顔料
目の前のガランガドーさんは身動きすることなくお臍を空に向けて寝そべっています。死竜と戦った時の大きさのままですので象みたいに大きくて邪魔ですね。
しばらくガランガドーさんから連絡がなくて、私はすることがなく、ベセリン爺に出してもらったお茶を、白い椅子に座りながらゆったりと飲んで待ちます。
『主よ、薬師処の前まで来たぞ』
頭の中でガランガドーさんの渋い重低音が響きます。念話ですね。
時間が掛かりましたね。
『ふむ、すまない。経営戦略本部の者に捕まっていた。仕事をサボってはいけないと叱られたのだ。その為、池を2周させられた』
観光客の相手をしていたのか……。
真の死竜のくせに、真面目に仕事してるんじゃありません。
『主よ、それは死竜差別である。そういった見た目の属性で画一的に決め付けるのは良くないと、総務部から通知があったはずである』
知らないです。
『では、中に入る。ガチャリ。我は器用に前足で扉のノブを回し、薬師処の内部へと侵入する』
実況って、これか!?
『どうだろうか? 主の意向に沿っておると思うのだが』
いや、まあ、良いんですけど。
で、マリールは居ますか?
彼女は私と同期の巫女見習いです。もう一人の同期であるシェラと3人が同じ日に巫女見習いとなりまして、寮の同室で寝泊まりしています。大変に仲の良い3人組です。
私だけが一足先に巫女に昇格したのですが、マリールもシェラも心から祝福してくれたのを昨日の様に思い出します。実際の昨日は、学院を襲撃してきた暴漢を殴り蹴りしたので、大きく異なりますね。
『我の声だけ同時音声で伝えようぞ』
はぁ。
『すまぬ。マリール嬢はおらぬか? ……あっ、ダメ。鱗を剥がさないで。 ……いや、他の者に尋ねるから結構です。 ……イタッ! 痛い! それ、ダメ!』
いきなり襲われていますが、大丈夫でしょうか? ガランガドーさん、どうしましたか?
『我はケイトに襲われた。教えてほしければ鱗を寄越せと無茶を言うのである。無論、断ったのに彼女は死竜の鱗を剥ぎ取りおった。しかも、その上で回答はマリールは留守と言うのだ。信じられるか? 彼女は鬼である』
あー、ケイトさんなんかに声を掛けるからですよ。よく反撃しませんでしたね。
『……実は彼女には借りがある。つい先日に、アディに贈るワインの醸造を依頼したのが我の運の尽きであった』
おぅ……。何故にケイトさんなのですか? 私のためにアデリーナ抹殺用の毒薬を含ませているのですか? そういう陰険なヤツは感心しませんよ。
『聖竜に献上した例の腐った葡萄。あれでワインを作るのである。甘いお酒に女子はイチコロであろう』
あー。悪質な勘違い。それ、女性に言ったらバカにするなと殴られますよ。たぶん、アデリーナ様は酒精が濃いヤツが好みですよ。毎日がストレスフルなのよっ、とか叫んでましたから。
まぁ、良いです。フランジェスカさんはいらっしゃいませんか? ほら、マリールと仲の良い先輩の。
そう、マリールは恵まれています。親切で優しくて面白い先輩が部署に居るんです。キツい、汚い、危険の三拍子が揃ったアシュリンとは異なります。
『それよりも主よ。まだ目の前にケイトが立っている。どう対処すべきか我に助言を願いたい』
大丈夫です。ケイトさんは笑顔で人を殺せるタイプですが、植物を愛でる人並みの感情も持たれています。普通の態度で普通に問えば良いのです。
『了解した。 ……フランジェスカ嬢はいるだろうか? ……いない。そうか。あっ、ダメ! 舌は一個しかないから! ダメ! その鋏を仕舞うが良い! 許して! 偉そうな口を叩いてすみません!』
ガランガドーさん、人間との共生生活に慣れてきたなぁ。和気藹々で楽しそうです。
『な、何をしに来たのかだとっ!? ふむ、聴くが良い。我は絵の具の中の粉について知りたく、詳しい者を訪ねに来たのである』
あー、言っちゃった。それ、もう毒物コースまっしぐらですよ。
『むっ、染料と顔料? 主よ、我は人間の言葉を完全には理解できないようだ。どちらを希望するか、答えを頂きたい』
それ、私も分からないです。油絵に使うと伝えてください。
『了解した。……油絵で用いたいのだ。それで分かるか? ……うむ、顔料か。我もそう思っていたぞ。うむ、すまぬ。主は少々愚昧であるからな。知り得るはずがない』
おい! お前、今、無駄に虚勢を張った挙げ句に私を蔑んだだろ?
『いいえ』
クソォ! 拳骨ですからね! 帰ってきたら鉄拳制裁です!
『そういうの、総務部の通知で禁止されておるぞ、主よ』
初耳ですよ! 私が何回、アシュリンさんに殴られたと思っているんですか! 無効です! そんな、ずるいのは無効です!
『ふむ。主よ、白は有毒と無毒が選べるらしいが、どちらが良いか?』
無論、無毒です。……何て質問なんでしょうか。
『無毒でお願いする。……貝の殻を乾かして砕いたものか。了解した。主よ、白は貝殻が良いとのことだ。また、有毒であれば、鉛を溶かして更に蒸気にすれば良いらしい。火傷と吸入に注意と言っておるぞ』
後半部分は無視です。では、赤と黄とかもお願いします。
『どちらも土で良いらしい。だが、ケイトによると、もっと鮮やかな物があるらしい。赤は丹砂、黄は雄黄。知らんな』
うん、知らんですな。宝石では無さそうですし。
『丹砂は焼くと水銀が得られるそうだ。雄黄は焼くと砒霜、暗殺用の薬となるのか……』
うわぁ、ほら、歩く毒物大事典の本領発揮ですよ!
宝石の情報は有りませんでしたが、ガランガドーさん、戻って来なさい。そこは危険です。あとは市場で揃えましょう。きっと売っていますよ。
『むっ、主よ。暫し待たれよ。緊急事態である』
どうしましたか?
『黙れ』
え?
『ごほん。やぁ、アディ、今日も麗しき姿であるな』
っ!? アデリーナか!? そこにヤツがやって来たのか!? 戻れ! 戻るんです、ガランガドーよ!
『ふむ。我に興味があるのか。照れるな。えっ、いや、あのメリナがだな。……ん、あぁ、絵の具の材料を……。えっ、学校で勉強? まぁ、学校に毎日行ってると言えば行っておるな』
早く、早く戻るんです! お願いですから!
『……主よ、アディが久々に主に会いたいと申しておる』
拒否しなさい。メリナは酷い風邪だから、移しちゃうかもって断りなさい!
そもそも、ここまで来れないでしょ!
『主は酷い風邪だから移しちゃう。……えっ、演技? そんな事もない。いや、アディに嘘を吐いたわけじゃ……。すみません、嘘である。我は脅されたのである』
……ブレッシャーに負けたか。
よし、避難です。
『主よ、アドバイスである。聖女イルゼも傍におる。最早、逃げられぬ。すぐに到着する』
お前、実況って言ってたのに何の役にも立ちませんでしたよ。
致し方なし。ここは平静を保つのです。まずは数回の深呼吸からですね。




