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期待を抱えて

 睡眠は文明的な生活を過ごすには必須のものだと私は思います。いえ、逆説的に言えば、睡眠が不足した生活は文明的とは呼べないのかもしれません。

 何故なら、私が考えるに、欲求を如何に実現するのか、それを追求した結果が文明であり、その一点のみに存在価値が発生するものだから。


 うふふ、私はやはり冴えています。


 一晩寝たことにより哲学的思考までしてしまう私、素敵です。現実逃避では御座いません。



 日報も書きました。アデリーナチェックがあるみたいなので、とりあえず、退学の件を書くのは保留にしました。


 ノートを焼き捨てる選択もありましたが、念のために魔力感知を使うと、やはり何やら仕掛けがありました。残念ながら私には知識がないので何の術式か読み取れませんでしたが、下手なことをするとアデリーナに連絡が行くようになっているのかもしれません。

 つまり、廃棄すると傷口が広がる可能性があります。だから、私は色々と思案した末に、都合の良いことだけを書こうと思います。いや、妄想日記であっても致し方ないとさえ思い詰めております。



 さて、ベセリン爺に付き添われ、今日も馬車へと乗り込みました。もちろん、現在進行形で通学中です。

 初日から退学処分を受けた身なのに、私はいったい何をしに学院へ行くのでしょうか。とても哲学的ですね。



「お嬢様、今日からが本番で御座いますね。勉学だけでなく友情も育まれ、青春の思い出を作る。僭越ながら、爺にもお嬢様の健やかな成長を手助けさせて頂ければと存じます」


 その期待が顕現したのが、その聳え立つ豪華なランチボックスなのですよね。



 館には爺の他に2人の若い女中がいました。昨晩の夕食後に彼女らの名前を聞いたはずですが、忘れました。


 満面の笑みで私に挨拶をしてくれる彼女らに、「担当教官を背後から殴って半殺しにしたから退学になりました。もう、この国に用はないので帰ります」とは言えませんでした。


 軽く言葉を返したら「今日から宜しくお願いします」と声を揃えて言われました。



 イルゼさんが用意した館はデュランという大都市の公館であったというだけあって、大変に立派です。うちの女中さん達は「こんな邸宅に住み込みで働けるなんて素晴らしい」なんて具合いに嬉しそうでした。お給金も相場より高いらしいし。


 帰宅と同時にお風呂を用意してくれて、吹き出た汗をきれいさっぱり流すことができました。何も言わなければ、玉のような水滴を付けた私をタオルで拭いてくれたでしょうし、着替えも手伝ってくれたでしょう。流石に裸体を人目に晒すことには抵抗があり、清い乙女として恥ずかしいのでそれはお断りしました。



 私の勉学に対するサポートも手厚かったです。自習用に部屋が一室有りまして、ピカピカに磨かれた机と本棚が完備されていました。


 自習を促された私は机に座って、一人、爪に入った縦線を数えていました。一冊もテキストを持っていなかったからです。


 日記はこの時にサラリと書きました。


 しかし、それでも時間は余り、足の小指と薬指の間を広げる練習もしていました。中々思い通りに開かないので楽しかったです。力を込めると、何故か親指が突っ張るのが不思議でした。有意義です。


 とても熱中したので、女中さんが差し入れてくれた夜食が美味しかったです。疲れた体と頭を癒してくれました。


 あと、この館の人は「お疲れ様です」と私に言ってくれました。

 神殿では与えられなかった普通の優しさが降り注いできます。メリナ、この世の春状態の夜でした。



 そんな思いやりの心を持った女中さん達が私のために作ってくれたのが、そこに見えるでっかいランチボックスです。片手でぶら下げると地面に底が付き、両手で持つと視界が塞がりそうになるくらいの異常な大きさです。

 想いに溢れすぎていると思うのですが、本来は有り難い物なのでしょう。しかし、退学者である私にとっては、それはとても心が痛くて、見た目以上に重いようにも感じました。



「お嬢様、仲の良いご学友が出来ましたら、是非、館へ招待ください。家中総出でおもてなしさせて頂き、絶対に満足させてみせましょうぞ。将来はダンスホールを使ってのパーティーも宜しいな」


 ベセリン爺はにこやかに、また楽しそうに輝かしい希望を私へ話してくれます。

 ……これも辛い。辛すぎる。既に、その夢は叶わぬものとなっているのですよ……。

 

 私は転入早々に退学になった女。

 もしかしたら、歴代最高のクズです。いや、歴代最低と言うべきなのか。

 んー、いや、私だから最高で良いでしょう。



 下らないことを考えている内に、ついに馬車は校門に着いてしまいます。


 どうする、私?

 追い込まれてしまいましたよ。

 お腹が痛いと仮病を使うべきではなかったでしょうか。そして、それは今でも遅くない。

 いや、しかし、それではベセリン爺がすぐ傍の学院に欠席の連絡をしに行き、全てがバレてしまうのではないか。

 やはり、登校するしかないのです。



 両手にランチボックスを持たされて、校門を過ぎます。幸い、ここに教師陣は立っておらず、次々と他の生徒たちが中へと進んでいきます。馬車で来るような人は少ないですね。ほとんどが徒歩です。



 それにしても、ベセリン爺の視線が私の背中を刺して痛い。躊躇して立ち止まった私を心配しているのでしょうか。



 えぇい、ままよ! とりあえず、歩こう!



 私は庭園作りの前庭を胸を張って闊歩します。周りの生徒たちの会話や笑い声が腹立たしいですが、私は特に注目されていません。制服みたいなものはなくて、皆が自由な服装だからなのかもしれませんね。


 進むに連れて、私は考え直します。

 退学処分とはなりましたが、通学を許否された訳ではない。つまり、このまま授業を受けてしまえば良いのではないか。これだけ生徒がいるのです。私が紛れ込んでも分からないでしょう。ナイス閃きです。

 これを開き直りとも言います。



「おはようございます」


 校舎の幅広の入り口の前には教官っぽい大人が立っていまして、生徒は彼らに挨拶をして入っていきます。

 私は彼らの影に隠れてすぅと紛れます。


「おはよう!」


 見知らぬ男教官がしっかりと私を見て声を掛けてきました。他にも多くの生徒がいるのに、何故に私なのか。それは、やはり断トツで気品に溢れてしまっているから。

 でっか過ぎるランチボックスのせいでは無いはずです。


 さて、うら若き私に興味を持つなど、この教師は言語道断のクズ野郎です。お前には高嶺の花です。いえ、全人類にとって私はアンタッチャブルな存在です。禁忌なのです。私に色目を使って良いのは聖竜様だけです。


 だが、私は彼を罰することは致しませんでした。なぜなら、ここで目立ってしまうと学校を追い出される可能性があるから。


「おはようございまーす」


 私は自然な返しをします。落ち着いていますね。

 もし止められたら瞬殺、いえ、「お前、昨日、退学処分を受けた、気品溢れるメリナだな! さすが聖竜様に見初められた美貌だ! しかし、ここは通さぬっ! 俺の心を射止めたと謂えど、お前を決してここを通さぬ。許してほしい。代わりに俺の愛の道を一緒に進もう」なんて類いのことを言われたとしても、即殺です。

 聖竜様を恐れずに私に惚れた事を、死んで償えってところです。そして、惨劇の混乱の中、私は学校に潜り込むのです。


 今の私は退学者。その下はない無敵状態です。何をしてもこれ以下に落ちようがありません。だから、私の心には余裕があります。



 幸運なことに何事も起きませんでした。なので、そのまま突き進みます。

 昨日案内してもらったので、私のクラスの場所は知っていました。横開きの扉を開けると何人かのクラスメイトがいまして、チラリと私を見ました。その上で、急に静かになります。


 ふん、物珍しいか。この都会人である私が。ふぅ、田舎者は仕方ないで御座いますね。



「おはようございます、皆様。素晴らしい一日をお互いに祝福いたしましょう」


 どうですか!? 私、メリナ、渾身の淑女グリードを放ったのではないでしょうかっ!


 沈黙の続くクラスを私はぐるりと見渡す。それから最初に目が合った小娘を見詰め続けます。


「あ、あぅ……。お、おはようございますぅ……」


 よしっ! お前、合格っ! 私のランチを眺める許可を与えましょう。



 満足した私は、整然と並ばれた机の中から教壇から一番遠い窓際の席を選びました。目立ちにくいですからね。


 私が椅子を引いて座ると、微かなざわめきが起こりました。遠い異国には「立てば何やら、座れば何やら、歩く姿は何とやら」と、女性を美しい花に例えて誉めそやす言い回しがあると聞いたことがあります。

 つまり、私の座る振る舞いが美しすぎたのかもしれません。



 サービスでもう一度立ち上がって座ってあげました。

 そんなに盛り上がりませんでした。


 見逃したのかと三度目ともなると、慌てて視線を反らすものもいて、(うぶ)な方が多いのかなと私は思いました。



 さて、机の上にデンとベセリン爺に持たされたランチボックスが有ります。前が見えません。また、どこにしまえば良いのか悩みます。あっ、ここに来て筆記用具を忘れたことに気付きました。


 うん、でも、退学にはなりましたが、学校には入れましたね。やはり、何とかなるものです。美味しい昼ご飯が頂けそうです。


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