偶然の産物
朝食を食べ終えた私は蟻さんの観察と二度寝、どちらをすべきか悩みます。とても贅沢です。
もう少しで私はこの生活を毎日送れるようになるのです。退学、楽しみですね。
さてさて、どちらを楽しむにしろ、今は食堂です。まずはエントラスンホールに行って、そこから二階に上がるか外へ出るかを選びましょう。
そうです! 左の拳と右の拳を胸の前で思っきりぶつけて、血が出なかった方向に進むのです。名付けて、メリナ式乙女の純血占いです。
ルールを決めておきましょう。
公平を期すために、左右の魔力は均等にしましょう。それで、両方から血が流れたら、多い方が負けです。左が勝てば階段を上って寝室、右なら玄関を出て庭です。
うし!
私はヤル気満々でエントランスホールに出ます。ガランガドーさんがでっかい体で寝ているのが不快ですが、我慢しましょう。
それでは、左右の腕を大きく横に広げます。アシュリンの脇を挟み叩くイメージで固く握り、さあ、ドッカァーーンですよ!!
肘を曲げて高速の拳を真正面から当てます!
ぶつかった刹那、私の拳を覆う魔力が圧縮されるのが分かります。それがまた、かなりの抵抗でして、流石は私です! 固いっ!!
戦闘ならば、この魔力を操作して柔らかくしてから拳を突っ込むのですが、今回は自分の体ですし、乙女の純血占い中ですので、強引に押し潰します!
左右の拳に纏わる魔力が互いに圧縮され、限界を越えたところで砕けました。魔力が。
私の認識では魔力は気体か液体です。漂っていたり、空間から湧き出たりしている魔力はガス状や粒子状でして、一方、体内を巡ったり、体表に留まってたりしているものは粘度に程度はあれ液体です。こんな感じで固体になるのは物質化したものだけなのでして、明らかな異常です。
しかし、乙女の純血は止められません!
ガチコーンと拳を合わせるのです!
黒い閃光が走りました。全てを包み込むような闇です。それが光のように一瞬で視野を奪ったのです。発生源は私の拳でした。
周辺の魔力の質も激変します。館にいたはずなのに別の場所へ瞬間移動をしたが如く。
真っ暗で見えませんが、床は有ります。
異常事態です。乙女の純血とは悪魔召喚の儀式のように極めて危険なものだったのでしょうか。しかし、何者かによる突然の襲撃の可能性は否定できません。照明魔法を唱えます。
私が出した光玉は頭上高くに浮き、辺りを照らします。継ぎ目もない白い地面。それしか見えませんでした。四方ともにそうです。
私はこんな場所に来たのは初めてではありません。先々代の聖女のクリスラさんと敵対した際に、代々の聖女に伝わる宝具である転移の腕輪の力により閉じ込められた、斉戒の間がこんな感じでしたし、狐型の精霊であるリンシャルが棲んでいた楽欲の間もこんな感じでした。それに、アデリーナ様の育ての父である元皇太子ヤギ頭の罠でも似た空間に飛ばされました。
恐らく、この何もない空間というのは精霊が棲む世界なのでしょう。それが各々別空間として独立している。
私はそんな推測をしています。ただ、私の乙女の純血占いがこんな転移魔法みたいな感じになったのかは不思議です。私が乙女として優れ過ぎたのでしょうか。
私以外には何も存在しない。
とても静かです。恐らく、何千年、何万年経っても埃さえ落ちない、閉じられた世界。
しかし、どうしたものでしょうかね。
ガランガドーさん、いらっしゃい。
私の呼び掛けの後は沈黙が続きます。
……来ないか。使えねーな、あいつ。
『主よ、我は精霊。異空間への意識移動なぞ容易いのである』
彼に失望を感じ始めた矢先に、頭の中でガランガドーさんの声が響きます。やっと来たようです。
それにしては遅かったですね。また寝ているのかと思いましたよ。
『ふむ。素直に謝ろう。我が目覚めて3日、主の行方を探したが、先ほど主の声を聞くまで見当たらなかった』
はあ? 3日?
『ここは魔力の溜り場。誰かが作ったのか、何の目的であるのか、自然に出来るものなのか、我は知らぬ。人間どもの棲む世界からは切り離された空間。魔力が濃厚である為に精霊が棲まう所。時間の流れが異なるのは主も知っておろう』
そうでした!
斉戒の間も楽欲の間も、時間の流れが早くて、そこで起きた事は現実世界では一瞬だったことを思い出しました。
『今回は逆である。主の世界と比較すると、時間の流れが遅い』
ほう、興味深い。
つまり、私がここに居続ければ、短時間で向こうの時間は進み、無断欠席が続いて、もしかしたら、学校も退学になる可能性があると言うことですね。これは事故ですので、私の責任では御座いませんし。あー、困りました。嬉しいです。
『主よ、そう暢気に構えてもらえると我も安心する。何せ、ここで1日を過ごせば、あちらでは約20年経つ。我はどうしたものかと思案した。良かろう、主よ、待とう。主が退学となるまで何百年と待とうぞ』
……いや、すみません。半年くらいのスパンで考えていました。
かなりまずい状況ですね。その間に聖竜様は雄化魔法を完成することでしょう。なのに、私は竜化魔法を完成させていないため、竜として番になるという約束が果たせなくなってしまいます。少なくとも聖竜様をお待たせすることになるのです。それは聖竜様に対する最大の冒涜でしょう。
ガランガドーさん、乙女の純血占いを再度行います。
『ふむ? 何であろうか?』
私は拳に魔力を纏い、力一杯にぶつけます。
『ぐおぉ! 何たる魔力の迸り! 魔素が、意思を持たぬ魔素が悲鳴を上げるが如くっ!』
ガランガドーさんの妙に説明調の叫びと共に、風景が一変します。
どこだ? 森の中?
くそ。また、違う空間か?
私は鬱蒼とした周りの草を鋭い蹴りで刈り倒してから、ガランガドーさんを呼びます。
『主よ、見事。魔素をその様に強く圧縮すると、新たな空間が広がるのであるな。いや、魔力量の完璧な均衡、それを寸分違わずぶつける技量、魔力を分解する程のパワー。我にも不可能と思わしき新たな術式である。主には改めて感服した。あの弱き小賢しい者であれば魔法理論で説明するであろうな』
弱き小賢しい者とは大魔法使いマイアさんの事でしょう。難しい言葉を使うので、説明を聞いても全く分からない無駄話を長く語り出すのです。迷惑です。
さて、ガランガドー、私は戻って来たのですね?
『うむ。我が調べた結果、ここは主が居なくなって一ヶ月後のナーシェル近郊の山である』
良しっ! 理想的!
そろそろ退学になっていても良い時期ですかね。
ところで、ガランガドーさんの体は有りますか?
もうステーキになっていませんか?
『そんな訳はない。主の傍に向かう前に、洞窟の中に隠しておる。どれ、体を回収して参るか』
あっ、了解です。私は木の上に登って、ガランガドーさんが迎えに来るのを待っていますね。




