嵐の前その2
何事もなく始まって終わるのを祈りつつ、心のどこかでトラブルが起きることを望んでいる。
そんな精神状態でノブリス学園料理王決定戦を待ちつつ、夏彦は体を鍛え、そして部活動で料理の指導を受けた。
部活動で、料理の準備をしながら雑談をしていて夏彦は驚いた。
タッカーとアイリスが大会に出場するのは聞いていたが、律子まで出場するという。
「りょ、料理、もともと好きだったし……」
ごにょごにょと口ごもりながら律子は恥ずかしげに出場を報告してきた。
「へえ、ジャあライバルでスネ」
「そうだね。これは負けてられないね」
タッカーとアイリスがいちゃつきながらコメントする。
「でも、誰と出るんですか?」
夏彦の質問に、
「ぐっ……うっ……」
と律子は口ごもった。
「俺の知らない人ですか?」
「……ま君」
「え?」
「あ、秋山君」
その答えを夏彦は意外に思う。
確かに同じ風紀会に所属してはいるが、律子と秋山が仲がいいところを見たことがない。
「べ、べべ、別に、う、浮気じゃないからっ!」
ぶんぶんと両手を振り回しながら律子は熱弁する。
「浮気も何もないですけど、どうして律子さんと秋山さんが組むことになったんですか?」
「そりゃ、律子が友達いないからっすよ」
答えたのは秋山だった。
「いや、俺も顔と名前は知ってたけど、普通に話すようになったのはここに入部してからっすけどね。律子って、見た感じ近寄り難いんすよね。怖いっつーか。ま、喋ったらそうでもないんすけど」
「あーそうそう、第一印象と全然違いますよね、律子さんって」
「そうっすね。で、どうも律子はこの部に入ったことで料理大会出場したくなったらしいんすけど、友達って言えるのがこの部にしかいなかった、と」
「ちょ、ちょ、ちょっと。そ、それは、言いすぎ、でも、ないけど……」
俯いて律子は意気消沈してしまう。
そんな風に律子がすぐに過剰に落ち込んだり慌てたりするのに慣れている夏彦たち部員は、特に気にすることもなく話を進める。
「だとしても、他の部員誘わずにどうして秋山さんなんですか?」
「消去法っすよ。だってアイリス部長とタッカーは出場するし、夏彦は審査員やるじゃないすか。で、虎は料理のセンスがゼロだし」
秋山はその日の部活に参加していない虎の名を出した。
「え? そうなんですか?」
「この前、あいつに創作料理食わされたんすけど、レアステーキラーメンっすよ、レアステーキラーメン。インスタントラーメンに、ほとんど生の牛肉ぶちこんだだけのラーメンっす。もうラーメンのスープが血で濁りまくってたっすよ」
雑な料理だな。だけど虎っぽい。
夏彦は少し笑う。
「じゃあ、つぐみは?」
今度は、同じく部活に参加していないつぐみについて夏彦は質問した。
つぐみと律子は仲がいい。そしてつぐみは料理に対して人一倍熱意というか狂気の域まで達しているある種の情熱を持っている。二人で組めばいいのに、というのはごく自然な発想だろう。
「あれ、知らなかったんすか? つぐみちゃん、大会の警備するらしいっすよ」
「警備? ああ、そうか、風紀――」
そこでアイリスがいることに気がついて、慌てて咳払いして夏彦は誤魔化した。
「いや、まあ、大変ですね、つぐみちゃんも。なるほど、それで律子さんと秋山さんがコンビをね。ところで、俺、いっつもつぐみちゃんとマンツーマンで料理指導を受けてるんでよく分からないんすけど、律子さんと秋山さんって料理の腕前的にはどうなんすか?」
「律子サンは料理ノ腕前ハ玄人はだしよ。特に和食ニ関しテは凄イ」
「い、いやあ、そんな……そ、そこまででも……」
にやにやと締まらない顔をして、律子は照れている。嬉しくてたまらないのが見ただけで分かる。
「デ、秋山サンは、普通」
「うん、普通だね」
タッカーが同意する。
「まあ、普通っすね」
秋山も自ら同意した。
「レシピ本見ながらならその通りに作れるっつーか、まあ、マニュアル人間的な感じっす」
「なるほどねえ」
夏彦は唸る。
この部から、二組大会に出場するわけか。
いや、正確には大会に出場はしないものの関わるという意味では、俺とつぐみちゃんも同じだ。つまり、虎以外全員大会の日には会場にいることになるわけだな。
「じゃあ、料理を始めようね」
タッカーが言う。
珍しくつぐみが休みなので、今回は他の部員に混じって夏彦も一緒に料理をすることができる。
夏彦は、正直なところ、つぐみがいないことでかなりリラックスしていた。その気持ちのまま、料理に取りかかる。
いやあ、気楽にやると料理ってこんなに楽しかったのか。
と夏彦は驚いた。
皆とわいわい話しながら料理するのが凄い楽しい。
夏彦の体感としてはあっという間に料理は完成した。
今回の料理は茶碗蒸しだ。短時間で作ろうとして火力を強めにしたためか、スが多少入ってしまったが、それでも夏彦からすれば充分な出来だった。
ふるふると震え、口の中に入れるだけでとろけていく茶碗蒸しはその食感だけで楽しいし、具として入っている鳥のささみとたけのこが更に食感を賑やかにしてくれる。
味以前にその食感に夢中になっていると、じわり、と遅れて卵の優しい旨味とささみから出てくる強い鶏の味が口に広がる。口の中の茶碗蒸しが消えてしまうと同時に、その味も一緒に淡雪のように跡形もなく消えてしまうため、すぐに次が食べたくなる。
これは、いくらでも食べられそうだな。こんなに茶碗蒸しが美味い食べ物だとは思ってもみなかった。これまで俺が食べてきた茶碗蒸しとどこがそんなに違うのか。具を、シンプルにささみとたけのこ、それに小松菜だけにしたことか。それとも、できたてだからか。出汁に秘密があるのか。
夏彦がそのようなことを思い、夢中で茶碗蒸しを舌で転がしていると、同じように茶碗蒸しを味わっていたタッカーがふと思いついたように口を開いた。
「そういえば、アイリス、それに律子さんに秋山さん。もし優勝したら、優勝賞金をどう使うか考えてますか?」
「獲らヌ狸ノ皮算用もいイトコだわ。あたシはそんナコト考エもしてナイけど」
「おれもっすね。まあ、もし優勝したら一割だけもらってそれを貯金っすかね」
「え、一割でいいんですか?」
秋山の予想外の謙虚な言葉に夏彦は驚く。
「いいすよ。だって、万が一優勝したところで、それってほとんど律子の手柄だし。俺ができるのは手伝いくらいっすよ」
「え、そ、そうかな……いいの? な、何しよっかな……九割ってことは、900万円かあ。え、えへへ……」
夢見るような目つきになった律子が笑う。
「で、そういうお前は何が欲しいんだよ?」
何の気もなしに、沈黙に陥らないための話題として夏彦はそれを口にした。
だが。
「――俺が、何をしたいか、ね……」
呆然としたようにタッカーは呟き、アイリスの顔を見て、そうしてしばらくしてからにっこりと幼く見える顔に笑顔を浮かべた。
「全部、アイリスにあげるね。俺は、使い道をよく思いつかないからね」
感動的な場面だ。幼馴染の強い絆を感じさせる、素晴らしい一言。現に、アイリスは照れ、律子は涙ぐみ、秋山は微笑んでいる。
だというのに。
薄ら寒い思いを抱いて、夏彦は茶碗蒸しを食べる手を止めてしまっていた。
不気味さを感じて――いや、違う。不気味じゃあない。
どうしようもなく不吉な予感を感じて、夏彦は黙ってタッカーを見つめていた。
タッカーの言葉が、不吉なものに思えて仕方なかった。
やがてアイリスから視線を外したタッカーと、夏彦の目が合う。
お互いに無言のまま、視線を交わす。
にっこりと笑ったままのタッカー。
「……今のセリフ、遺言みたいだな」
冗談めかして夏彦が言うが、タッカーは黙って笑っているだけだった。




