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超絶政治闘争学園ノブリス  作者: 片里鴎(カタザト)
第三話 我が良き虎(タイガー)
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暴の嵐その4

 沈みかけた西日の差す生徒会本部。

 デスクで事務仕事をしていたコーカは、ようやく仕事の終わりが見えてきたことに安堵して、ソファーに反り返った。

 そして、指で疲れた両目の周りを揉む。


「お疲れですわね」


 くすくすと笑いながら、和服をなびかせて本部に月が入ってきた。

 その手には急須があった。


「お茶でも飲んでリラックスしたらどうですの?」


「ああ、月先生……いただきます」


 コーカは湯のみに注がれたお茶を飲んで、ほうと息を吐き出す。


「人心地つきましたよ……全く、今回の選挙は大変ですね。まさかこんな作業量になるとは」


「生徒会以外の人も大変みたいですから、文句は言えませんわ。特に、選挙管理委員会についての会議は紛糾してるらしいですわね」


「ええ、各会の担当者が揉めに揉めて、今もうちの会の担当者が次の会議のための資料作成に必死ですよ」


 そこでコーカは湯のみを置いて、


「そうだ。司法会の担当者、確か夏彦君でしたよね」


「ええ、つくづく縁がありますわね」


「はは。僕の記憶が確かなら、夏彦君、今、大倉君と揉めてるんじゃあなかったですっけ?」


「ええ、ちょっとした話題になってますわね。司法会の麒麟児があの大倉に目をつけられた、とか」


 嫣然と笑った月は首を揺らす。


「会長は、そんなに気になりますの?」


「気になる、というより残念なだけですよ。僕は夏彦君のことを結構気に入ってましたから」


「あら、まるで負けることが決まってるみたいですの」


 月の言葉に、コーカはぱしり、と自分の左の手のひらに右拳を打ちつけた。


「この拳を持っても、絶対に戦いたくない相手が、今の僕には五人います。学園長のデミトリ・ラスプーチン、風紀会副会長のレイン、司法会の会長となった雲水、外務会処理部隊総括隊長の緋桜ひざくら、それから」


「風紀会執行人最強の大倉、ですの?」


「ええ、あいつには勝つ自信がない」


 自信の塊とも言えるコーカの口から出たとは思えない言葉に、月は目を丸くする。


「心技体って言葉がありますけど、あいつの喧嘩を見て僕は確信しました。暴力に関して、大倉君は心技体を備えている。天性のものを無数の修羅場で鍛え上げた技と身体。けど、それだけなら俺は勝つ自信はあります。真正面からは無理でも、色々と策を弄せばね」


 またソファーに体重をあずけて、コーカは自分の右拳を見つめる。


「けど、一番厄介なのは心ですよ。あいつの精神です。大倉君は凶暴で、執念深く、消して諦めない。あいつと戦って勝つなら、息の根を止める必要があります」


「殺せばいいじゃありませんの」


 あっさりとそう返す月に、コーカは遠い目をして苦笑して、


「殺す過程が問題なんです。手負いの獣と殺し合うなんて危険なマネ、僕はしたくありませんね」





 連絡が終わり、夏彦はなるべく油がつかないように携帯電話を指先で掴んでポケットに戻した。


「ふう」


 一息つく。

 まだ、虎の姿を確認してからそんなに時間は経っていない。今からでも間に合うだろう。


 出口に向かって歩こうとした夏彦の耳に、


 ずじゃり、と。


 信じられない音が聞こえた。


「嘘だろ……」


 呆然と呟いて振り返る夏彦の目に、白目を剥いたまま、がくがくと体を揺らしながら立ち上がる大倉の姿があった。


「ああ……あ」


 意識があるのかないのか、言葉にならない呻きをあげながら、油で足を滑らせながらも大倉はずたりずたりと一歩一歩近づいてくる。


「ぐううう」


 大倉の頭がふらふらと揺れている。


「もう、動かない方がいい」


 無駄だとは思いつつも、夏彦は忠告する。


「がっあ!」


 ふらつく体で殴りかかる大倉は、体勢を崩してあらぬ方向に拳を振るう。


 もう、まともに戦える状態じゃあない。

 倒れかけてたたらを踏む大倉を見ながら、夏彦は冷静に判断する。

 顎だ。今の大倉なら、一撃で意識を断てる。


 ぐらりと体を揺らす大倉の顎に向けて、夏彦が一歩踏み込んだ。


「かっ」


 獣の吼えるような声と共に、全身をぶつけるようにして大倉がタックルしてきた。


「ぐっ」


 さすがに体全体でぶつかってこられてはまともに受けるしかない。だが、大倉は意識がはっきりしておらず足元も滑る。そんな状態でのタックルに大した威力はない。


 密着した大倉を叩こうと、夏彦は手を伸ばした。


「ぐあっ!?」


 だが、その動きが止まる。


 大倉が、両腕で夏彦を抱き込むようにして、凄まじい腕力で締め付けていた。


「げっぼぉ……」


 夏彦の口から息が漏れる。

 今にも内臓がせり出しそうだ。背骨も、ぎちぎちと不吉な音を立てている。


「ぐうううっ」


 獣のような呻き声を発しながら、大倉はより強く締め付けてくる。


「ごっの……」


 体をよじり、大倉の顔を殴りつけて夏彦は抵抗する。


 だが大倉は腕の力を緩めないどころか、体勢を崩しもしなかった。


 こいつ、油塗れの状況に慣れたのか?

 夏彦は苦痛と共に驚愕する。

 この短期間のうちに、足元の摩擦係数が極めて小さい場合の体の動かし方を学んでいるとしか思えない。


「ああああっ」


 絶叫し、大倉は夏彦を締め付けたまま突進した。


「あっ、こ、の……」


 そのまま二人はトタンの壁に激突し、そのままぶち抜いて工場外に出る。


 壁に背中が当たった衝撃で、夏彦の息が止まる。


 そのまま、隣の工場のトタン壁に当たり、ようやく大倉の突進が止まった。


「ぜぇ、っあ」


 口の端から血の泡を噴き出しながら、夏彦は大倉の片目に指を突き入れた。


「ぎっ」


 大倉の両腕の力が緩む。


 すかさず、力の限り夏彦は金的を力の限り蹴り上げた。


「あがっ」


 大倉の両腕が離れた。


 寸勁。

 顎にヒットさせて、夏彦は大倉を突き放す。


「ざあっ、はぁっ」


 ようやく解放されて、激痛と共に夏彦は呼吸した。血が気管に入って咳き込む。


「ぎぃあ」


 無茶苦茶なフォームで、大倉が殴りかかってくる。

 ダメージのせいで足をがくがくと震わせながら、それでも凄まじい速度だ。


 だが、これからかわせる。


 その拳を夏彦は体をずらしつつ、横から叩くようにして捌く。

 崩れた体勢の大倉を押すようにして、地面に叩きつけようとする。


「がずぅお」


 体中の筋肉をきしませながら、大倉はありえない体勢で方向転換した。

 顔を夏彦に向け、そして。


「いっ!?」


 夏彦の腕に噛み付いてきた。


「いっ、で……」


 ぎちぎちと噛み千切らんばかりに噛み締めた大倉は、そのまま首の力だけで夏彦の腕を振る。


「う」


 夏彦の構えが崩れる。


「ぐぁ、ば」

 

 瞬間、大倉の全身が膨張した。筋肉がきりきりと音を立てている。

 全身のばねを使った、大倉の拳が夏彦の頭に襲い掛かる。


 度重なるダメージで、既にまともに体が動かず、意識も朦朧としているはずの大倉の一撃。だというのに、その一撃は、今までのどの攻撃よりも速く、鋭かった。


「――お」


 体勢を崩され、無防備な夏彦の顔への一撃。


 死の寸前の集中力か、夏彦は世界がスローモーションのようになるのを感じた。

 これは、死ぬな。この一撃は、受けたら死ぬ一撃だ。

 避けようにも体勢は崩されている。防ごうにも、この速度の攻撃には間に合わない。


 大倉の体は限界だ。その状態でこの今までで最大の攻撃を放った。ぎりぎりでバランスをとって高く積み上げられている積み木のようなものだ。

 ちょっとしたことで、崩れ落ちる。


 防御ではなく、攻撃だ。

 せまる拳を見ながら、夏彦は思う。

 だが、こんな状況の大倉に攻撃すれば、ただでは済まない。殺してしまうかもしれない。

 殺せばいいじゃないか、とタッカーの声が聞こえる。

 まあ、そうだ。友だちだって殺したしな。

 夏彦は思う。

 ここで、ためらって死ぬわけにはいかないよな、タッカー。俺は上に昇るんだ。


 ぎり、と歯を食いしばって痛みを覚悟してから、夏彦は思い切り噛み付かれている腕を力一杯振った。


「いっ、ぎぃ」


 夏彦は思わず呻く。


 ぶちぶちと音がして、大倉の歯が腕から離れていく。


「――ぐ!?」


 もともと無茶な体勢から全開の攻撃を繰り出していた大倉は、頭を振られて完全にバランスを崩した。頭、腕、上半身、下半身が全てばらばらの方向に動く。めりめりと体中から音がする。

 それでも、拳だけは夏彦に向かって振るわれる。


 それを、まだ噛み付かれたままの腕を使って、


「あああっ!」


 夏彦は避けるのではなくて、その拳の勢いを利用して大倉自身を投げつけた。アスファルト製の地面に向かって。


「が」


 大倉の拳が地面に叩きつけられ、アスファルトを割ると同時に砕けた。次にその勢いのまま腕が地面で妙な方向に曲がり、肩が外れた。そして胴体が地面に叩きつけられ、明らかに骨の折れる音が響く。


「ぐ」


 血を吐きながら噛み付いていた夏彦の腕を離した大倉の頭が、最後に地面に追突した。そのまま、大倉の頭を重心にして胴体が回転し、夏彦が背にしていたトタン壁にぶつかって突き破った。ごきごきと音を鳴らし、首を一回転させながら。


 そうして工場の内部に転がりこんだ大倉は、全身から血を噴き出しながらしばらく転がり続け、やがて壊れたマネキンのようになって、止まった。


「――はぁっ」


 夏彦は、明らかに死んだ大倉の姿を見て、ようやく安心して息を吐く。

 噛み千切れかけた腕が、やけに痛んだ。


「……おいおい、妙なものを転がしてくるなよ、こんなもんいらねえぞ」


 工場の内部から、声がする。


 仕方なかったとはいえ、こっそり調査っていうのはもう無理になってしまったな。

 夏彦はそう思いながら、大倉の体が突き破ったトタン壁の穴をくぐって、本来はこっそりと忍び込むはずだった廃工場に入る。


「ようこそ……ってか?」


 大倉のぐちゃぐちゃになった体を見下ろすようにして、虎が立って笑っていた。


「……何の有様だよ、これは」


 廃工場に入った夏彦は、あまりの事態に眉をひそめた。腕の痛みも気にならない。


 虎の周囲には、大倉以外にも無数の死体が転がっていた。

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