予期せぬ来客と依頼
今日もノノン村は平穏です。夫は農作業に出掛け、ナタリアは本を静かに読んでいます。
彼女は文字を知らなかったのですが、お隣のナトン君が教えてくれまして、徐々に難しい本にチャレンジしているみたいです。
魔法使いになるのが将来の夢らしく、埃を被っている魔法大全全10巻を読めるようになるのが目標です。
さて、川で洗濯物を叩き洗いしていると、村への来客が現れたことに気付きます。魔力で判断するに、2名の内1人はアデリーナさん、最後にお会いしてから3ヶ月程でしょうか。
突然に出現したので転移魔法の類いを使われましたと思われます。
早速、出迎えに参りました。
アデリーナさんは巫女服と呼ばれる真っ黒い服を着ておられました。竜の巫女の正装とお聞きしています。対して、もう1人は青や赤の刺繍が入った白ベースの簡素ながら品のある衣装でした。そして、目立つのは片腕に嵌めた腕輪。複雑な紋様が入っているのですが、見たことのない程の魔力が込められていました。
「お久しぶりで御座います」
アデリーナさんが深々と頭を私に下げます。
「こんにちは、アデリーナちゃん。お茶でも飲んでいく?」
「いえ、結構で御座います」
あら、忙しいのかしら。残念です。
「こちらの方は?」
アデリーナさんに訊いたのですが、白服の方はご自分で答えられるみたいです。
「イルゼと申します。メリナ様には日頃大変にお世話になっておりまして、私の太陽と呼んでも良いくらいの存在で御座います。この度はお母様へのお目通りが叶い、イルゼの胸の高鳴りは留まる所を知りません」
……なに、この娘さん。礼節を通り越して、気持ち悪いんですけど。
「早速ですが、お母様。イルゼのお願いを聞いてもらって良いでしょうか?」
「はい」
でも、可愛らしい方です。キリリと凛々しいお顔で私に続けます。
「メリナ様とご親族になりたく、誰か家族に未婚の者はいらっしゃいませんでしょうか。老若男女、どなたでもあっても我が一族はメリナ公爵閣下に相応しい人物を準備致します」
短い発言だったのに、何ヵ所か耳を疑いました。しかし、このイルゼという娘さん、失礼ながら危ない人です。やんわりとお断りするのが最善でしょう。
「そうですか。また考えておきますね。でも、親族なんていないんですよねぇ。困ったなぁ」
「1人もですか……?」
「はい。私と夫とメリナだけの家族ですので」
「よ、養子をお取りになられても構いませんわ」
むぅ、しつこいですね。
「ナタリアちゃんを政争の具にしませんよ」
私がピシャリと言い放つと、イルゼさんは明らかに意気消沈しました。図々しいことを申す割には肝っ玉が座ってないですね。
「では、イルゼ。私の話に入らせて頂きますね」
アデリーナさんが今回の訪問の目的を仰います。
「2つ御座います。1つは例のナタリアの墓参りに関してです。もう少し情勢が落ち着いたら、一緒に巡ってもよろしいですか?」
「えぇ、宜しくお願いします。断る必要はないですもの」
「はい。ご承諾、ありがとうございます。では、もう1つの方に。近隣の王都軍を鍛えて欲しいのです」
「カッヘルさんの?」
こっちがメインのお願いかな。
「話が早くて助かります。その通りです。あの部隊長は使える人材に思えますが、自分の能力を越えたところでの踏ん張りに欠けるように感じております」
アデリーナさん、凄いわね。よくカッヘル君を観察している。
「ですので、彼と彼の部隊に死地を体験させて欲しいのです」
「いいわよ。私も彼を鍛え直したいと思っていたから」
「……昔からの知人で御座いましたか?」
「向こうは忘れているみたいなのよね、失礼よね?」
私の言葉にアデリーナさんは何かを考えるような仕草をしました。ただ、その考えは口に出して頂けませんでした。
「報酬を先払い致します」
「報酬?」
「えぇ。大変に不躾なことで御座いますが、情報局に残っていた記録より、お母様とお父様の件を私は承知しております」
……情報局? 例の魔族の件かしら。でも繋がらないなぁ。
「不動産取引による借金、既に私が利子も含めて代理返済致しました」
私は目を大きくして驚きます。
「でも、とんでもない額よ?」
「大丈夫で御座います。私にとっては大した額では御座いませんし、それでお母様が軛から解き放たれるなら、大変に喜ばしいことで御座います」
ひゃー。お金持ちって言うのは凄いわね。
「でも、オズワルドさんに確認しないと本当かどうか分からないわ」
「お任せください。その為にイルゼを連れて来ました。お父様もお呼び頂いて宜しいですか?」
私は半信半疑ながら夫を連れて来ます。
皆で手を繋いだと思ったら、視界が変化して、部屋の中にいました。
カッヘル君がやって来た時にカーフエネルリツィに転送してもらいましたが、あれと同じくらいに鮮やかな術式です。
「アデリーナ様、お待ちしておりました」
壁際で傅く男は声でカッヘル君と分かります。私よりも先に転移魔法でここに来ていたのでしょう。
目の前にはテーブル横には直立不動で汗を掻きながら立つオズワルドさんがいました。
十数年前よりも、お腹の膨みと頭のテカりが増しております。
「ご苦労様です。こちらがオズワルドですね。カッヘル、下がってよろしい」
「ハッ!」
去り際の彼と目が合います。ビクッてされてました。
「状況は説明されておりますね、オズワルド?」
「ひゃ、ひゃい!」
まぁ、オズワルドさんがかなり緊張されております。私達の恩人なのに可哀想です。
窓の外を見ると、この世で最も立派だと日々思っていた王宮の主塔が無惨に折れているのが見えました。また、それに代わり、巨大な氷の塊が聳え立っていました。
推測するに、王都はシャールに負けたのでしょう。
そして、シャールのハイクラスであるアデリーナさんは王都の方に無理が言える立場なのでしょう。
「あなた自身の口から、こちらの方々の借金の件をお伝え頂けますか? 場合によっては、あなたの人生で最後のお仕事かもしれませんので、しっかりとお願いします」
「ひっ! な、なん――」
酷くあからさまな脅しです。見てられませんね。
「オズワルドさん、結構です。私達家族はあなたに救われました。今では娘の病気も治り、夫と私は新たな生活を手に入れております。この度は王都に不幸があったようですが、あなたのこれからの人生には幸がありますよう、心からお祈り致します」
日頃思っていた通りに、私は感謝の念を口にしました。また、アデリーナさんに私の考えを暗に伝えております。
「オズワルドさん! ルーの言う通りです。僕たちはオズワルドさんのお陰で幸せになりました。今度、村で収穫した農作物を送りますね」
少しだけ部屋が静かになりました。
「アデリーナ様」
イルゼが決定権を持つ女性に呼び掛けます。
「えぇ、承知致しました。命令書を書き換えましょう。幸運でしたね、オズワルド」
「ひゃ、ひゃい……」
オズワルドさんは顔を紅潮させて涙目でした。恐らくは不条理な死を免れたと思います。良かったです。
王都の民を守るのも軍人や文官の公務の1つ。夫も私も既にその立場ではありませんが、過去の役目を果たすことに成功しました。
両親への挨拶もアデリーナさんに提案されましたが、私も夫も負い目が有ります。丁重にお断りを致しました。
これは元貴族としての矜持です。絶縁が撤回されるまではこちらから会いに行くなど、恥ずかしくて出来る事では御座いません。
ただ、情報局の近くにだけは行きたくて、激しく損壊した壁の傍に、私は花束を3つ置きました。遅くなりましたが、ご冥福をお祈りします。
さて、再びの転移魔法で村に戻った私達は、多忙そうなアデリーナさん達の見送りを致します。
「それでは、また。カッヘル達には後日、この村へ向かうように申し伝えますので」
「分かったわ、アデリーナちゃん」
アデリーナさんは少し眉を動かされました。あら? 今更ながら子供扱いしたことが気に障ったかしら。
「メリナさんやカッヘルから伝え聞いていた印象とは、お母様は異なりますね。失礼ながら、温情は過ぎると毒で御座います。あなたに軍を鍛えることが出来るのかと、内心、今の私は心配になっております」
「あはは、私は主婦だからね。期待に応えられるかは不安だけど、頑張るわ」
アデリーナさんはそのまま無言で去られました。うーん、ちゃん付けだと宜しくないかしら。




