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超絶政治闘争学園ノブリス  作者: 片里鴎(カタザト)
第一話 人のための刃
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屋上の『魚歌水心(ダブルソード)』

 屋上での戦闘は、最初は一方的なものだった。


 律子は、円を書くように斜め後ろに飛び退き続け、久々津と距離をとろうとした。これは、久々津の限定能力の内容が分からない以上、当たり前のことだ。


 だが、それを許すことなく、久々津は俊足を持をもって律子との距離をつめる。

 跳ぶようにして近づく久々津。その足は、律子からしても脅威だった。明らかに、鍛錬で手に入れたものではない。足運びから体重移動まででたらめなのに速い。天性の俊足だった。


「ははっ」


 笑いながら、久々津は律子に追いついた。未だ構えず、太刀は二本ともだらりと両手で持ってぶらさげているだけだ。

 隙だらけのその状態から、


「しっ」


 久々津は右の刀を振るった。基本も何もなっていない、素人が適当に振っただけのような斬撃。だが、その刀は恐るべきスピードと鋭さで律子に襲い掛かった。


「――くっ」


 それをきっちりと見切って紙一重でかわすと、伸びた久々津の右腕を狙って律子は一撃を繰り出した。流れるような一撃。


「おおっ、やるなぁ!」


 右手を引き戻すと同時にバックステップ。即座にそれをやってのけて久々津は律子の刀をかわす。そして嬉しそうに笑った。

 並の反射神経、運動能力ではない。


「ひひっ」


 殺し合いを心底楽しんでいる獣の顔がそこにあった。

 どうやらこの相手に精神的動揺やプレッシャーからのミスは望めないらしい、と律子は冷静に計算する。


 久々津はまた飛び込み、右の刀を適当に振り下ろしてくる。

 恐るべき速度のその一撃をかわした律子に向かって、左の刀が横薙ぎに襲い掛かってきた。それもかわす、が。


「――うっ!?」


 紙一重でかわすのではなく、律子は危険を感じて大きく後ろに跳んだ。一瞬前まで律子のいた場所を、斜めに左の刀が斬り上げた。


「くくっ、今のも避けるか! さすがは律子さんだ」


 まずい。予想以上だ。

 律子は戦慄した。

 横薙ぎから斜めに斬撃が変化した。その理由は律子には分かっている。どのようにして軌道を変化させたのかはしっかりと見えた。

 久々津は、横に振っていた刀の軌道を、手首のスナップで無理矢理に斜めへと変化させたのだ。

 単純だからこそ、恐ろしい。あの太刀を片手で軽々と振るうのも恐ろしければ、手首で刀の軌道を途中で変えるなど、どう考えても手首を壊すやり方だ。

 それを易々とやってのけるということと、彼の限定能力の名前を考えれば。

 『魚歌水心ダブルソード』とは、おそらく片手で剣を振るうことに特化した能力に違いない。腕の筋力や関節の柔軟性などを集中的に強化する能力だろう。

 律子はそう結論付けた。


 恐ろしい能力だ。ただし、相手の限定能力の内容が推測できれば、やりようはある。

 律子は、ゆっくりと突きの構えをして、久々津ににじり寄っていった。


「んん? 何のつもりだ?」


 美しい顔に恐ろしい笑みを浮かべ、久々津はまるで無警戒に律子に近寄ってくる。


「しっ」


 そして適当に太刀を振り下ろした。凡庸な一撃、何の工夫もない。ただ、速度と鋭さは一流だ。

 その一撃に対して、律子は突きから構えを変えて、刀を振り上げた。突きは狙いを悟られないためのフェイントだった。律子の振った刀の一撃は、久々津の振り下ろされている太刀に向かう。


「――むっ」


 刀と刀がぶつかり合う直前、手首で久々津は刀の軌道を変えた。お互いの刀は何に当たることもなく、虚しく空を切る。


 だが、久々津には二の太刀がある。

 下から斬り上げたばかりの無防備な律子に向かって、残った左の太刀が襲い掛かる。久々津は右の太刀を振り下ろしたばかりの無茶な姿勢から、腕の力だけで左の太刀を振るったのだ。


 通常ならば避けきれない一撃。

 それを、律子は握っていた日本刀を手放し、転がることによってその一撃を回避した。手放した日本刀は一瞬で消失した。


 転がり避けた律子は、久々津の後ろへ回った。そしてすぐに日本刀を召還し直す。

 一瞬で、律子の両手には日本刀が握られていた。


 形勢逆転だ。


「ちぃい!」


 姿勢を建て直し、久々津が向き直る時には、既に律子は日本刀を右肩に担ぐようにしていた。


 それを確認した久々津は、一瞬の躊躇もなく、全速力で後退。


 だが、千載一遇のチャンスを逃すはずもない。

 律子は久々津を追って前に跳び、そして全身の力を使って担いでいた刀を振り下ろした。


 ――担ぎ一刀。


 律子の持つ中で、間違いなく攻撃力では最強の技だ。


 それを、久々津は刀で防がず、


「ひひっ」


 無様に転がり逃げることで何とか回避した。だが転がれば隙ができる。


 しかし、律子も担ぎ一刀の後は大きな隙ができるため、久々津の姿勢を立て直す隙に追撃をすることはできない。


 結局、両者同時に構え直した。


 ――まずい。

 律子は舌打ちをしたい心境だった。


 せっかく刀を持っているのにそれで防がず、隙ができるのも承知で転がって逃げた。

 そこからして、おそらく向こうはこちらの意図に気づいてしまったか。


「なるほど」


 久々津は吊り上った目を楽しそうに細めた。


「日本刀を消したり出したりできるのか、便利だな。それも、その日本刀は普通の日本刀じゃあないわけだ。折れず曲がらず、か。うらやましい」


 やはり、ばれていたか。

 律子は内心の動揺を表に出さないように自分を律する。

 『斬捨御免ブレイドライセンス』で呼び出した刀は、それ自体が能力の一部。ゆえに、通常の刀とは違い、消耗したり破壊されたりということがない。


「その刀とこっちの普通の刀をぶつけられたら、そりゃあこっちの刀が先にぶっ壊れるな。武器破壊とはせこいが、いい手だ。ただ――」


 久々津は大きく一歩踏み出した。


「――相手が悪かったな」


 フレームなしの眼鏡の奥で、吊り上った目が光った。


 久々津は踊るように両手を振るい、刀がでたらめに律子に襲い掛かった。

 袈裟、逆袈裟、横薙ぎ、振り下ろし、中段突き、斬り上げ。無茶な順序で次々に攻撃が繰り出される。


 凄まじい速度のそれを、律子は刀で迎撃しようとする。

 だが、どの攻撃も久々津の手首がきりきりと回ると、途端に軌道を変えて律子の刀を避ける。そして、迎撃が空振りに終わった律子に向かう。


 どの攻撃も速度と鋭さ以外は平凡、ゆえに剣術の熟練者である律子は辛うじて避けられる。

 だが、あくまでも辛うじて。いつ均衡が崩れ、律子の首が刎ねられるか分からない。


 その状況でも律子は恐れず、混乱せず、ただひたすらに相手の刀を狙って自らの刀を振り続けた。


 お互いの刃が当たらない状況で、互いに刀を振り続ける。その様子は、遠目から見れば二人でダンスを踊っているようにも見えたかもしれない。


 二人は、踊り続ける。


 その生死を賭けたダンスが一体どのくらい続いただろうか?

 いつしか、二人にははっきりと優劣がついていた。


「……くぅっ」


 避け続け、迎撃し続ける律子の顔色は悪く、汗がとめどなく流れる。明らかな疲労の色があった。


「くく、楽しいな……えぇ、律子さん?」


 対する久々津は息こそ乱れているものの、釣りあがった目も表情も、むしろ殺気に満ち溢れていた。


 適当に刀を振り、攻撃一方の久々津。

 全身全霊をかけて、技術の限りを尽くして迎撃、防戦一方の律子。

 精神的な疲労で差が出るのは致し方ないことだった。


「楽しい時間は、あっという間だな――もう、終わらせるか」


 大きく息を吸って。

 両目を更に吊り上げて、久々津は両刀を振り上げた。


 次で、決めるつもりか。

 本能的に直感した律子は、


「――死ぬことと見つけたり、か」


 呟いて、覚悟を決めて構え直す。


 そうして、二人は向かい合い、睨み合った。


「――くく」


 じりじりと、刀を振り上げたままで久々津はにじり寄ってくる。


 律子の顔に脂汗が流れた。


 二人の距離が縮まっていく。

 一瞬即発の距離。もう、どちらが攻撃を仕掛けてもおかしくない距離だ。


 だがどちらも刀を動かさない。構えを崩すことなく、距離だけがゆっくりと縮んでいく。


「いいのか、これ以上俺に近寄らせて……一撃で、致命傷の間合いだぞ」


 律子は答えず、ただ刀を構える。


「――くひっ」


 我慢ができなくなったのか、狂気の笑みと共に息を漏らした久々津が、体重を前に移動させた瞬間。


「そこまでだ」


 落ち着いたバリトンボイスが屋上に響いた。


「あ?」


 予想外の出来事に、久々津は思わずの声の方を向いた。

 一方の律子は極限まで集中しており、声に惑わされることはなかった。


 律子は久々津が声に気をとられた一瞬の隙を突いて、刀を振った。久々津が振り上げていた両刀のうち、右の刀に向かって。


「うぉ!?」


 気づいた久々津は横に跳びつつ、左の刀を振るった。


「――っ!」


「ぐっ……てめぇ……」


 お互いに後ろに退いて、二人は距離をとった。


 律子の左目の下には、横一文字に刀傷ができ、そこから赤い血が流れ出ていた。


 一方の久々津も、顎から右頬にかけて、美しい顔に斜めに傷がつき、血が溢れていた。


 お互いが、お互いの刀を避けながら攻撃した結果だった。


「……俺の顔に、傷を」


 余裕のある態度はどこにいったのか、久々津は悪鬼の如く歯を食いしばった。


「そこまでだ、と言ったろう」


 声の主が、屋上の入り口からゆっくりと歩いてくる。

 地味な色のコートとスーツに巨体を包んだ老人。ノブリス学園、学園長がそこにいた。

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