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奥様に捨てられた伯爵様  作者: 三輪有利佳
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「あの…本当に有難うございました。」

 涙で腫れた目を冷たいお絞りで冷やしながらローズは頭を下げた。


 カークランド兄弟の馬車にアルフレッドは乗せられ、ローズは行きと同じゴールドスミス伯爵家の馬車に揺られている。


 待機していた若いメイドが心配そうに背をさすってくれる。


「ローズ様よく頑張られましたね。私でしたらあんなクソ旦那蹴り飛ばしてしまいます。」

 若いうえに威勢も良いメイドでもあった。


「すまないね、君も言いたいことがあっただろうに俺ばかり一方的に喋ってしまって。」

 ローガンはガシガシと頭をかきながら苦笑いをした。


「いえ、スッキリしました。

 あの家の異常さが外にいるとやっと理解できたんです。

 何だったんでしょうね?私の結婚生活って……」

 そう言うとローズは笑顔を作ろうとして失敗する。


「情けなくて……」

 ポロポロと涙をこぼすローズをローガンは思わず抱きしめる。


「君はすごい決断をしたんだ。貴族の奥方が離婚を決断するのは並大抵のことじゃない。

 それに今からが本番だ。離婚届を受理させて、支度金を慰謝料として取り返さなきゃならない。

 だけど、少し話しただけでもわかる。あんな人間に関わってちゃ一生幸せは訪れない。彼には他者を思いやる気持ちが無いんだ。

 誰だって遊びたい時期はあるさ。だけど家庭を作ったからには責任が伴う。

 夫婦って最初は赤の他人から始まるけれど、相手の気持ちになって考え、それを感じ取ることで敬う気持ちが生まれる。それが家庭の第一歩だ。」

「私が鼻持ちならない女だから嫌われたんじゃ…」


「違うよ。彼はローズの立場に一度だって立とうとしなかった。

 だからあんな態度だったんだ。

 子育ては一人では大変なことだ。ましてやあの家の使用人たちは全然協力的じゃなかった。血の繋がっていない俺でさえアルフレッド君のような優秀な子供を産んで育てた君を尊敬するのに彼には全くそれがない。

 いや分からないんだろうね。君の状況を想像したことがないから。


 ローズ。君は冷たい旦那であっても何度も理解しようと頑張っていた。その努力は賞賛に値するんだよ。」

「でも、私は本当の意味で彼を理解していなかったのよ。だから〈嫌味な女〉って罵られたのよね?」


「彼には教えてくれる友人も、恵まれていると素直に受け入れるように忠告してくれる親も居なかった。だが一番はちゃんと自分で気が付かないといけないんだ。

 可愛くて頭のいい奥さんをもらえたことを素直に喜び、賢い息子の成長を一緒に祝うべきだった。それが出来ない男に幸せはいつまで待ってもやって来ない。」


 ローズはストンと腑に落ちた。


 自分が悪いのだといつも己を責めていた。


 もっと妖艶な美女に生まれていれば夫は愛してくれたのではないか?

 学歴を仄めかすような態度をうっかり取ってしまったから嫌われた。

 ベッドで夫を喜ばすような技を、奔放な友人に教えてもらうべきだったのではないか?


 だが、そうじゃない。


 二人は夫婦だったのだからお互いの立場に二人で何度も立って、想像して行くべきだった。


 一方的に謝ったあの日、卑屈にならず『馬鹿にしてないわ!協力するから一緒にペンデルトン家の事業を盛り立てましょう!』と言ってみれば良かったのかもしれない。


 姑からは眉を顰められても、ジークフリードと対等な立場で言葉をぶつけていれば何かが変わった可能性もある。


 でも、全ては起こってしまった。


 当主に嫌われ、使用人に侮られ、伯爵夫人として行動していれば起こらなかった事件が起きてしまった。


 カークランド家も既に乗り出して兄や母たち、友人たちにも全て自分の状況はバレてしまったのだ。


 不安で揺れる気持ちをローガンは理解してくれているのだろう。


「大丈夫だ。力になると言ったろう?

 俺は美丈夫だと褒められたことは一度もないが、こういう厄介ごとの処理能力は長けているんだ。策略家だからね。」

 そう言って微笑んだ。


「数日はご実家に身を寄せて気持ちを休めなさい。

 その後は君の就職に向けて我が家で猛勉強だ。

 何せ子供を無事成人まで育てる資金を得ないといけないんだからね?」


 ローガンは文官の試験を受けろとこの計画を始めるときに提案してきていた。

 ローズも自分の取り柄が勉強だけであると自覚はある。


 そうだ。人生を取り戻すんだ!


 ローズはしっかりと頷いた。







 威勢の良いメイドはその姿に嬉しそうにコクコク首を振る。

「旦那様〜良かったですね。疑うことを知らない純粋培養の奥様で。」


 ローガンはローズを抱きしめながらメイドを軽く睨んだのであった。




 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>


 カークランド家ではそれから数日、妻たちが二人を甲斐甲斐しく世話をした。


「苦労したわねぇ。本当によくぞここまであんな男に我慢したものだわ。」

「本当に…手なんかこんなに荒れてしまって。

 でも、今日からはゆっくりここで過ごせば良いわ。アルくんもうちの子たちに歓迎されているのだし。」


 子供たちのテーブルでは自分が焼いたクッキーを食べろ褒めろと姉妹が大騒ぎしている。

 アルフレッドはそんな女の子に囲まれて苦笑いだ。



 兄弟の妻たちは義理の妹にあたるローズを丁寧にもてなした。

 傷ついているローズの立場を思うと怒りで夜な夜な夫に文句を言ってしまうが、今やローズは安全な家の中。それが何よりも嬉しい。


 アルフレッドもおませな姉妹に騒がれつつ、日々不足はないか?と気遣われて擽ったそうに過ごしている。



 弁護士に頼んで作成してもらった離縁状はその日の夕刻にはペンデルトン家に届けてもらった。

 どうやら前伯爵と大奥方も家にいたらしく家中蜂の巣をつついたような大騒ぎになった……とは後日談。


 家を出ることイコール離縁であると彼らは微塵も思っていなかったようですね、と弁護士は呆れながら話してくれた。


 カークランド家はローズは勿論のことアルフレッドへの仕打ちを虐待だと捉えている。

 彼らからすれば、あんな事故が起こったのにローズたちが無事に戻って来れた事は奇跡だ。もうこれ以上の苦労はさせたくないと考えている。


 泡を食って訪問してきたペンデルトン家は当然敷居を跨ぐことは出来ず門前払い。

 全て弁護士を通して話し合いを続けていく姿勢を崩さない。



 弁護士は語った。

「これは貴族のご婦人方を法がちゃんと守ってくれているかが試される裁判だ。

 貴族だからと、責任を一人で押し付けられていた夫人たちの地位をきちんと認める裁判である。」

 ペンデルトン家は醜聞を嫌がり内々に収めようと必死に懇願したがカークランド家とゴールドスミス家がそれを許さなかった。


 まず最初に成功したのは愛人であったキャセリーヌには精神的慰謝料の支払いが命じられたことだ。


 既婚者であるジークフリードと関係を持ったこと、社交場でローズ夫人を著しく貶める発言を繰り返し、悪質な噂を流したことが立証された。


 実際法に則った金額は、決して満足のいく高さではないが、貧しい彼女でも今まで贈られたアクセサリー全てを売り払えば満額支払うことは可能である。


 話し合いの法務局である一室で、彼女はみっともなく泣き喚きペンデルトン家の大奥方に怒鳴られたそうである。


 そして今は嫡男を連れての離縁申し立てが通るのか?!ということで、社交界はすっかりその裁判が話題になっており、ローズは今や時の人。


 現実問題、金銭の余裕がローズ本人に無いためペンデルトン家の養育費に頼らなければアルフレッドは学院を卒業できない可能性もある。


 最初は地味で目立たない、陰気な夫人であると思われていたローズがすっかり豹変して裁判で理詰めの発言を次から次へと繰り出していた。

 自らの日記帳を元にペンデルトン家を糾弾し、当初は負け戦だと嗤っていた男たちも今ではすっかり見方を変えた。


 夫の浮気癖に密かに悩む女性陣は、ローズの行いを初めは見守るだけであったのに、今や快進撃を心待ちにしているくらいである。


『私の夫は言ってもペンデルトン家ほど悪辣ではありませんわ。』そう自分に言い聞かせて我慢を重ねてきた貴婦人たちが、離婚裁判が進むにつれて意見を変える。

『どうしてこのように懸命に家庭を守ろうとしている奥方にばかり負荷が掛かるのでしょう?お金を稼ぐから男が偉いの?だから女遊びを容認しろと?違いますわ。

 男が仕事に出られるように家庭を守っている私たちの仕事は誰にも真似はできないの。

 それを蔑ろにしたら後悔致しますわよ?』


 とある公爵夫人の発言はローズの裁判を後押しし、それには王妃も賛同したと言うから驚きだ。


 実際公爵夫人が家を取り仕切ることをやめてしまえば、夜会一つ夫は開けない。


 主催者だと大威張りで声高にスピーチしたところで、招待客の誰をどのように呼ばなくてはいけないのかを知っているのは夫人だけ。

 使用人ですら、料理一つ、花一つ決めることはかなわない。


 子爵家出身のローズが投げた小石のような裁判は静かに波紋を広げつつあった。




 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>



 ペンデルトン家の前伯爵夫人ドロテアは裁判に出向く気力を途中で失った。


 ローズの言葉に立ち直れなくなったのだ。


「私はこの家に尽くして生きて行くのだと嫁いでまいりました。

 夫を生んでくれた義父母に感謝しており、私たち〈夫婦〉を幸せにするためにお金が使われるのであれば全く気にもしませんでした。

 残念ながらそこから生まれでたお金は彼の恋人にばかり注ぎ込まれました。

 私が魅力が無かったのも悪かったのかもしれません。

 ですが、嫡男のアルフレッドは今や夫の行いにより辛い目に遭わされ、〈愛されていない息子〉だと知らない人間からも嘲笑されているのは事実なのです。

 もう、息子のためにも私は彼を連れて家を出なければなりません。

 二人で愛情を持って家族として生きていきたいのです。」


 アルフレッド個人の幸せを私は祖母として思い遣ってあげたことが一度もない………


 そう気がつくと眩暈がした。





 ジークフリードの結婚相手は本当に見つからなかった。

 社交界に出てしまえば女は自分の価値を理解してしまう。

 息子の顔がいくら整っていても学院も中退、借金のある伯爵家には良い顔はされなかった。


 だが家のことを考えれば諦めることは出来ない。


 賢く、裕福な、我が家より爵位の低い嫁を探した。

 派手な女はダメ。まだ学院に在籍している、手垢のついていない女じゃなきゃダメだ!!そんな時にローズに出会った。


 貧しいくせに矜持ばかり高い夫が出向いても良い返事が貰えないのは分かったので、ドロテア自らが頭を下げて頼み込んだ。

 カークランド子爵はお人好しで『良いですよ』と流されてくれた。



 嫁入り道具が届いたときドロテアはカッと頭に血が上った。

 その日搬入された一台のドレッサーとタンス。


 王室御用達の家具屋があつらえたドレッサー一台は、自分の嫁入り道具全てを足してもその金額に追いつかないほど高価なのだ。


 嫋やかで大人しそうなローズのことが、そのたった一つの家具で『傲慢な鼻持ちならない女』という印象に変わった。


 従順に『はい、はい』と返事をする姿さえ猫をかぶっていると見えるようになったのである。

 そして気がつけばあんなにペンデルトン家を支援してくれた家の娘であるのに睨みつけてしまっていた。

『あまり図に乗らないように皆で諌めなくてはいけないわよ』

 口をついて出た言葉にドロテア本人も驚いたがそれは大奥方として当然の意見だと信じようとした。


『夫を生んでくれた義父母に感謝しており、私たち〈夫婦〉を幸せにするためにお金が使われるのであれば全く気にもしませんでした。』

 ローズの瞳に嘘はなかった。

 ローズは毎年生活費をやりくりしては隠居した自分たちに記念日のたびに小さくとも贈り物をくれていた。


 彼女は繕った型遅れのドレスだったが、ドロテアには高級洋品店のケープをプレゼントしてくれたし、タバコ好きな夫には隣国から取り寄せたパイプを届けてくれた。


 ジークフリードの渡してくれる金銭は昔に比べると増えたが、派手になってきた老夫婦の交際費に当てると、アルフレッドへの贈り物はいつも後回しになった。


『カークランドの従姉妹がくれたんです。』と木彫りの兵隊の人形を幼いアルフレッドが見せてきた時私は怒鳴った。


「伯爵位の子供が子爵家の子供から貰ったものを見せびらかすなんて恥ずかしい!!」

 プレゼントを持参しなかった自分たちが責められていると腹を立ててしまったのだ。

 自分は何一つ買い与えなかったのに……


 買わないなら買わないで『良かったわね!』と一緒に喜んであげれば良かったのに。

 ドロテアの態度を見て息子はローズを侮るようになり、使用人もそれを真似した。

 挙句に息子は家族を裏切り、使用人は二人を虐め抜いた。



 始まりは自分だ…………



 今更気がついたが、ジークフリードにとてもじゃないが言い出せなかった。

 この歳で人を思いやる気持ちが持てなかったことを息子に告げることが恥ずかしくて出来なかった。


 どうして新しい娘を大切にできなかったのか……




 ジークフリードは裁判で負けるわけにはいかないと必死に足掻いているが世論はもうローズたちに完全に傾いている。


 きっとペンデルトン家は大金を払い、嫡男を失うだろう。





 裁判は始まってから既に5ヶ月が過ぎていた。


 来週には結審である。


 法廷で見かけたアルフレッドは自分が思っていたよりも背も高く肩幅もしっかりあった。

 肩幅のキチンと合わせられたジャケットを羽織り堂々と座って母親を見守る姿に涙が浮かんだ。

 あんな凛々しい孫に自分は平気でジークフリードのお下がりのシャツを袖を捲らせて着せてばかりいた。

 細い体にサイズの合わないブカブカのシャツを着せて『大切に着なさい』ともっともらしく説教をした。

 ちゃんとサイズの合うお下がりがあるならそれを渡すべきなのだが、ジークフリードの幼少期の服はどれも古着屋の状態の悪いものばかりであったから、渡すことが恥ずかしかった。

 そういうプライドだけはあったのだ。

 生活を立て直せたのは貴方のお母さんのお陰よ、と言えなかった。



 もう目も合わせてもらえない。



 それは当然のことだと自分は悟った。

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