聖女イルゼの悩み
突然の再訪問にも関わらず、サブリナさんは快く私達を家の中へと入れてくれました。
そして、雑草の茶を出してくれます。
「あら、薬草茶ですね?」
ショーメ先生よりも年上と思われるケイトさんがサブリナさんに訊きます。
「あっ、はい。でも、利尿効果くらいしか無くて。そんな立派な物ではないです」
「そうね。でも、絵を描くには良いかもですね。絵の具は有毒なものも多いから」
体内の汚いものをおしっこで出すんですね。
でも、この赤い丹砂を何か色々して猛毒にしたヤツはちょびっとでも死ぬそうですから意味は無さそうです。
「あなた、メリナ様のご友人ですか? そうであれば、私とも親交を深めて頂きたく存じます」
イルゼさんが積極的にサブリナさんと会話をされています。イルゼさんは最初に身分を明かさなかったので、私も彼女が聖女だと言いそびれてしまいました。
「えっ、はい。宜しくお願いします。サブリナと申します」
「イルゼ・ハックトワープです。イルゼとお呼びください」
イルゼさんの名字を初めて聞きましたが、長いので、たぶん明日には忘れていることでしょう。
「えっ? ……聖女様?」
なんと!? サブリナさんは現聖女のお名前をご存じでしたか!? いやー、やはり意外に出来る女ですよ。
「そうで御座いますが、私がその職に就いたのは偶然の産物でありまして。今となっては、己れの愚かさ、弱さを省みずに、その崇高な地位を欲した過去の自分を叱りたいと常々思っております。どうか、サブリナ。聖女の私ではなく、個人としてお付き合いさせて頂きたく存じます」
イルゼさん、本当に聖女っぽくなってるなぁ。位が人を作るって話は嘘じゃないんですね。
聖女決定戦の筆記試験の結果発表では、私はイルゼさんに足の甲をきゅっと踏まれる意地悪をされたことが有ります。でも、あの時の面影は皆無です。
「……光栄で御座います。こちらこそ、以後宜しくお願い致します」
その後、サブリナさんとイルゼさんは世界平和について話をされていました。
私は全く興味がないので、サブリナさんの絵を何枚か見ていました。
薄気味悪い絵がいっぱいなのですが、不思議とじっくりと見てしまいます。もしかしたら、そういうジャンルの絵なのでしょうか。芸術とは奥が深いです。
ケイトさんも私の横で見入っていました。
「なるほどねぇ……」
ケイトさん、正直なところ、気持ちの悪い絵を見て納得されたような言葉を吐きます。
怖いので私は何も聞こえなかったことにしました。毒物の専門家の心の闇なんか聞いたら、何だかとても心配になりますからね。
「行きましょうか」
私は今日の蟻観察を忘れていたことを思い出し、家に帰りたくなったのです。
「はい。メリナ様、素晴らしい友人を紹介して頂き感謝します。このイルゼ、同志を見付けたと確信しました」
「こちらこそ、聖女イルゼ様。ブラナン王国の人とここまで話が合うのかと驚きました。全ての人が幸せになる。とても素敵です」
「若いって良いわねぇ。私も混ぜて頂きたいです」
「ケイトさんは混ぜるな、危険ですよ。絶対、世界平和なんて興味なくて、むしろ、毒のためなら滅ぼしても良いとか思ってそうです」
「うふふ、私は無味無臭ですよ。何も悪さしません」
「そんな毒があるってさっき言ったばかりじゃないですか」
「メリナ、今日はお疲れ様でした。また学院でお会いしましょう」
「あっ、はい。では、サブリナ、また」
私達は館に戻ります。イルゼさん、笑顔でした。久々に見ましたね。
日頃の気疲れの癒しになったのなら私も嬉しいです。アデリーナという鬼にこき使われているようですからね。
テクテクと歩いている内に思い出しました。ショーメ先生の事です。
「あっ、帰ったらショーメ先生が来ているかもしれません」
「そうですね……。大丈夫です。暗部から報告は受けています。彼女は抜けたそうですね」
良かったです。イルゼさんは普通の顔でした。喧嘩になるのかと心配しましたよ。
「私が未熟であるがために、デュランは信仰の目指す先を迷っております。リンシャル様のお導きも、断罪も無くなりましたし」
デュランの人々は2000年前に活躍した大魔法使いマイアさんを信仰しています。また、リンシャルは狐の形をした精霊でして、デュランの宗教上ではマイアさんが遣わした天使のような扱いでした。暴力的で気持ち悪い感じの精霊だったのですが、今は正気を戻しているそうです。
色々あって、マイアさんは聖竜様の昔の住み処に、リンシャルは別空間にある楽欲の間にいるはずですね。
ただ、マイアさんはもう世に出る考えはなくて、旦那さんと息子さんと静かに暮らされています。そもそもデュランで勝手に信仰されているだけで、本人はデュランに何かをした事がありませんし。それよりもリンシャルの影響がなくなった事が大きいかもしれません。私に倒され、以前のような狂気を身に纏うことなく大人しくなったが為に、デュランへの干渉をしなくなったと思われます。
「リンシャルとは会ったのですか?」
「はい……。クリスラ様に誘われ、お会いしました。でも、うぅ、リンシャル様は私の眼を欲しがらなかったのです」
あー、あの狐は歴々の聖女さんの眼をコレクションしていましたからね。それを自分の顔に張り付けていて、大変に気持ち悪かったのを思い出しました。サブリナさんの絵画に通じる物が御座いますね。
イルゼさんは言います。リンシャルが眼を所望しない聖女はそうされた聖女と比較して劣った存在なのだとデュランでは看做されると。
眼があるかどうかは皆に明らかなことですので、イルゼさんは聖女ではあるものの、デュランの民には微妙な感情を持たれているのですね。
「大丈夫ですよ。アデリーナ様に相談すれば助けてくれるんじゃないですか?」
あっ、いや、ヤツはデュランを完全支配下にとか言っていましたね……。
「えぇ。でも、そうしたら、『デュランの聖女って何やら鼻に付きますね。無くても良いかなとか思っていた次第で御座います。それでも私を頼るならば、もちろん、私の命令下に入るというご覚悟ですね』と仰っておりまして」
あぁ……。優しくないモードだったか。
まぁ、何だかんだでアデリーナ様は許してくれるはずです。根拠は皆無ですが、そんな印象を受けますよ。私もよく叱られますが、結局は仲良くさせて頂いていますからね。
「イルゼさん、おばさんからのアドバイスです。もっと肩を柔らかくしましょうね。アデリーナさんは才能がある方にはお優しいのです。イルゼさんは聖女にまで上り詰めたのですから無能と言うわけではないでしょう?」
「……狡猾さも才能だと思っていた時期があり、それを後悔しているのです……」
マジでこいつ暗いな。
私と聖女の地位を取引した時のギラギラした感情はどこにやったのでしょう。
「狡さは明らかな才能ですよ。毒は薬となり得る。その逆も然り。砒霜は確かに毒ですが、虫歯の進行を止める薬ともなり得ます。狡さも戦争を止める薬になるのですよ?」
「……ありがとうございます」
「悩むくらいなら行動ですよ。貴女は分かっているはず。だから、貴女はメリナさんを尊んでいる」
「ありがとうございます」
イルゼさんは深くケイトさんにお辞儀しました。
「でも、もしどうしても殺したい人がいれば、私に相談なさい。すっごいの持っているから」
…………すごい毒なんだろうなぁ。聞きませんよ。聞きませんから、ずっとこっちを見るのを止めて下さい、ケイトさん。
「語らせてくれないの?」
「勿論ですよ。そういうのは、薬師処の中だけでお願いします」
帰宅すると、ショーメ先生が丁度、館から出てくる所でした。イルゼさんと鉢合せですが、お互いに柔らかく微笑みあってから、特に言葉を交わすことなく去られました。
あと、夕食前にアデリーナ様達も帰られて、私はやっと安心しました。
メリナの日報
アデリーナ様、絵を忘れていますよ。
私の好意を踏み躙る真似は金輪際お止めくださいね。




