれついており、人によってはそうした味わいの妙を楽しむことも出来る。

昔は、鶉の生卵を載せ、溶きながら食べる蕎麦もあったが、最近はどうだろうか……


 頓原は、美しい場所だ。

のしかかるような中国山地の山々を背負い、四季折々の緑が、店の周囲を豊かに彩っている。

東京や大阪の都市部にある、アスファルトで舗装し、瀕死の街路樹を数本植えただけで、偉そうに『緑道公園』などと命名して悦に入っている都会のお仕着せの自然とは全く違う、恐ろしいほどの自然。

それでいて、どこかに懐旧の情が忍ぶのは、やはり日本の山だからであろうか。


私の実家は出雲大社と八重垣神社に帰依しており、よくお前の産土(うぶすな)は須佐之男尊だと言われた。

そのせいか、大社の祭礼では島根に行くことがあり、高速道路の開通前はいつも頓原の峠を越えた。

その時に家族で食べた春や秋の蕎麦。

窓から見える山々の絢爛たる彩を、いまだに思い出す。

江戸蕎麦よりやや甘めのつゆに、しっかりと絡めてすする蕎麦の味は、行って見ないと私自身わからないかもしれない。

最近、この店は広島をはじめ方々に支店を出すようになった。

この店を愛するお客が増えていくのは、実に嬉しく、楽しい。


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