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最後の夏のエーデルワイス  作者: 尾久出麒次郎
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第三話、その3

 お昼前になり、宿題の半分を終えて背筋を伸ばすと、一輝はテーブルの隅に置かれた写真立てが目に入った。

 長い黒髪の美しい清楚な女性が柔和で温かい笑みを浮かべ、その隣には陸上自衛隊の制服を着て、猛禽類のように鋭い眼光の男が緊張を秘めた表情で立っている。

「桐谷、この写真の人は?」

 一輝が訊くと、鷹人は少し悲しそうなな表情を浮かべる。

「美由の兄、翔お兄さんさ。隣に立っているのは彩さんで結婚してすぐ筑波の研究所で事故死したよ……これは結婚が決まった日に撮った最後の写真さ」

 夏休み前に零が話してたと思い出す、一輝は気になって率直に問う。

「どんな人だったんだ? その翔さんって人」

「ついてきて」

 鷹人は席を立つと、一輝も席を立って付いていく。

「翔お兄さんは彩さんが死んだ年に自衛隊をやめて四年くらい音信普通になった。話しではシリアやイラク、ウクライナ、アフリカの紛争地帯を転々として彷徨ってた、きっと死に場所を探してたんだと思う」

 鷹人は廊下に出て、鍵を取り出して開ける。

 部屋の中に入ると蒸し暑く、エアコンで冷えた体から汗が一気に噴き出す。

 ベッドと机、本棚は綺麗に整理整頓されてるが無機質で、本棚にある銃の専門誌や軍事関連の書籍、一昔前のライトノベルやアニメのブルーレイ、紅茶の本が辛うじて生活感を漂わせていた。

 鷹人はリモコンでエアコンのスイッチを入れる。

「翔お兄さんの家は高校卒業後に東京に引っ越したんだけど、二年前に突然翔お兄さん熊本に帰って来てフリーライターやコメンテーターの仕事をしながらここで暮らしてたよ、休みの日はこの部屋に篭って青春小説ばかり読んでいた」

 一輝はなんとなく手を伸ばしてライトノベル一冊取る、青春もののようでブルーレイも殆どが青春アニメばかりだった。

「僕が遊びに来るようになると、美由といろんな所に連れて行ってもらったよ。アメリカやヨーロッパ各国は勿論南アフリカやイスラエル、アラスカにも行った……本当に僕たちのことを可愛がってくれたよ」

「翔さん……本来ならここで奥さんと子どもと暮らすつもりだったんだろうな」

 一輝は思ったことをそのまま口にすると、鷹人は肯いた。

「うん、彩さんが死ななかったら……翔お兄さんが生きてたらと思うと、そのたびに胸が締め付けられるような気がするんだ」

「そういえば零から訊いたんだが、翔お兄さん再婚するとか言ってなかった?」

 一輝は夏休み前に聞いた話しを更に思い出して訊くと、鷹人はベッドに座って肯く。

「うん、相手は高校時代の同級生……その人も好きな人を亡くして……翔お兄さんが病死する前に自殺した。祖父母の介護と東日本大震災で被災して、心も体もボロボロで翔お兄さんも死が近かったからだと思う……そして去年の夏休みに、翔お兄さんはこの世を去った」

「ああ、確か癌を治さずに放置してたって」

「うん、あとで聞いたんだけど治療すれば治る可能性はあったって……でも翔お兄さんは治そうとしなかった……美由が東京から転校してきたのは知ってるよね?」

 一輝は静かに肯くと、鷹人は机の椅子に座る。

「美由、今はあんな風に空野さんや井坂さんと仲良くしてるけど、中三の時いじめに遭って高校入ってからも学校に行ってなかったんだ」

「そういえば確か夏休み前に言ってたな」

 一輝は夏休み前にみんなと喧嘩した日、そんなことを言ってたなと思い出す。

「二年生になって翔お兄さんは美由をここに連れてきて、そして転入させた……自分の母校にね、多分その時から自分の命はもう長くないと思ってたんだと思う」

「まるで今の俺たちエーデルワイス団だな」

「そうだね、翔お兄さんも彩さんも、美由のことを凄く可愛がってたよ」

 すると鷹人は何かを思い出したかのようにゲラゲラと笑った。

「そういえば……赤ん坊だった美由を二人で世話して、文化祭の時ベビーカーに乗せて僕と彩の子ですって冗談言って大騒ぎを起こしたんだ」

「マジかよ、変な人だな」

 一輝も思わず笑う、その光景を実際に見てみたいものだ。

「うん、彩さんが言うには偏屈で気難しいけど、実は真っ直ぐで根は優しい人なんだって……僕にとっては口数は少ないけど強くて優しいヒーローみたいな人だった」

「会ってみたかったな」

「俺も、会えるなら会いたい。会ってどうして病気を治さなかったんだって」

 それはもう永遠に訊けない、いや九月に滅んで死んだら訊けるかもな。

 すると和泉が入ってきた、そういえばドアを開けっ放しだった。

「どうしたの二人とも、ここでサボって男と男の話?」

「あ、和泉さん……和泉さんから見た翔さんってどんな人でした?」

 一輝は率直に訊くと、和泉のにこやかな表情が変わって沈黙が流れる。

 まずいこと訊いてしまったかと、一輝は冷や汗を流す。

「鷹人君にも話しておかないといけないわね……」

 和泉はドアを閉めてベッドに座る。

「あたしね……筑波の大学にある航空宇宙科学研究所で……彩さんと会ったの」

「それ、初耳ですよ!」

 鷹人は驚愕の表情を露にした。

「そこで翔さんの話しをよく聞かされたわ。聞いた話しだと周囲と関わるのを恐れていた、だけど寂しがりやさんだって……彩さんが事故で亡くなり、彩さんの葬儀で翔さんに会った時の印象はまるで死者だったわ。その時は挨拶を交わしたっきりだったけど……去年の夏の始まり、熊本で再会した時は……もっと酷い顔になってた、この人もうすぐ死ぬんじゃないかって……結果的にすぐに亡くなったけどね」

 和泉は悲しげに首を横に振った。

「その間、彩さんの話を聞かせたわ……その時だけは翔さん、瞳に光を取り戻していたわ。だから何度も聞いた。翔さんは再婚するつもりなかったんだと思う……彩さんのこと、あの人はずっと愛してたのよ。だから死を選んだのかもしれない」

 一輝はその気持ちに少し共感しそうな自分がいることに内心、戸惑っていた。自分は今エーデルワイス団という仲間がいるが、もしそれがなかったら無意識に死へ向かってたのかもしれない。

「それ……少しわかる気がします、自分大量自殺事件の後……テニスをやめました。その時半分自暴自棄になっていて、後追いで死のうか考えたんですけど……」

 テニスができなくなり、四月の大量自殺事件の時はまだ辞めていなかったが、ずっと試合したいと思ってた奴も命を絶った。もしもっと早くやめてたら自分もその中に入ってたし、こうして本田の応援にも行けなかったのかもしれない。

 和泉は自信に満ちた笑みで訊いた。

「でも、生きていてよかったでしょ?」

「はい、そうですね」

 一輝は肯くと妙子の声が壁越しに響く。

「みんな、ソーメンできたわよ!」

 そういえばもうお昼だ、さっき美由と零がエプロンを着て支度していた。


 お昼になり、ダイニングルームのテーブルで六人は囲んでテレビを点け、みんなで食べる。

 テーブルの上には六人分も作っていたからか、特大サイズの器にソーメンがドンと置かれ、ボリュームは凄まじく美由曰く。

「ちょっと作りすぎちゃったかも?」

 だが一輝にしてみれば十分で、鷹人も遠慮なくどんどん食べていた。

「いいじゃない、僕たち食べ盛りだし。空野さんと美由が一生懸命作ったんだ……残すのはもったいないだろ?」

「そんなに食べたら太っちゃうわよ」

 零はからかうが鷹人ははっきりと反論する。

「人間ある程度体重は必要さ、内臓というエンジンに筋肉という駆動系統、脳みそと言うコンピューターや五感という各種センサー、骨というフレーム、皮膚と言う装甲、軽量化し過ぎると耐久性が落ちるかどこかで必ずしわ寄せが来る」

「鷹お兄ちゃんこれじゃまるでロボットだよ」

 美由はソーメンを咀嚼して言うと、一輝は妙子に言ってやった。

「ということは井坂は燃費を重視したコンパクトモデルって訳か?」

「それってチビって言いたいわけ? あたしがチビなら一輝君はテニスのことしか頭にない脳筋仕様かしら?」

 言い返すとみんなが笑う、一輝も笑って言う。

「はははははっ、もっとも俺は壊れたポンコツだがな。零は結構ありそうだな」

「失礼ね。そんなことないわよ、桐谷君私を肩に乗せたし」

「いや零、それ零が軽いんじゃなくて桐谷が凄いだけだろ?」

 一輝はふざけて言うと鷹人はクスクス笑いながら正直に言った。

「ごめん空野さん、正直言って重かった」

「ひどーい桐谷君! せっかく褒めたのに!」

「でも跳んだ時は凄い力強さを感じたいよ、パワーもきっと凄いだなって」

「それ全然フォローになってないよ!」

 零は苦笑しながら文句言うと、妙子はニヤニヤしながら言う。

「ええでも零ちゃん、ボン・キュッ・ボンじゃん。それに美人で男子にも人気あるし」

「それは私の体目当てよ。何回か告白されたことあったけど下心見え見えだったし」

 零は不満げに唇を尖らせる、確かにここ数年幼馴染は急速に成長して性欲旺盛で発情期な男子生徒たちの妄想と股間を奮い立たせている。

「仕方ないわ育ち盛りの男の子はみーんな、性欲旺盛なのよ。特に夏の時期は露出が多くなるし……健康な思春期の男の子はね」

 和泉の言葉に一輝はグッと堪えたが隣に座ってた鷹人は思いっきりムセた。

「ゴブッ! ゴホッゴホッ!」

「桐谷君!? どうしたの!?」

 零は驚く。

「鷹お兄ちゃん大丈夫!?」

 向かいに座ってた美由は慌てて立ち上がり、背中を叩く。

「すまん、美由……和泉さん……食事中に言わないで下さいよ」

「ごめんごめん、でも今の言葉でムセたってことは図星なんでしょ?」

 和泉が意地悪な言い方すると妙子もニヤける。

「へぇ桐谷君ムッツリスケベなんだ」

「あんまり言わないであげて、一輝君もそうなんでしょ?」

 ご尤もです和泉さん、と一輝はソーメンを咀嚼すると、深呼吸して鷹人は言う。

「性欲がなかったら今頃人類は滅びてますよ、尤も九月に滅びますが」

「そうだそうだ、特にこの時期は繁殖のシーズンなんだ」

「三上君、僕たちは何かの動物か?」

「いや桐谷、すまん個人的な考えだ」

 一輝はそう言ってソーメンを箸で取る、テレビのお昼のワイドショーのお天気コーナーが終わると特集に入る。

『では特集です、夏休みに入りましたが今若者たちに異変が起こってるそうですね』

 司会者の言葉に一輝も含め、みんな画面に注目した。

『はい、今年の九月に彗星が地球に衝突して世界が終わるのか? という騒ぎ、表向きでは沈静化しましたが……こちらのグラフをご覧下さい』

 スタジオのモニターに二つの円グラフが表示される。

 左は滅亡を信じるが全体の三〇・八%、信じないが五〇・一%、わからないという回答が一九・一%と表示されていた。

『結構いますね信じると言う方たちが、それを年代別に分けたのが右のグラフです』

 右のグラフで少ない順に六〇代以上が四・五%、四〇~五〇代が五・五%、二〇代~三〇代が四四・一、そして一〇代が四五・九%と圧倒的だった。

『はい、このように若い世代が世界の滅亡を信じ、受け入れてしまってることが取材でわかりました……VTRをどうぞ』

 VTRには若い世代が滅亡を受け入れ、夏休みという将来に向けた活動――すなわち就職活動や受験勉強を放棄してるということだ。一輝はそういえば最近スーツを着た若い人を見なくなったと思い出す、考えてみると自分たちエーデルワイス団は年寄りたちから見たら非常に恐ろしい集団だと見える。

 言い換えれば彼らは滅亡という機会に、未来を終わらせようとしてるのだ。

「どうしたの三上君?」

 妙子の声にハッと顔を上げる。

「えっ? ああなんでもない何だ?」

「もし細高が甲子園出場を決めたらさあ、予定を大幅に変更するけどいいかな? あ、勿論コミケには行くけど」

「ああ、俺はいいぜ別に……本田や野球部のみんなが喜ぶ」

 一輝は肯いた。

 そうだ、エーデルワイス団は誰にも邪魔されず、干渉されず今を生きる奴らの集まりだ。決して滅亡を受け入れたわけじゃない。

『さて、ここで現れたのが秘密結社エーデルワイス団。取材を申し込みましたが丁重に断られた、マスコミ各社は現在エーデルワイス団の創設者を探している』

 VTRの終わり際、エーデルワイス団という言葉にみんなが反応してテレビに注目すると画面がスタジオに切り替わる。

『はい、ここでVTRの最後に出てきましたエーデルワイス団。大量自殺事件後に突然現れた謎の秘密結社ですがこれが全く謎に包まれておりまして、団員らしい方たちに取材を申し込みましたが……ことごとく断られました、団員でさえ創設者もわからないということです』

 そういえばエーデルワイス団はいつ、誰が、何の目的で作ったんだろう?

 一輝はそう思ったが、すぐに忘れることにした。突き止めたとしても変わらないだろう。

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