読まれる日報、そして手離す
爽快な朝です。
昨晩、イルゼさんが転移の腕輪でナーシェルの館に戻してくれましたので、馴染みのあるベッドでゆっくりと静養することが出来ました。
それにしても、模擬戦とは言え、皆さん、全力で戦っていたからか、お疲れだったようですね。私も気付けば草の上で寝転がっておりまして、王国側も諸国連邦側も大半の人が、夜空の中で突っ伏していましたよ。
不思議。極めて不可思議。
……お酒様は悪くないですよ。この世に悪い人なんていませんからね。
さて、我が家の食堂に到着です。
ベセリン爺が湯気の出ている美味しそうなお料理を運んでくれます。
「お嬢様、ご無事に戻って来て頂き、爺は感謝しか御座いません」
「おほほ、もう爺ったら。私のようにか弱い腕の娘が戦場に立つはずがないじゃないですか。何を心配なさっていたの?」
貴族ごっこも久々ですね。
「これは失礼しましたな、ワハハ」
その後、爺は私に一礼をしてから、お皿を並べて行きました。
うんうん。茹で玉子に、厚切りハムに、お肉。どれも山盛りで有りますし、今朝はとても豪勢ですね。
コップに並々と入った水で口の中をすっきりさせてから、私はグサッと腸詰め肉にフォークを突き刺します。
そして、口で咀嚼するのですが、この時に初めて気が付きました。なんと、食器一式がもう一組、長机に用意されていたのです。
そして、ホールに繋がる扉が開かれます。
「ご機嫌は如何かしら、メリナさん?」
チッ。どうやら鬼がシャールの街に帰らず、不躾にもノーアポで私の館を訪問していたようでした。
口の中の食べ物を飲み込んでから、正直に答えます。
「たった今、不快になりました」
「あら、そうなので御座いますか? 昨日はあれだけ暴れたと言うのに、まだ足りないのでしょうかね」
アデリーナ、お前のペースには乗りませんよ。
「何しに来たんですか?」
「色々と用件は御座いますが、ここには日報の確認に来ました。メリナさん、ご提出を願います」
「まだ昨日分を書いておりませんので、少しお待ちください。ここに持ってきておりますので」
ふん、そんなもので私が動揺するとでも思ったのですか。この戯けが! 私にプレッシャーを与えてマウントをお取りしたいつもりなのでしょうが、少しも効きませんよ。
サラサラと昨日分の日記を付けて、私はアデリーナ様に手渡しました。
「きったないわね。食べながら物を書く人間を初めて拝見しました。こうはなりたくないと心の底からお祈りしましたよ」
「アデリーナ様、お忘れなのでしょうが、私みたいになりたいって気持ちを邪神に読み取られていましたよ」
「ほんと、一生の不覚で御座いました」
アデリーナ様はそんな憎まれ口を言いながら着席をして、私の日記を開くのでした。
70日目
未熟な聖女イルゼがハッスルして、民衆を扇動していました。枢機卿ヨゼフもノリノリでアデリーナ女王の断罪を語っていました。身の程知らずも良いところです。
予想外に盛り上がる流れにショーメ先生は焦りを隠せず、デンジャラス様の許可を貰った上でアデリーナ女王に事態の収拾を相談することにしました。
あと、メリナは演説中にも暢気に欠伸をしていて、怒りを覚えました。
※ショーメ先生に落書きされました。ごめんなさい。
「ん? アデリーナ様、その日から読むんですか?」
「えぇ。前日まではイルゼ経由でアントンから報告を受けていますので」
「はぁ!? あいつ、アデリーナ様と繋がっていたんですか!? 私の家来なのに、アデリーナ様に伝えていたんですか!?」
「何を驚くのです。私以外の国民は等しく私の臣民で御座いますよ」
「あいつ、完全にスパイじゃないですか。害悪しか感じないです」
「大した事では御座いませんでしょ。で、枢機卿ヨゼフとはどなたでしたか?」
「色々あって、マイアさんの知識の一部を頭の中に入れられたおっさんです」
「ふーん」
「異名はボーボーの人です」
「それ、メリナさんしか呼んでなさそうですね。しかし、毛深い男だとは分かりました」
「うふふ、外れー。全く違いますよ」
「あら、すみません。もしかして重低音の笛を趣味にされているとか?」
「あー、正解から遠くなりました! 答えはコリーさんかイルゼさんにお聞きください」
「今、貴女が答えればよろしいでしょ?」
「凄くお下品なので、私の口から申すのはちょっと」
「それをコリーに尋ねさせようとする根性が、もう私を舐めくさっていますね」
71日目
今日はすることが無かったので、久々に蟻さんを観察しました。蟻さんは地上の喧騒を知らなくて、いつも通りです。日常がずっと続く、これが即ち平和ですね。と思っていたら、蟻さんは毎日、何匹も踏み潰されたり、食べられたり大変な生活でした。
観察後、ビーチャに命じて蟻の卵料理を作らせました。余り美味しくなかったので、サルヴァへの差し入れとします。いつかアデリーナ様にも食べてもらいたいです。常日頃の私の気持ちが籠った逸品ですよ。是非とも召し上がれ。
「相変わらずで御座いますね。何故にそこまで蟻に執着するのか……」
「あんなに小さいのに、毎日お仕事を頑張っているんですよ? 私が心惹かれない訳がないです」
「そんな発言をしながら、蟻の卵を料理して食べるとか猟奇過ぎませんかね?」
「私の真心が込もった逸品です。たんと召し上がれ~」
「殺しますよ。匙をどけなさい」
「只のスープですから怒らないで下さい」
72日目
頭が痛いとデンジャラスさんが言い出しました。何か悪い物を食べたのでしょうか。
「ん? 頭が痛いのに、悪い物を食べた?」
「はい。この時は知らなかったんですが、邪神の肉が原因です」
「あぁ。クリスラの額に眼が出来たのでしたね」
「そう言えば、アデリーナ様はアレを見ても驚かれませんでしたね」
「えぇ。目を失った聖女は大体アレを付けておりましたから珍しくはなかったのです。私には初代ブラナンの一部の記憶が御座いますので」
「面白くないです。期待外れな答えでした」
「それよりも、あの髪型の方がヤバイで御座いますよね」
73日目
諸国連邦の先遣隊が到着。デュランとの国境に逡巡な山々が聳えており、本隊はそこを移動中。街道が狭いため、横からの魔物襲撃に留意。
デュランでは、イルゼが転移の腕輪で街に戻る。理由は日常儀典の執行。また、ナドナムの軍を待ち構える布陣が完成し、高所からの魔法攻撃を予定。
「明らかに他人の文章で御座います」
「そうですか?」
「ほら、日報っぽいでは御座いませんか?」
「気持ちが入ってない文章なんてゴミクズですよ」
「この日報帳で、それ以上のゴミクズが量産されている事実を承知されていないのでしょうか」
「まるで、私の日記がゴミクズみたいな言い方ですね。心外です」
「明瞭に指摘してはメリナさんが憤死されるかもしれませんからね。ぼやかして伝えました」
「ぼやかしてないですよ?」
「気のせいです」
74日目
ブリセイダが率いる本隊到着。山中での駐留は行わなかった模様。兵の休憩を優先することを指示。ブリセイダは逸っていたが2日後にシャールへ発つことを厳命。
サルヴァがブリセイダに改めて話し掛ける。タフトから報告があり、密かにその様子を覗き見る。ブリセイダはサルヴァの謝罪を受け入れたようだ。この日の晩餐は3人で楽しんだ。こんな喜ばしい日が来るとはな。兄もいれば、更に良かったのだが。
「微笑ましいですが、明らかに別の方の話ですね。でも、メリナさんにもこういう日報を期待したのですよ」
「そうだったんですか? 始めに仰ってください。私は文才も併せ持つんです」
「ふーん」
「疑っていますね? 良いです。次の日の日記を読んで感涙を流してください!」
「そんな自信満々な口を叩いて宜しいのですか? 何を書いたのですか?」
「覚えていません! でも、きっと素晴らしい内容です!」
「はいはい。虚勢は見苦しいですよ」
「はぁ!? 絶対に名文ですって!!」
75日目
寝
76日目
て
77日目
た
78日目
。
「トンでもない話で御座いますよ……」
「…………」
「これ、内容の酷さも然ることながら、文章ですらない……」
「……すみませんでした……」
「えぇ。流石のメリナさんでも、これは謝罪せざるを得ないと思いますよ……。驚きました。久々の衝撃で御座いましたね」
79日目
デンジャラスさんの頭痛の原因が分かりました。邪神の肉を食べたせいです。オロ部長に羽が生え、フロンとガランガドーさんが人化したようにデンジャラスさんの肉体にも変化が起きていたのです。
ショーメ先生は大丈夫ですか? アデリーナ様は牙とか角とか尾とか、悪魔っぽいものが生えていませんか? でも、ご安心ください。似合いますよ。
「メリナさんが私をどう思っているのか、ヒシヒシと伝わって来ますね。全く嘆かわしいで御座います」
「似合うと思うんですけどねぇ」
「ところで、ガランガドーさんは復活されないのですか?」
「いやぁ、全然、反応ないんですよ。死んだのかもしれませんね。呆気ない最期でした」
「神殿の経営戦略本部から苦情が来るかもしれませんね。ほら、ガランガドーさんは結構な稼ぎ頭でしたから」
「あー、お手軽に騎竜を楽しめるって人気でしたものね。信じられない料金を取ってましたよ」
「竜神殿なのに竜がいないって、昔から言われていたのです。それを払拭する存在でしたから、実は古株の巫女ほど彼を気に入っていたのですよ」
「巫女長の力なら竜の一匹二匹くらい従えるのなんて余裕でしょうに」
「巫女長は食べてしまうんですよ、竜」
「あの人、竜が好きっていつも言ってましたが、そういう意味でしたか」
80日目
聖女イルゼに転移の腕輪で転移するように頼んでも否定されました。アデリーナ陛下に詫びを入れない理由が不可解で、本気で神聖メリナ王国及びメリナ教と心中するつもりなのかと疑いました。現聖女は狂っていると私は判断します。
そこで、暗殺の必要性についてクリスラ様と相談しました。まだ結論には早いとの判断でした。頭領なら別の見解だったでしょうが、従います。
「また別人が書いていますね。フェリス・ショーメで御座いますか」
「えー、私の日記ですよ」
「貴女にアデリーナ陛下なんて呼ばれたら、肌にブツブツが出来ますよ」
「アデリーナ陛下、いつもお麗しく存じます。陛下、陛下、陛下。用は無いです、帰れ、陛下。どうですか、アデリーナ陛下。肌荒れが凄いですか、陛下?」
「気持ち悪いし、気分も悪いですので、お止めください」
81日目
コリーさんが到着しました。あと、蟻さんの観察をした。
「コリー・ロバンで御座いますか。懐かしいで御座いますね」
「そうですね」
「覚えておられますか? 彼女が私に不遜な言葉遣いをしたので、少し懲らしめたのを」
「あー、シャールの牢屋の時ですね。コリーさん、震えてましたよ」
「あれ以来、アントンと共によく働いて下さいます」
「そういう言い方は良くないですよ。何様ですか」
「私は女王様で御座います」
「女王蟻さんは卵を産み続けるんですよ。同じ女王として、アデリーナ様も見習ったら、どうですか?」
「……減らず口で御座いますねッ……」
「……尋常でない殺気を放つのは……止めてください……。怖いです……」
82日目
パン工房に遊びに行った。いつもハンナさんが笑顔で挨拶してくれます。でも、出会った当初なんて、謝る私に唾を吐き掛けてくる人でした。
人間って変われるものなんですね。
あっ、アデリーナ様もそうですよ。体に変化ないですか? 首の裏に呪殺の紋とか入っていると面白いんですけど。
「アデリーナ様は首の後ろでなくて、足の裏が呪われてましたね」
「……嫌なことを思い出させます」
「ん? 終わったことを――えっ!? 何ですか、その顔! まだ臭いんですか!?」
「カトリーヌさんはまだ羽が生えていますし、クリスラはまだ第三の目を残しています。後は言わなくてもご理解できるでしょ?」
「邪神のヤツ、まだ生き残ってるんですか!?」
「クリスラ曰く、私の体から邪神の魔力は去ったそうです。ただ、体の組織を変えられたことには変わりがないとのお話です」
「じゃあ! ただ単に足が臭いだけですか!! 言い訳無用で足クサクイーンじゃないですか!」
「私の心を抉る言葉は控えてください。今は香水で誤魔化しております。まさか、あんなにバカにしていたメリナさんの足裏と同じになってしまうなんて……。」
「はあ!? バ、バカにしていたんですかっ!? 驚きです!」
「エルバ・レギアンスは邪神を取り除くと言ったにも関わらず、このザマです。まさかデメリットだけを残すとは思っておりませんでした。次に出会った時には、この詐欺の代償を必ずや果たします」
「いや、そこじゃないです! 私をバカにしていたんですか!?」
「うぅ、お嫁に行けない……」
「いや、私をバカにしていたんですか!? それに、そもそも、嫁に行く気も婿を取る気もないでしょ!」
「そんな酷い……。私だって個人の幸せを追い求めて良いはずだわ!」
「その演技は下手くそです。気持ちが込もってないです」
「そうで御座いましたか。心にも無いことを主張するのも難しいで御座いますね」
83日目
フロンとガランガドーさんは意外に仲が良い。今日は1日中、盤と駒を使った遊びをしていました。どちらもアデリーナ様狙いなのに独占欲みたいなものはないのでしょうか。
2人は人間の形をした獣ですので、特定のペアという考えがないのかもしれません。穢れた奴らですね。
「メリナさん、今思い出しましたが、ガランガドーさんの亡き骸というか脱け殻と言うか、それがこの館の庭に転がっておりますね?」
「えぇ。とりあえず彼の体を作ってみたんですが、動かなかったですね。ふーみゃんは無事でしたか?」
「えぇ。昨日の段階では猫で御座いました。このまま維持して欲しいのですが」
「アデリーナ様も猫になったら可愛げが出るかもしれませんね」
「そっくり、そのまま、その言葉をメリナさんにお返ししますよ」
84日目
避けたいところですが、シャールと会戦になると、巫女長が敵側で参戦する可能性に気付きました。それは大変に不味いです。アデリーナ様よりも先に、一番最初に叩きのめす必要がありますね。接近戦なら私に分があると思うんです。
「巫女長に勝てましたか?」
「えぇ。あの人、ルールを普通に無視したりメチャクチャでしたけど、ふーみゃんの毛の加護で何とかなりました」
「それは幸いで御座いましたね。フローレンス巫女長は読めないお人で御座いますから、お気をつけください」
「突飛ですよね。誰が巫女長に選んだんですか?」
「ロクサーナ・サラン・シャール伯爵で御座います。お二人は親友だそうですよ」
「へー、意外です。ロクサーナさんは一度くらいしかお目に掛かっていませんが、昔は女獅子とか呼ばれる武闘派で、しかも策略家だったんですよね? 巫女長と仲良くなる要素を感じないです」
「……メリナさん、誤解が御座いますね。フローレンス巫女長の若かりし頃の渾名は『女狐』です。見事に騙されている可能性も御座いますよ」
「えー、そうなんですか?」
「油断はなりません。私からの有り難い忠告で御座います」
「だって、アデリーナ様の方が私を騙している確率の方が高いですよ」
「うふふ、まだお子様で御座いますね。私でさえ見極め出来ていないのですから、無理も御座いませんが」
「それ、アデリーナ様の深読み間違いの可能性が高いですよね」
「だまらっしゃい」
85日目
今日の聖竜様は私への愛を隠さないくらいに優しくて、とても嬉しかったです。
何なら私を嫁にすると宣言してくれても良かったのに。
さて、明日はいよいよ会戦が行われるそうです。本当の戦争ではないのですが、アデリーナ様が泥水に顔を突っ込んで、哀れに失神している風景も見てみたいと思うので、楽しみです。
あと、マイアさんが居ないから邪神の影響についてはよく分かりませんでした。
「何が御座いました? いたいけな聖竜様がメリナさんに脅された姿が目に浮かびますが」
「転移の腕輪で訪問しただけですよ。嫌だなぁ。他人の幸せに嫉妬するようになったら、人生終わりですよ」
「あぁ。いつ邪神が顕現するか怖くて、下手に出たのですね」
「もう一度、言いましょう。他人の幸せに嫉妬するようになったら、人生終わりですよ。アデリーナ様、終わってますよ」
「終わるのであればメリナさんでしょう。私が読むのを知っておきながら、泥水に顔を云々で御座いますか?」
「こ、言葉の綾ですよ……。ハハハ、やだなぁ」
「結局、泥水よりもきったない唾を私の顔に吹き掛けましたよね?」
「お、覚えてないです!」
87日目
いっぱい戦いました。
一番興奮したのはアデリーナ様の顔に唾を吐いたことです。とても面白くて、背中がゾクゾクしました。一生涯、忘れることはないでしょう。
また、やりたい。
「メリナッ!!」
「えー、これ、本当に私の文字でしょうか? 甚だ疑問――」
「さっき、目の前で書いていたでしょ!」
「だって……だって……だって! アデリーナ様が弱いくせに生意気なんですもん!」
「本音が出ましたね! ひねくれた根性を叩きのめしてやりましょう!」
勢いよく椅子から立ち上がった私とアデリーナ様。一触即発です。
しかし、それを遮る者がいました。
「お嬢様、また、下賎な私が語り掛けるのも、お目にするのも烏滸がましい高貴な方。お二人が仲睦まじくお食事をされる姿を見たいという私の願いを、どうか叶えて頂けませんでしょうか」
ベセリン爺でした。真剣な眼差しが私達を見詰めます。部屋に沈黙が続きます。
「申し訳御座いません。思わず、騒いでしまいました。メリナさんも着席なさい」
「はい。爺、すみませんでした」
「いえ、謝罪し、礼を言うのは私で御座います。しがない使用人の言葉を聞き入れて下さり、お二人の慈愛に心を震わせております」
その後は他愛もない雑談をしながら、アデリーナ様とお食事を再開しました。
なお、日記を付けるのはもう不要と言われましたので、喜んで日記帳をお渡ししました。




