第二十二話 曇っていた目
俺達一行にエマを加えた七人は、宿屋から出て、大聖堂に向かって街を歩いた。
この街に来てから、意識をして街を観察したことはなかったが、今日は、全員がキョロキョロと辺りを見渡しながら歩いた。
「ところで、アルスさあ」
「どうした?」
エマがいつの間にか俺の隣に来ていた。
やはり盗賊だけに自分の気配を隠すのが上手い。
「リーシェお姉様はどうしていないのだ?」
目の前でイルダに手を引かれている子供リーシェが同一人だとは、さすがのエマも気がつかないようだ。
俺は、エマの耳に口を近づけて、イルダ達に聞こえないように小さな声で話した。
「あいつとは、いつも一緒にいる訳じゃないんだ。あいつは気まぐれなんでな。今頃はどこかで昼寝でもしてるんじゃないか」
封印されているんだから、昼寝しているようなもんだと自分で納得していると、エマが俺の肩をちょんちょんと叩いた。
俺が振り向くと、エマが目立たないように小さく、ある方向を指差していた。
その先には、ゆっくりと歩く三頭の馬。両脇に聖教会騎士団の騎士を従えた背の低い男がふんぞり返って馬に乗っていた。
その男は腹回りが絞られた縦格子柄の上着に提灯型の膝丈のズボンという格好をしていた。
徴税請負人だ。
領主に代わり住民から税金を巻き上げ、徴収額の何割かを手数料として自分の懐に入れる職業の男だ。
エマがそいつらの跡をついていくと、俺達もその跡を追った。
ある家の前で馬を降りた徴税請負人がその家の扉をノックすると、若い男性がドアを開け、顔を見せた。おそらくこの家の住民だろう。
徴税請負人がたすきに掛けている布袋の中から紙切れを取り出すと、住民はあからさまに嫌な顔をしたが、いったん家の中に戻ると、すぐに口を紐で縛った小さな袋を一つ持って出て来た。
金貨を入れる袋だ。
徴税請負人は、片手でその袋を受け取ると、軽く手の上で弾ませた。
その感覚だけで金貨の量が分かるようで、金貨の量が足りなかったのか、徴税請負人が一歩だけ住民に迫ると、その左右の騎士がずいっと前に出て、住民の両腕を取った。
恐れおののく表情をした住民は必死で弁解をしているようであった。
しかし、その弁解を聴く耳を持っていないようで、騎士の一人がいきなり住民の顔を殴りつけた。騎士はそれでも飽き足りないように、倒れた住民を何度も蹴ったり、踏みつけたりした。
「酷い」
イルダが呟いた。
リゼルやダンガのおっさんも渋い顔をしていた。
領民に対する徴収権を持つのは領主の特権であり、その税率も領主の自由だ。
戦争をする時に臨時徴収をすることもある。納税は領民の義務なのだから払えなければ、強制的な取り立てを受けることもやむを得ないことだ。
しかし、徴収する際に、あそこまで暴力的に取り立てるのは初めて見た。ましてや、ここは教会領だ。他の街に攻め込むための軍備などいらない教会は、普通の貴族領と違って、税率が低いはずだが、今の住民が差し出した金貨袋でも足りないということは、エマが言うとおり、かなり高い税率が課されているようだ。
ふと周りを見てみると、家の窓と言う窓がすべて閉じられていた。人々は、恐怖に打ちひしがれながら息を潜めて、この徴税請負人が行き過ぎるのをじっと待っているのだろう。
徴税請負人に目を戻すと、気絶をしている主を放っておいて、二人の騎士に指示をして、その家の中から、家具や衣装、果ては食料まで運び出していた。
ドアの側では、小さな赤ん坊を背負った女性――妻と子供だろうか?――が為す術無く立ち尽くしていた。
「明日からどうやって生活をしろと言うのでしょう? いくら税金が払えないからと言っても酷すぎます!」
イルダが俺を見ていた。
何とかしろと目で訴えていたが、俺にどうこうできるものではない。
冷たいようだが、俺が出て行って徴税請負人を叩きのめしたとしても、今度はもっと大勢の騎士を引き連れて、別の徴税請負人が来るだけで、この街の支配者を変えない限り、何の解決にもならないと言うことだ。
エマが無言で徴税請負人の方に歩き出した。
「お、おい! どうするつもりだ?」
「アタイが代わりに払う」
エマの背中に問い掛けた俺の質問に振り向くことなくエマが答えた。
徴税請負人の側まで行ったエマは、徴税請負人と二、三言言葉を交わすと、懐から金貨袋を取り出し、それを二つ徴税請負人に手渡した。
袋の中身を確認した徴税請負人が満足したように騎士に頷くと、外に出した家具などを置きっ放しのまま、馬に乗り、去って行った。
それを見て、俺達は、エマに近づいて行った。
「ナーシャ!」
俺がナーシャを呼ぶと、ナーシャは何も訊かずに、気絶をして横たわっている住民に治癒魔法を施しだした。
イルダは子供を背負った女性を慰めるように話し掛けていた。
「さすが義賊だな」
「アタイは、盗んだ金をこうやって使うんだ。今日は、たまたま手持ちがあって良かったよ」
エマの義賊としての姿を目の当たりにしたリゼルとダンガのおっさんも、エマを見直したようだ。
しかし、人間、気をつけて見ているのとそうでないのとでは、まるっきり見え方が違うことに驚かされる。
ここの住民ではない巡礼者は、はるばるここまでやって来た高揚感で、ある意味、浮かれており、それで街の雰囲気が誤魔化されていた気がする。
籠の鳥である住民達は一様に表情が暗い気がした。
また、巡礼者相手の店が必死になって客を奪い合っているのも、支払うべき税金の元手を稼ごうとしているためだと理解できた。
大聖堂までやって来ると、そこにいるのは「浮かれた」巡礼者ばかりで、一層、俺達の目を曇らせていたことに気づく。
「今日は、特に巡礼者が多くないか?」
俺の呟きに、イルダが大聖堂の入口を指差しながら答えた。
「今日は、モレイク枢機卿、直々の説教があるそうですよ」
「誰だ、それは?」
「モレイク枢機卿は、このマグナルの街を統治する教会の最高責任者だ」
二週間前からここに滞在しているエマが答えた。
「すると、悪の教会の親玉ということか?」
「エマ殿が話された行為が、実際に、教会のどの階級の指示で行われているのかが分かりませんから、何とも言えませんね」
イルダの慎重な意見ももっともだ。
大体、トップなんてのはお飾りで、下から報告が上がってこずに、何も知らないことが多い。アルタス帝国が滅んだのも、各地における敗戦の報告が皇帝まで上がってなかったからではないかと思っているが、今更、そんなことを指摘しても仕方がない。
とりあえず、枢機卿の顔を拝んでやろうと大聖堂の礼拝室に入り、空いていた最前列の長いベンチのような木製の椅子に、左からダンガのおっさん、リゼル、リーシェ、イルダ、俺、エマ、そしてナーシャという順番で座った。
椅子に座って、じっくりと祭壇を眺めてみると、初日に気づかなかったことに気づく。
祭壇の中心にあり、右手首に炎の数珠をはめている大きな像は、大きな剣を持っていた。像が救世主カリオンだとすると、あの剣はフェアリー・ブレードと言うことになる。
もっとも、この像の製作者がフェアリー・ブレードを見ているはずはないので、あくまで想像によるものだろう。
祭壇の両脇には、荘厳な宗教画が描かれていた。よく見ると、精悍な顔つきの戦士が輝く剣を構えて、毛むくじゃらの怪物と対決している絵であった。
――ひょっとして、あれって、救世主カリオンと魔王リーシェの対決の図なのか?
確かに、絵の怪物は、悪の権化たる魔王らしい風貌だが……。
イルダの隣に座っているリーシェを見てみると、神妙な顔をして、じっと祭壇を眺めていた。たぶん、心の中でお怒りのことだろう。
しばらくすると、涼やかなベルの音で聴いたことがあるメロディが奏でられ、ざわついていた礼拝室がシーンと静まりかえった。
ベルの音が止むと、祭壇の横から、煌びやかな司祭服を着た男性数人の後に、ひときわ煌びやかで派手な作りの司祭服の男が出て来て、祭壇の中央に設置された演台を前にして立った。
その左右に大勢の司祭が並んで立つと、演台の男が、低いがよく通る声で話し始めた。
「今ここにいる皆さんに神のご加護と祝福を」
どうやら、あいつがモレイク枢機卿のようだ。よぼよぼの爺さんかと思ったが、まだ壮年という言葉がぴったりの白髪頭の男性だった。
しかし、昔からこの説教を聴いていると眠くなる。今も枢機卿の話が子守歌にしか聞こえない。
ふと横を見ると、イルダは胸の前で手を組んで一心不乱に説教に聞き入っていた。本当に真面目な娘だ。
その隣のリーシェはと見てみると、やはり真剣な顔で枢機卿を見入っていた。
まさか、あの宗教画に対する復讐とか変なことを考えているんじゃないだろうな?
今度、封印が解けた時、ご機嫌斜めになっていないことを祈りたい。
特段、おかしなことには気づかないまま、枢機卿の説教は終わった。
枢機卿は、お付きの司祭をぞろぞろと従えながら、祭壇の奥に引っ込んで行った。
礼拝室にいた巡礼者も一斉に立ち上がって出口に向かい出すと、通路は一気に混雑してしまった。
最前列にいた俺達は、巡礼者がほとんど礼拝室から出て行き、混雑が解消されるまで待って、席を立った。
「待たれよ」
背後から声が掛かった。
振り向くと、司祭服を着た男が一人立っていた。
「何か用か?」
警戒を強めながら、俺が司祭の前に立った。
「そちらにいらっしゃいますのは、イルダ姫ではありませぬか?」
リゼルとダンガのおっさんが、すぐにイルダの前に立ち塞がった。
「人違いだぜ。こちらは首都から落ち延びてきたアマリス商会の娘さんだ」
イルダの公式プロフィールだ。
「どうかご安心ください。誰かに言い付けるようなことはいたしません」
「あんた、誰だ?」
「これは申し遅れました。私は異端審問官のオグマと申します」
丁寧に頭を下げた小柄な男は、短く刈られた灰色の髪、白い肌に灰色の瞳の顔には人懐こい笑顔を浮かべていた。
異端審問官とは、元々は、総本山が認めている教義以外の教えを広めている聖職者を取り締まる役職だが、今ではそれに限らず、聖職者の犯罪の捜査や取り締まりをしている総本山直属の警察官といった役割を担っているが、目の前にいるオグマは、人の良いおじさんのようにしか見えなかった。
「異端審問官? バレバから来ているのか?」
「はい。イルダ様とは二年ほど前にバレバでお会いしています。イルダ様はお忘れになっているかもしれませんが?」
俺はイルダの顔を見たが、イルダは小さく首を横に振った。
俺は、剣の柄に手を添えた。
「もし、彼女がイルダ姫だとしたら、俺達をどうするつもりだ?」
「先ほども述べたとおり、何もいたしません。私があまりに嬉しくて声を掛けてしまっただけです」
アルタス帝国の初代皇帝カリオンを崇拝している教会の人間にとって、その末裔である前皇室も敬うべき存在であるはずだ。
ちなみに、真偽のほどはともかく、今の皇帝もカリオンの血を受け継いでいると広言しているから、イルダとは遠い遠い親戚ということになる。
「とりあえず、ここでは話がしづらい。外に出ないか?」
人がいなくなった礼拝室は声が響いて話しづらい。
俺達は、礼拝室から出ると大聖堂前の広場の一角で向き合った。
俺が横目でイルダを見た。イルダは黙って頷くと、オグマの前に進み出た。
当然、左右にはリゼルとダンガのおっさんが控えている。
「確かに、私はイルダです。でも、申し訳無いのですが、あなたのことは憶えておりません」
「はははは、そうでしょうな。私はその当時から異端審問官でしたが、総本山には百人からの異端審問官がいますからな。だから、イルダ様と会ったというのは正確でなかったかもしれません。陛下とともに巡礼に来られたイルダ様に見とれていたというのが正しい言い方でした」
俺は、聖職者とは思えない砕けた雰囲気のオグマに好感を持った。
俺が自ら名乗ると、それを追うように、全員が自己紹介をした。
「ところで、異端審問官がなぜここにいる?」
「それは職務上の秘密でお教えすることはできません」
しかし、考えてみれば、これ以上ないくらい、グッドタイミングじゃねえか?
「ここの教会が情け容赦なく高い税金を取り立てているからか?」
「おやおや、どこでお知りになったのでしょうか?」
「否定しないんだな。総本山に密告でもあったのか?」
「それもお答えできませんな」
「ならば毎夜開かれている怪しい礼拝のことは知っているか?」
俺の問いに、オグマの顔付きが変わった。




