楽園だった
いやー、誤解していました。ヤナンカさんは良い人です。
私は今、学院の校舎くらいでっかい聖竜様の大広間くらい広い背中に座って空を飛んでおります。ヤナンカさんが出してくれたのです。もちろん、魔法で作られた聖竜様ですが、私は大空を聖竜様と共に飛ぶという夢の一つが叶いました。大満足です。
更には、うつ伏せになって聖竜様の匂いと感触を堪能いたしました。素晴らしい楽園です。
もちろん、ヤナンカさんの作った幻想だとは分かっています。聖竜様の姿形ではあるものの、魔力の質は異なりますから。
それでも、長い異国生活での聖竜様ロスだった私の心の隙間を見事に埋めてくれたのでした。
他の方々も同様です。
ガランガドーさんはアデリーナ様の偽物を出してもらっています。背中に乗せて、あちらもご満悦の表情で寝そべっています。
サブリナさんは知らない男の人と団欒です。恋人かと聞いたらお兄さんだそうです。
サブリナさんのお父さんは元剣士だと聞きましたが、お兄さんはそれを受け継いだのでしょう。肩幅が広く、また、背も高くて、腕の筋肉も剣士らしく盛り上がっています。
サルヴァは、お母さんでしょうね。ゆったりとしたドレスに身を包んだその人は聖女と言われても納得の気品を感じました。お上品な仕草や表情、艶やかな金髪。こんな人が実は元娼婦って言うのが信じられないですね。文化の違いでしょうか。
サルヴァはその人を見るなり、体を小さくして踞っていました。涙を見せないようにしているのだと思います。女性は優しく震える背中を擦っていました。そんなのを横目でチラリと確認したのです。
さて、もう飽きました。
聖竜様っぽいですが、何だか威厳が足りないです。何て言うかな。優しすぎますね。紛い物は紛い物でしかないです。
「どうかなー? 楽しんでくれてるー?」
真っ白な顔のヤナンカさんは飛行魔法で私の隣に来て笑顔で尋ねてきました。
「はい。とても楽しかったです。ありがとうございます。でも、そろそろ帰ろうかなと思うので、出口を教えてください」
「んー、そうなんだー? それじゃー、ご飯にしよー」
ヤナンカさんはニコニコです。そして、目を瞑って口をモゴモゴさせていました。恐らくは魔法詠唱を他人に聞こえない程度の大きさで行っているのでしょう。
マイアさんとか賢い人達は魔法詠唱句から何系の精霊の魔法か理解できるみたいで、そこから対処も考えるみたいですから、ヤナンカさんみたいな魔法上級者としては、余り人に聞かせるものではないと考えているのでしょう。
草っ原に丸ごと一頭串刺しで炙られている豚が出てきました。瞬間移動したヤナンカさんは大きなナイフを持っていて、その茶色く艶光りする焼き豚を切り取ってくれるみたいですね。
「ヤナンカねー、これが一番美味しいと思うんだー。一緒に食べよー」
もちろんです。
私とガランガドーさんは駆けて、ヤナンカさんへの一番乗りを競います。生意気にも私の前に出ようとしたガランガドーさんを踏みつけ、私は勝ちました。
とっても香ばしい。そして、じゅーしー。
サブリナさんはいつも通り、口をあまり開けずに静かに食されています。サルヴァは、あれ? あいつ、食べてないですね。食べないと死にますよ。
私は優しいので切り落とした肉を刺した串を静かに座るサルヴァに渡してやりました。
「じゃあねー、次はゆっくりと休憩しようねー。時間はいっぱいあるからねー、大丈夫ー。これからも楽しいことをいっぱいしよー」
「いえ、もう帰りますので」
「でも、帰れないよー。ここは侵入者が嵌まる罠だからー」
……やっぱり。嫌な予感はしていましたが、この展開ですね。もう慣れていますよ。
私の覚悟を無視してヤナンカは続けます。
「この場所は本物のヤナンカが作ったんだー。でも、何もなくて死んじゃうのは可哀想だから、私がお世話するのー。皆が死ぬまで頑張るから、よろしくー」
そして、さよならー。
私は一撃で葬るべく、拳をヤナンカの腹に鋭く入れました。
魔族は血を流しません。それはルッカさんやフロンを殴ったときに知っています。だから、ヤナンカもグハッと唾は飛ばしましたが、吐血はしませんでした。
動かなくなったヤナンカは、構成していた魔力が散り散りになるように消え去りました。
しかし、それらの魔力は私の打撃の届かないところに集まり、またヤナンカとなるのです。
「あなた、らんぼー。ヤナンカ、びっくりしたー」
うふふ、まだ余裕の表情ですね。大丈夫ですよ。泣きながら殺してくれと言うまで殴り続けてやりますからね。
「巫女よ……待ってくれ。……ヤナンカは話が分かるヤツだと思うのだ」
「そうです、メリナ。ここは平和的に行きましょう」
サルヴァだけなら無視していましたが、サブリナさんが言うなら仕方御座いません。思う存分に語り合いなさい。そして、決裂次第、私の優雅で華麗なぶん殴りをお見せ致しましょう。
サルヴァがヤナンカに近付きます。
「……まずは問いたい。なぜ、お前は俺の母の事を知っている?」
「ヤナンカはー、皆が望むものが分かるんだー。心を読めるんだよー」
いきなり、とんでも発言ですよ。攻撃の意思とか狙いも読まれるなら、強敵です。
「では、俺が今思ったことを言ってみろ」
おぉ! あのバカだ、バカだと思っていたサルヴァが鋭い質問をしました。
「本物のヤナンカなら全部分かるんだろうけど、私は皆が一番欲しいものしか分からないよー。だから、分からないー」
なるほど。サルヴァはサンドラ副学長よりも母が欲しくて、サブリナは兄が欲しい。極めてドロドロした感じになってきましたよ。ちょっと興味深くて、面白いです。
「何のためにここは有るのですか?」
「下の魔法陣を守っているんだよー」
「その魔法陣は何なのですか?」
サルヴァに代わってサブリナさんが質問していきます。自らの禁断の想い人をバラされた事には気付いていないようですね。
「うーん、難しいなー。簡単に言えばー、この土地の魔力を吸い上げてー、実験をしているのかなー」
ヤナンカは続けました。
昔、諸国連邦の地は魔力が豊富な土地で、人々は魔法に秀でた者が多かった代わりに、魔物の発生も多く、混乱の多い所でした。
その影響は王国にも波及していて、大小の争いが両者で起きたりもしていました。
そこで、王国側の情報局長としてヤナンカは策を弄します。この山地に魔力吸収の魔法陣を作り、地面から発せられる魔力を全部止めることにしたのです。
それが洞窟の奥で見たオレンジ色の魔法陣なのでしょう。
「こーしたら、この土地の人は弱くなって、王国は幸せー。そーなったらいーなって実験だよー」
ヤナンカの朗らかなセリフにサブリナさんは顔を曇らせます。諸国連邦が王国に間接支配される元凶がこいつなんですからね。
しかし、私も聞きたいことが出来ました。
「吸収した魔力はどこに行くんですか? この広い諸国連邦中の魔力を吸い続けているんだとしたら、とんでもない量になりますよ」
「ヤナンカ先生が教えてあげましょー。吸った魔力で、この異空間を維持するのですー。それでも溢れた魔力は魔物に変換なのですー」
『つまりは死竜であるな』
小さい姿のガランガドーさんが問いました。
「うんうん、そーだよー。余った魔力で死竜を作り、諸国連邦を襲わせて国力を落とすー。生意気なデュランまで襲ってくれたら、王都タブラナルはあんしーん」
酷い話ですね。
「そんな! あなたはそれで多くの人が死んで悲しくないんですか!?」
サブリナさんが珍しく怒りました。
「悲しいよー。でも、しないと、もっと多くの人が死ぬんだよー。間違ってないよー」
「それはブラナン王国の傲慢です!」
「ブラナンねー、ブラナン……。私も辛いんだよー。あっ、本物のヤナンカねー。こんな展開は望んでなかったんだよねー。マイアと一緒に戦えば良かったーって、後悔してるよー」
マイア? あのマイアさんか?
「ヤナンカ、すみませんが何歳ですか?」
私は尋ねました。
「本物のヤナンカのー今の歳は分からないよー。だって、私は魔法で作られたヤナンカだし、ここからずっと出られないからー。でも、私が作られた時は王国の建国1400年くらいだったよー」
……今から600年前か。
ルッカさんが大暴れして、竜神殿の巫女長とか聖女とか皇太子の嫁さんとかになるくらいに滅茶苦茶していた時期よりも早いのですね。
流石は魔族。しぶとく長生きですね。
「では、マイアは聖竜スードワット様の従者であった大魔法使いマイアですか?」
「そうそう。うん、あなた、ワットちゃんのお知り合いだったのー。ヤナンカ、言わなかったけど、ビックリしたんだよー」
やはり。
では、もう少しだけ昔話を聞きたいですね。若かりし聖竜様の話を。




