第百三話 新たな逃避行
ジュルド村にもう少しで着く所まで来ると、エマに先に行ってもらって、ルシャーヌを連れて帰ったことを、一足先にみんなに伝えてもらうことにした。
馬にムチを入れて走り去るエマの後ろ姿が見えなくなると、俺は少し速度を落とした。
「ルシャーヌ! そろそろ、エリアンがいる村に着く。少し休むか? 身だしなみも整えたいだろ?」
「ありがとうございます、アルス殿! でも平気です! 私は、もう公爵家を捨てて来たのです! 身だしなみなど、かまっていられません! それに、エリアンにも早く会いたいです!」
馬上で振り向き、ルシャーヌの顔を見ると、その身にまとっていた公爵家令嬢としての重りを脱ぎ捨てたからか、晴れやかな顔をしていた。
「分かった! じゃあ、飛ばすぜ! しっかり、つかまっていろ!」
ジュルド村が見えてきた。
村の入り口の前には、イルダ達が立って待っていた。エリアンがその中から抜け出て、こちらの駈けて来るのが見えた。
ルシャーヌが息を飲むのが聞こえた俺が馬を止めると、待ちきれなかったように、ルシャーヌは馬を飛び降りて、エリアンに向かって一直線に走った。
俺が馬から降りた時には、二人はしっかりと抱き合っていた。
「ルシャーヌ! 会いたかった! 会いたかった!」
さすがのエリアンも男泣きしていた。そのエリアンの胸に顔を埋めたルシャーヌも言葉を出すことができないようだ。
イルダももらい泣きをしながら、二人の近くに歩いてきていた。そんなイルダの顔を見ると、少々、強引ではあったが、ルシャーヌを連れて来て良かったと、自分に言い聞かせることができた。
村長宅の食堂で二人の再会を祝し、村の料理自慢の女性が作ってくれたジャガイモ料理と安い葡萄酒で、ささやかな小宴を催した。
「ルシャーヌとこうやって再び会えることができるなど、夢のようです。これもイルダ様、そしてアルス殿、エマ殿のお陰です」
エリアンとルシャーヌが揃って、俺とエマに頭を下げた。
「そんなことないって! ねえ、アルス」
エマも正面切って礼を言われて、照れたようだ。
「そうだな。一番、感謝をしなければいけないのは、ネルフィだろう」
俺は、ルシャーヌの部屋での、ネルフィとのやりとりを、みんなに話した。
「やっぱり、ネルフィさんは私達の味方をしてくれたのですね」
イルダも、キリューの薬屋でネルフィに助けられている。
「ああ。あのまま、公爵家に縛り付けておくには惜しい人材だ。それに魔法の腕前も相当なものじゃないのか?」
「ネルフィが得意としているのは、あらゆる物を宙に浮かべて、自在に操ることができる『浮遊魔法』という魔法だ」
俺の問いにリゼルが答えた。エマが投げたナイフを途中で止めて浮かべたのが、まさにその魔法なのだろう。
「実は、俺もネルフィに味方に加わってほしいと思って、これからルシエールの街に行くと言ってしまったんだ」
「ネルフィさんも、私達に加わってくれて、一緒にルシエールに行ってくれれば心強いですね」
イルダが言うとおり、今、有能な人材は一人でも味方に欲しいところだ。
「それで、ルシエールには、いつ発つ?」
「マゾルドの街には、昨日、ダンガとともに戻って、屋敷から持ち出せるものや金銭などはすべて持ち出してきました。いつでも発つことができます」
俺とエマがキリューの街に行っている間に、エリアンはマゾルドの街に戻っていたようだ。
「そいつは上々だ。しかし、久しぶりに、ルシャーヌと二人きりで、少しのんびりしたいんじゃないのか?」
俺がエリアンとルシャーヌに茶々を入れると、はにかんだルシャーヌの横で、同じように顔を赤くしたエリアンが「それはルシエールに着いてから、ゆっくりと」と言った。
「それじゃあ、明日にでも発つか?」
「そうですね。帝国軍が追撃してくる前に、ある程度は引き離しておきたいですね」
帝国軍は、俺達がどこにいるか分かっていないはずだ。だから、二万の兵士を分散させて、マゾルドの街一帯を捜索する人海戦術を採るしかない。
それに、兵士達には、リーシェが見せた凄まじい魔法の力に対する恐怖心がまだ残っているだろう。そして、その恐怖心は一緒にいる人数が少なくなればなるほど高まる。兵士を分散させて行動させるにも限界があるはずだ。
しかし、ザルツェールは、イルダにフラれたことに続いて、新たな自分の許嫁を初夜の直前に奪われた。怒り心頭なのは容易に想像できる。ザルツェールがその怒りをぶつけようとするなら、兵士達の尻を叩いてでも、すぐに俺達を探そうとするだろう。
猶予は、それほどないと考えていた方が良い。
「じゃあ、明日早朝に発とう!」
明朝。
まだ、薄暗い中、俺達はジュルド村を跡にした。
貴族令嬢として、昨日まで優雅に部屋で刺繍とかをしていたルシャーヌを歩かせると、すぐに足を痛めて、全体の進行速度を遅くすることを恐れたエリアンが、村長から馬を律儀に買って、その馬にルシャーヌを乗せると、自ら手綱を取った。
エリアンとルシャーヌを加えた、俺達一行は、マゾルドの街を東に大きく迂回するようにして、マゾルドのほぼ真北にあるルシエールの街を目指して歩き出した。
エマが、一足先に馬を走らせて、俺達が向かっている先に敵兵がいないかどうかを、逐一、俺達に報告をしてくれた。
また、ナーシャにも普段よりも高く飛んでもらって、近づいてくる敵がいれば、いち早く分かるようにしていた。
途中、追っ手の帝国軍と思われる数人の兵士達を見かけたが、木陰に隠れてるなどしながら、とりあえず、二日間は、無事に旅程を終えた。
ルシエールには、まだ七日ほど掛かる。その間、ずっと野営になるが仕方がない。
そして、ジュルド村を発って三日目。
エマが馬を飛ばして戻って来ているのが分かった。その表情から、よくない話だと想像できた。
「大変だよ! この先で帝国軍五千人くらいの部隊が待ち構えているよ!」
「待ち構えているだと?」
「アタイらを待ち構えているとしか考えられないよ!」
二万のうちの五千という兵士の数からいうと、各方面に分散させ捜索させているような数ではない。明らかに待ち構えているとしか言いようがない。
今、歩いているのは、マゾルドの街やジュルド村からルシエールに続く街道だ。マゾルドの街から四方八方に延びる街道のうち、ルシエールの街に続くこの街道だけにそんな数の兵士を先回りさせているということは、俺達の行き先がルシエールだとばれているとしか考えられない。
「少々危険だが、街道から離れて、森の中を進むか?」
山賊の類いであれば、まったく怖くはないが、凶悪な魔族が森に潜んでいないとも限らない。今の俺達一行には、イルダと子供リーシェの他に、ルシャーヌという非戦闘員が増えている。エリアンが専属でルシャーヌの護衛についたとしても、戦いにいろいろと制約が多くなるのはやむを得ないことだ。
俺達は南北に延びる街道からはずれ、東に向かい、すぐに見えてきた森の中に入り、そこから進路を北に戻して歩き出した。
「じゃあ、また偵察してくるよ」
エマが馬に乗り、街道の方向に戻って行った。
「アルス殿」
森の中なので、名馬フェアードから降りて歩いているイルダが、俺の隣に来た。
「私達がルシエールの街に向かっていることは、きっと、敵にばれてしまっていますよね?」
「おそらくな。ルシエールの街が今の帝国に臣従していないという情報を得た俺達が、そこに向かうと判断することは容易に考えられるからな」
「ここで敵をやり過ごしたとしても、ルシエールの街に入れることはできるのでしょうか?」
「イルダの杞憂も分かるが、今となっては、ルシエールに行くしかないだろう? それとも、リンカがいるリャンペインか、バルジェ王国まで戻るか?」
「リャンペインもバルジェ王国も私達を迎え入れてくれるでしょうが、私達がそこに入ったと今の帝国に知られると、とんでもない迷惑を掛けてしまいます」
バルジェ王国は砂漠の小国だし、リャンペインは死者の軍団の崩壊により軍備が壊滅的な状態にある。どちらも今の帝国に本格的に攻め込まれると、とてもではないが、対抗できるだけの力はない。
それに対して、今の帝国に臣従していないルシエールの街には、今の帝国が攻め込む動きを見せていない。その理由として、いろんなことが考えられるが、今の帝国が攻め込もうにも攻め込めないほどの軍備をルシエールが有しているのかもしれない。
また、もし、ルシエールの街の支配者が、今の帝国に徹底抗戦するつもりなのなら、アルタス帝国の皇女たるイルダは、その反抗の理由付けになるのだから、喉から手が出るほど欲しいはずだ。
今は、ルシエールの街に行くしかないんだ。
俺が、そんなことをつらつらと考えていると、一匹の蝙蝠が俺達の上をひらひらと飛び始めた。
「ファル姉さんの伝令蝙蝠だ!」
ファルは、イルダの姉であるカルダ姫の従者である魔法士で、リゼルの姉弟子だ。つまり、その伝令蝙蝠は、カルダ姫からの伝言を携えているということだ。
足を止めた俺達の元に、蝙蝠が舞い降りて来て、リゼルが差し出した手のひらの上に止まった。
みんながリゼルの周りに集まるのを待ってくれたのか、少し間を置いてから、伝令蝙蝠からカルダ姫の声が聞こえてきた。
『イルダ! 無事か? わらわ達は、今、ダンブレッドという街にいるが、今の帝国軍の動きが急じゃ。どうやら、わらわ達が生きていて逃亡していることが知られてしまったようで、大々的に捜索がされているようじゃ。旅を続けているのは危険かもしれぬ。しばらく、どこかに隠れていようかと思っているが、そもそも、隠れることができる街があるのかも分からぬ。イルダの考えはどうじゃ?』
カルダ姫からのメッセージを聞いて、少し雰囲気が暗くなってしまった。
アルタス帝国の二人の皇女の捜索は、思っていたより大々的になされているようで、本当にルシエールの街にたどり着けるのだろうかと、みんな、弱気になったようだ。
「お姉様にも、私達がルシエールに向かっていることを伝えましょう。お姉様も一緒に隠れることができれば安心です」
ルシエールが、俺達が期待するような街であれば、イルダの言うとおりだろう。しかし、そうでなかったら、二人の皇女がみすみす、その罠にはまりに行くようなものだ。
しかし、帝国軍の追及が迫っている中、もう俺達には選択肢はない。
それに懸けるしかないんだ。




