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超絶政治闘争学園ノブリス  作者: 片里鴎(カタザト)
第二話 ノブリス学園料理王決定戦
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嵐の前

 胡蝶に呼び出されたのは数ある保健室の一室だった。


 土曜日とはいえ、私立であるノブリス学園では土曜にも月に二回、午前中だけだが授業がある。出席している学生は雀の涙だが。

 授業をさぼった夏彦は、まだその雀の涙の生徒が一時間目の授業を受けている時間に保健室のドアをノックした。


「あぁ……どうぞ……」


 かすれたような声で返事がされた。


 あれ、大丈夫か、この人?

 心配になりながらも夏彦が保健室に入ると、丸椅子に座ったまま今にも倒れそうに体を揺らしている白衣姿の女性が目に入った。


「うわっ」


 思わず駆け寄って女性を支えようとした夏彦だったが、両手が女性に触れる寸前に脳裏で警鐘が鳴り響いた。


 何かマズイ。


 そう思った夏彦は急遽両足でブレーキをかけ、逆に後ろに跳んだ。


「うぅ……」


 目を閉じて苦しげによろめていていた女性は、呻きながらマリオネットのようなギクシャクとした動きで両手を振り回した。


「うああああああ!」


 叫んで女性は辺りの空間にやっためたらと両手を振り回す。よく見れば、それはどうやら空中を殴っているらしい。


「あ、あの、もしもし」


「……んん?」


 そこで女性はぱっちりと目を開けた。

 女性は腰まである長くウェーブのかかった黒髪と真っ赤な唇を持っていた。こうして、きょとんとした顔でいる彼女は、綺麗な年上のお姉さんといった印象で、白衣を纏っていれば、なるほど保健室の女医というのにぴったりだ。


「あぁ……」


 女性は、まだ状況が掴めていないらしく、かすれた声を漏らしながらきょろきょろと辺りを見回し、そして夏彦の顔を見てきた。


「あの、大丈夫ですか?」


「えぇと……何がかしら?」


「何かって、いや、空中に向かって殴りかかってたから」


「あぁ……そっか、夢、みてたわ」


 夢?

 夏彦は聞き間違いかと思ってまじまじと女性の顔を見るが、


「うん、夢……あぁ……プロボクサーになってたの……あたし……ところで、怪我? それとも熱が出たの?」


「え?」


 一瞬夏彦は疑問に思うが、よく考えてみればここは保健室なのだから来るのは普通、健康状態に難がある人間で、彼女の質問は全く問題がない。


「あっ、違います」


「え……違うの? じゃあ……えーと……ごめんなさい、頭が働かないわ。一週間、誰もこの保健室に来ないものだから、寝ちゃってて……」


「その、お姉さん、胡蝶、ですか?」


 おそるおそる夏彦が尋ねると、


「ええ、そうよ。あたしが胡蝶先生……あっ、ひょっとして、夏彦君?」


 ようやく思い当たったらしく、胡蝶は手をポンと叩いた。


「あ、そうです。夏彦です」


 ようやく話が進む、と夏彦はほっとした。


「どうも、初めまして。あたしが、司法会監査課課長、胡蝶です」


 かすれた声で、胡蝶は自己紹介をした。





 冷たい水を出され、夏彦はとりあえずそれを飲んだ。おっかなびっくり飲んだが、どうやら妙な薬なんかは溶かされていないらしい。そんなことを疑うなんておかしいとは思うが、さっきの光景を見る限り胡蝶がまともな人間だとは思えなかった。


「ええと……何話そうと思ってたのかしら……」


 目を瞑って胡蝶は考え出し、そしてそのまま動きを止めた。そうして、こっくりこっくりと頭が動く。


 これ、寝かけてるよな、やっぱり。


「胡蝶先生」


 耳元で名前を呼ぶと、


「んっ……あぁ……えぇと……そうそう、夏彦君を呼んだのは、他でもない、ノブリス学園料理王決定戦について話したいことがあったの」


「そりゃそうでしょうね。このタイミングだし」


 それくらいは予想はできた。


「監査課で、あの料理大会を担当するのは新人である夏彦君だけなんだけど、それがどういうことか分かるかしら?」


 ようやく頭がすっきりしてきたのか、相変わらず声はかすれ気味ではあるが胡蝶の口調がはっきりとしてきた。


「それはもちろん、実際にはその料理大会で何かが起こる可能性は少ないってことですよね」


「うふふ、正解」


「ここから先は勘なんですけど――」


 正確には、勘以外にもこれまでの経緯からのきちんとした根拠をもって考えた推理も入っているが。


「例の裁判を滅茶苦茶にされた事件の関係者ってことで、俺ってそれなりに有名になってるんですよね、一時的に。ってことはですよ、その俺一人に料理大会を担当させるっていうことは、ひょっとしてそっちに有象無象の目を向けさせといて、裏では他の監査課の奴ら使って何かでっかいヤマに取り組んでる、とかないですか」


 そこまで確信があるわけじゃあないが、もし俺をまたデコイみたいに使うつもりなら、それくらいは読んでるってところをアピールしとかないとな。

 夏彦は思う。

 有能さは、自身の有能さのアピールの上手さも含めての有能さだ。


「へえ」


 胡蝶は目をぱちくりとさせた。


「ライドウ副会長が、単なる案山子じゃないって言ったのは、買いかぶりってわけでもなかったのね」


「え、裏で俺のこと、案山子か案山子じゃないかみたいな論争起こってたんですか?」


 失礼な話だ。


「まあ、知名度だけある客寄せパンダ的な……」


「なるほど」


 ショックだ。そんなことを言われていたとは。

 夏彦はショックを受けるが、表情には出さずにむしろにやりと不敵な笑いを浮かべた。


「へえ……肝も据わってる。これは掘り出し物かもね」


「それで、続きは何ですか? 料理大会の監査が何か?」


「ええ、妙な話だけど、料理大会の監査について、それほど真面目にはしてほしくないの――もっと言うなら、生徒会の機嫌を損ねるようなマネをしてほしくないの」


「いいんですか、そういう態度だと、司法会が舐められませんか?」


 監査課なんて他の会に嫌われてなんぼなんじゃないか、と夏彦は思う。


「普通ならね。タイミングが問題なのよ」


「タイミング?」


「ひとつは、さっき夏彦君の言う通り、料理大会にあなたをやるのは世間向きのアピールで、実際に裏で別の対象への監査が進んでるから、デコイの事件の方で他の会と問題を起こされたら困るって話。もうひとつは……夏彦君、今の司法会の会長を知ってる?」


「はあ、一年生ですよね、雲水って名前の。ノブリスネットで名前だけ確認しました」


「じゃあ、どうやって一年生で会長になったかは?」


「全然知らないです」


 知らないからこそ、常識外れのその人事がどういう経緯で行われたのか夏彦には興味があった。


「知らない、か。そうよね、役職なしだし……」


 少し迷う素振りをした後で、胡蝶はどうして雲水が会長となったか、その経緯を語った。


「はぁー……」


 夏彦は絶句してしまった。

 とんでもない話だ。数十人の首と引き換えに会長になるとは。


「そういうわけで、先の事件について言えば、夏彦君自身については生徒会や風紀会は確かに借りというか負い目があるの。それは間違っていないわ。でも、司法会全体としてみたら――」


「逆ってことですか。会長と副会長が学園を裏切ってたわけですからね。肩身の狭い思いをしてしまう、と」


「少なくとも、今は他の会の目は厳しいと見ていいでしょうね。内容が内容なだけに、役職者にしかこの事件については知らされていないのが救いと言えば救いかしら」


「なるほど、まあ、分かりましたよ」


 夏彦は立ち上がった。


「心得ときます。冷たい水、ごちそうさまです」


「ええ」


 胡蝶は早くも眠そうな顔をしている。


 そうして保健室を出ようと、ドアに手をかけたところで、最後に確認をしようと思い夏彦は振り返った。


「でも、もし本当に何か問題が起こったら、ちゃんと監査してもいいわけですよね?」


「もちろん」


「安心しました。では」


 いけないな。

 保健室を出て、廊下を歩きながら夏彦は思う。

 問題が起きて欲しい、と内心思ってしまっている。前回の事件みたいに、またデコイ扱いが嫌なのだろうか。それとも、問題が起きずに名ばかりの監査をするのは退屈なのか。

 いや、違う。

 もっと単純な欲によるものなのを、夏彦は自覚していた。その欲は、雲水についての話を聞いた時から、熱病のように体の内側にべったりとへばりついている。

 つまり。

 俺も、もっと上に昇りたい。

 出世欲、権力欲。

 平凡な自分には縁がないと思っていたそれが、確かに体の奥でくすぶっているのを、夏彦は感じた。





 一方、夏彦が出て行った後の保健室では、胡蝶が薄く笑っていた。軽く目を閉じて、夢を見ているような表情をしている。そんな風にすると、大人っぽい雰囲気は消えて、急に彼女は少女のように無垢な印象を持つ。


「ふふふ……」


 楽しげに胡蝶は笑う。

 笑いながら体を揺らし、丸椅子がぎしぎしと音を立てる。


「気に入るのも分かるわ。学生時代のあなたにそっくりだもの、ねえ、ライドウ」


 眠ったような顔のまま、胡蝶は笑い続ける。

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