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超絶政治闘争学園ノブリス  作者: 片里鴎(カタザト)
第二話 ノブリス学園料理王決定戦
55/143

タッカーその3

一気に四話投稿しています。

「適正をどうやって調べてるかも知らないけどね。あいつら、適当なことばっかりやってたから、案外雑な方法で俺は選んだのかもしれない。ともかく、俺は選ばれた」


 笑顔で一歩踏み出したタッカー。


 夏彦は身構える。今の状態で、タッカーの攻撃をかわせるとは思えない。


「技術を教えられて、命令に服従するように仕込まれた。ガキの頃から後ろ暗いことばっかりしてたね。詳しいことは分からなくても、いわゆる社会的に良くないってことくらいは分かってた。アイリスや他の子どもと一緒に遊びながら、人を殺した。星空の下でアイリスの料理を食べながら技を磨いた。どいつこいつも、俺が裏で必死に両手を汚しているってのにへらへらへらへら笑ってね。親がいなくても楽しく生きていけるとか、皆が家族だとか、金がなくても美味い料理は作れるとか」


 口の端が更に吊り上がる。もう、笑みではなく獣が牙をむいているようだ。


 殺し合いの際にも失わない冷静さ。勘ではしのげない戦闘技術。その全て、幼少の頃からの経験によって培われたものか。どうして自分一人だけ、と。羨望と妬みと軽蔑と憎悪にまみれて。

 夏彦は納得する。

 勝てないわけだ。


「選ばれてもない奴らが綺麗なままで、逆境でも懸命に楽しく生きてますみたいな顔しやがって。俺がお兄さん役をするなんて、馬鹿みたいな話だ。俺は何も知らない能天気なあいつらを見下していたし、憎んでいた。くくっ、それなのにあいつらは馬鹿みたいに俺とアイリスを慕っていた。アイリスも俺を信用していた。下らねぇ」


 獣の顔でタッカーが蹴る。


 これよりも、この次がまずい。

 夏彦は直感する。


 蹴りをかわさずあえて受けて、夏彦は歯を食いしばる。

 そして、次にくるナイフの攻撃を、全力でかわす。


「ふん、星空の下で手料理を皆で食べたのが、あいつにとって美しい思い出なのか? 料理は皆を笑顔にするって?」


 かわされたことを意にも介さず、呟き続けながらタッカーはナイフを振るい続ける。それでも、その太刀筋はぶれない。

 鍛錬を続けて磨き上げた技術であるためか、それとも獣じみた顔になっても動かない鉄の心を持っているためか。あるいはその両方か。


 必死で夏彦はナイフを避ける。


「ああ、いいさ。勝手にやってろ。俺も勝手にやる。それだけのことだよ」


 タッカーの目。

 単純な怒りや絶望でない、いくつもの重くどろどろとした感情の入り混じった目だった。

 それを見て、夏彦は理解を放棄した。

 俺にはこいつが分からない。こいつの言うように、芯のない、中身のない空っぽの殻には分からない。こいつが人を殺しながら他の孤児院の仲間と何を思って付き合ってきたのか。そうして生きてきたこいつが何を思って命令に従って命を捨てようとしているのか。

 こいつがアイリスをどう思っているのか、それすらもう分からない。さっきまであった、アイリスを案じる気持ちは本物だという自信すら、薄れていく。


「早く死ね」


 冷たい言葉と獣の形相。

 タッカーのナイフの連撃はどこまでも正確で、そして複雑にフェイントも織り交ぜたものだった。


 かわせないな、こりゃ。

 夏彦は半ば諦める。

 体もまともに動かない状態で、勘だけでかわせるものじゃない。

 空っぽの俺は、何もない俺は、ここで死ぬか。


 だが、死ぬとしても。目の前のこいつを許せない。空っぽな自分が怒っている。


「俺もお前もアイリスも孤児院のガキどもも組織の連中も、皆、皆だ。全員死ね」


 呪詛の言葉とともにナイフが振るわれて、とうとう夏彦はそれに捉えられる。避け損ねてわき腹を切られる。


 次の一撃で死ぬか。

 疲れ切った夏彦は、もうかわす動作をできそうにない。

 それでも、ここで死んで、そしてこいつが決勝に出場して大会を無茶苦茶にする。それを許したくはない。


「ぐおあっ!」


 叫び、最後の力を振り絞って夏彦は突進した。


 予想外の反撃で隙のあったタッカーに組み付く。


「しつこいね」


 混沌と感情が渦巻いている目が、夏彦を至近距離で射抜く。


「夏彦君も間抜けだ。何も知らず、俺を信用して、勘を鈍らせて、一人でのこのこやってきて、そしてここで殺される。間抜けは死ね」


「なあ」


 死ぬのは、もう分かってしまった。

 だから夏彦は妙に落ち着いて、静かな声で言った。


「アイリスの料理が本戦まで出場できるのは、自信あったのか?」


 そして、どうでもいいことを訊いた。

 訊きながら、どうしてこんなことを質問したのか夏彦自身にも分からない。


「え?」


 唐突な質問に、タッカーは目を丸くして、一瞬にして無防備になった。


「予選くらいは、実力で突破できると思ってなきゃ、計画が成り立たないだろ」


「ああ――あいつの料理は美味いからな。それは認める。俺は、アイリスの料理の腕も計画に組み入れていたよ」


 それがどうかしたか、とばかりにタッカーは言う。


「料理の大会で不正をしたのは、アイリスが料理にこだわりを持っていたからか?」


「……何言ってるのか分からないね。タイミング的にあの大会しか使えるイベントがなくて、そして利用できる知り合いに料理の腕の立つ奴がいた。ただ、それだけだ」


 組み付いたまま、ゆっくりと夏彦はタッカーに顔を近づける。至近距離、正面から睨み合う。


「本当にそうか? やっぱりアイリスはお前にとって、特別なんじゃないのか?」


「見下す対象、利用できる知り合い。ただそれだけだね」


 タッカーの顔には、何の動揺もない。


 外れか。

 だが、夏彦の勘が違うと叫んでいる。単純な親愛の情の対象ではないにしても、こいつにとってアイリスこそが特別だと。


「言ってたじゃないか、限定能力は精神性に影響されるって。お前の能力が味覚操作だったのは、アイリスの料理の影響じゃあないのか?」


「違うと言っているだろう。しつこい。俺の味覚操作の能力は、もともとは毒をターゲットに飲ませるための能力だ」


「アイリスの料理を食べたんだろう? 孤児院の子どもたちと、星空の下で。お前にとっては、いい思い出なんじゃあないのか?」


「言っただろうが。俺はね、周りの連中が嫌い仕方なかったし、軽蔑していたよ」


 無理矢理振りほどかれて、夏彦はよろよろと後退する。


 そこに、タッカーのナイフが迫る。


「う」


 ナイフが、軽い衝撃と共に夏彦の腹に吸い込まれた。


 刺された。

 だが、浅い。よろめていたのが幸いして、ナイフは軽く腹をえぐっただけで抜けていった。


 足の力が抜けて、夏彦はその場に座り込んだ。


「つぐみが、言ってたよ」


 もう指一本も動かせない。その状態で、タッカーを見上げてなおも夏彦は言う。


 たとえ死ぬにしても、このままじゃあ死に切れない。

 料理の大会で不正をやったこいつに、俺はどうやら腹が立っている。俺が空っぽで、つぐみちゃんやアイリスのこだわりをそのままコピーしたための怒りだとしても、それでも怒っている。

 文句くらい、死ぬ寸前まで言ってやる。


「料理は老若男女善悪貴賎に関わらず、等しく幸福にするものだって」


 だから、きっとお前もアイリスの料理を食べている間、幸せだったんじゃあないのか。いや、単純に幸せだというのとは違うのかもしれない。それでも、料理を食べている間は楽しく、それでいて周りの人間を憎んで軽蔑して、愛憎入り混じったその中心にいるのがアイリスだったんじゃあないか。


「お前は、その料理に、泥を塗るようなまねをしたんだ」


 そうか。

 言ってから夏彦は理解した。

 それで、俺は怒ってるのか。アイリスに一番近いこいつが、料理について不正をしたから。だからこそ許せないのか。

 我ながら単純だな。


「だからどうした」


 夏彦の言葉に何かを感じる素振りすら見せず、タッカーは踏み込んできてナイフの一撃を放った。

 死に体である夏彦に確実にとどめを刺すための、単純ですばやい迷いのない一撃。


 それを捌こうと、夏彦は腕を動かそうとする。

 動きさえすれば、捌ける。タッカーを取り押さえることもできる。あの単純で真っ直ぐな一撃なら、この腕が間に合えば手首をとって敵の力を利用して、地面に叩きつける。それができる。

 動け。

 動け。

 動け。

 だが動かない。全身全霊をかけて腕を動かそうとしたが、指一本すら動かない。

 当然だろう。それを理解しているからこそ、冷静なタッカーは単純な攻撃をしかけてきたんだ。奴はミスをしない。子どもの頃から己を鍛え続けたプロだ。

 動きさえすれば、後は勘だけでいける。奴を取り押さえられる。

 動かない。

 喉に向かうナイフの軌道が、ゆっくりとスローモーションになる。死の寸前の集中力ゆえか。いくらスローモーションになっても、腕が動かないんじゃあ意味がない。


 それでも。

 諦めきれない。アイリスの代わりにこいつをぶん殴ってやらないと気がすまない。こいつがどんな過去があろうと、何を考えていようと。

 俺にはこいつが分からない。こいついわく空っぽの俺からは、タッカーはあまりにも遠い。

 けど、分からないからって人それぞれだってことで、こいつのしたことを許す気にはならない。

 だから、動けよ。まだ死にたくないし。

 動けって。

 ぴくり、と。

 かすかに、ほんのかすかに指が動いた。

 よし。

 それから、ゆっくりと腕があがっていく。

 だが、明らかに間に合わない。スローモーションの中、夏彦の腕が動く速度とナイフの迫る速度は絶対的に違う。



「ぬうっ」


 呻き、歯を食いしばりながら夏彦は腕を動かし続ける。

 絶望的なほどの鈍さで腕がナイフに近づいていく。


 そして、集中力も限界がきたのか、スローモーションが解除された。


 間に合うはずのない捌きと、成功するはずのナイフの一撃。


 だが。


「――ぐっ!?」


 突如として、タッカーの顔が強張った。

 首をぐるりと回し、体のバランスを崩す。


 何が起こった?

 夏彦には分からない。

 だが、バランスを崩したおかげで軌道が変化し速度の落ちたナイフの一撃に、夏彦の手が間に合ったのは確かだった。

 全力で腕を動かして、ナイフを持っているタッカーの手首を掴む。

 後は、力を利用するようにして、くるりと回して。


 そうして、手首をひねろうとしたところで、夏彦は不意に全身から力が抜けるのを感じた。さっきまでの脱力とは違う、明らかに根本的な何かが切れた感じだ。


 つまり、あれか。

 タッカーの手首を捻ったままで、ぐらりと夏彦の体が傾く。

 もう、体が限界ってことか。

 夏彦は絶望する。

 あともう少しだったのに。


 タッカーを投げ倒す前に、夏彦は倒れていく。タッカーの手首を掴んだままで。


 そして、タッカーは体のバランスを崩したまま、立て直そうともしない。まるで他の何かに気をとられているように。


 嘘だろ。

 夏彦は、目の前の光景が信じられなかった。


 前のめりに倒れていく夏彦に捻られたタッカーの手。その手に握られているナイフが、ちょうどバランスを崩したタッカーの胸に向かって吸い込まれていく。


 まるで、奇跡のように、ほとんど何の抵抗もなく、ナイフはタッカーの胸に深く突き刺さった。


 その悪夢のような光景を見ながら、夏彦は頭から地面に倒れこんだ。

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