折り合い
ヤナンカの顔に竜の体を持つ邪神は宙に浮いたままです。暗い空に浮いていて遠近感が分からないのですが、とても大きいのだと私は認識しました。
「的は大きい方が当てやすいので御座いますよ」
「とても好戦的ですね。アデリーナ様らしいです」
「そうでしょうか。足の裏にあんな真似をされたら、誰でも忍耐の限界を越えて怒るに決まっていると思いますが」
「その足の裏の臭い、私と同じなんですけど? ずっと言おうと思ってました。私に少し失礼じゃないですかね。それにアデリーナ様の足の裏だと思ったら劇臭でしたが、聖竜様とも同種の芳香でも有ります」
「どんな屁理屈を持ってこられても、私に与えられた恥辱であることには変わり御座いません」
本当にアデリーナ様は分かっておられない。聖竜様のお香りなんですよ? 最高の香水が自分の足の裏から出るのです。素晴らしいことなのですよ。
さて、邪神は完全に復活を遂げました。ユラユラと浮遊しております。魔力も強大で難敵であることは間違いないでしょう。
「最初の魔法陣で人の魔力を魔物に変え、それを倒させて魔物から放出された魔力を空で吸収するってところでしょうかね。まどっろこしいにも程が御座います」
「そんな感じの魔力の流れだったんですか?」
「恐らくは」
うーん、私の魔力感知だとよく分からなかったなぁ。
「実は、メリナさんが再び邪神になるのだと私は思っておりました」
「どうしてですか?」
「レギアンスの魔力を吸って、今のメリナさんの魔力はまた桁違いに大きくなっておられます。そして、マイアは1ヶ月前のメリナさんの魔力であっても邪神が顕現する直前だと判断しておりました」
「ふーん。あっ、だから、聖女の腕輪を使うなって言っていたんですか?」
「何回か直接的にそう申されてましたよ。全くおバカなんだから。ご自分の危機くらい覚えておきなさい」
むぅ。そうでしたっけ?
「まぁ、宜しい。メリナさんの魔法がまだ使えるか分かりませんが、倒しますよ」
そうですね。邪神本体が敵となると、私の魔法の威力は極端に落ちてしまいます。エルバ部長の水晶球の中での戦いがそうでした。
ガランガドーさんが以前に説明した内容だと、私の魔力の源が邪神であるそうだからです。
しかし、悩む必要は御座いません。まずは試し撃ちです。敵の固さも測りたいですし。
アデリーナ様の光る矢に続いて、私の火炎魔法も普通に使えまして、邪神の体に大穴が空きました。薄暗い中、私達の絶え間ない攻撃による輝きで周りが照らされます。
「すんごい呆気なく勝てそうですね」
「全くで御座います。傷の修復も行えないところを見ると、不完全な状態なのでしょうかね」
「私の魔法もいつも通りでしたし」
「えぇ。邪神はまだメリナさんの味方なのですね」
「えっ、そういう言い方をされると、余り嬉しくないんですけど」
あっ。お空に魔法陣です。
オレンジ色に光るそれは、また周囲の魔法を吸収し始めます。
私の体からも魔力が抜けそうになるので、意識を高めて押さえます。弱体化された上で、向こうがパワーアップするのは大変によろしくないことですから。
しかし、不思議なことに魔力操作を使えないアデリーナ様から魔力が出ていかないのです。私だけが対象の吸収魔法?
「うわーー! 引っ張られるぅー!! 主よ! 引っ張られるーッ!」
遠くから近付くように、ガランガドーさんの謎の叫びが響きました。しかも上方です。
慌てて私は振り向きます。
そうしますと、なんと背中のバーダを前にして空中で足をバタつかせるガランガドーさんが居ました。バーダは高速で一直線に魔法陣を目指しています。
紐でバーダを繋いでいたガランガドーさんは抗うことが出来ていません。
そして、間も無く、魔法陣の中へとバーダもガランガドーさんも消えてしまいました。魔力的にも存在しません。異空間に飛ばされたか?
「何ですか、今の?」
「食べたので御座いましょうね」
「マジですか!?」
魔力の流れは見えませんでした。
ガランガドーさん! 生きてますか!?
…………。
無言です。何も返答は有りませんでした。
私は慌てて、もう一発火炎魔法を邪神に放ちます。怯んだ邪神がガランガドーさんを吐き出せばという思いと、ガランガドーさんまで失った私が魔法を使えるのかの確認でした。
邪神に当たった火の玉が炸裂します。威力は十分。邪神を覆うように燃える炎で、再び周囲が紅く照らされました。
そして、火は消えて、また闇が訪れます。
「燃やし尽くしましたか? さすがはメリナさんです」
アデリーナ様の発言は空に邪神が居なくなったからです。私も目を凝らします。
あっ。魔力のブレ。
「違いますね」
「あら、本当で御座います」
アデリーナ様は言いながら剣を出しました。ミーナちゃんが使っていた鉄板と見紛うくらいの大剣では御座いませんが、それでも、両手で扱わないと振れそうにないくらいのサイズでした。だからか、アデリーナ様は剣先を地面に当てています。逆さに直立させていますから、柄が胸のところにまで来ていました。
既にちょっと離れた所にヤナンカが現れています。
「お待たせー。時間が掛かっちゃったー」
いつものヤナンカの陽気な声でした。
「何をされていたのですか?」
「邪神と折り合いを付けてたんだよー。今のヤナンカはー、ヤナンカであり、邪神であるのかなー。意識の中に取り込んだー」
信じられないです。
自分の心の中に他人、いえ、邪悪な何かを入れたと言うのですか?
「取り込んでどうするおつもりで?」
アデリーナ様が剣の切っ先をヤナンカに向けつつ尋ねられました。私もゆっくりと拳を構えます。
「どーしよーかー。とりあえずねー、ブラナンの敵討ちとかー、私の王都を破壊しやがってーとかー、何でもいいから殺したいーとかー、メリナと戦ったら面白そーとかー、強くなりたいーとかー。色んなヤナンカが言ってるのー。でもー、勝てなそーだったんだよねー。だから、世界でいちばーん強いせーれーと合体したのー」
ヤナンカは喋りはしていますが、その最中にも表情がころころ変わります。笑顔になったかと思えば、怒り顔。泣きそうになったり、苦しそうな顔をしたり、睨み付けたり。
ショーメ先生へ雅客が伝えたように、ヤナンカの中には多数のコピーの人格が存在していて、とても不安定な状態になっているのだろうと私は想像しました。
「ブラナンに与えた精霊とやらは取り戻せましたか?」
アデリーナ様が足で地面を均しながら尋ねます。剣を振るう時に小石で滑らない様にする準備でしょう。
「もちー。レギアンスは凄いよねー。ヤナンカ、強くなったー」
「ガランガドーさんとバーダは?」
私も体に魔力を充満させながら訊きます。
「どちらも邪神の魔力が混じってたのー。だから、もらったー。メリナからも少しもらったよー」
バーダは生まれ変わる前は死竜で御座いましたね。それが邪神と関係があったのか。いや、ガランガドーさんの子供だからか。ガランガドーさんは本人が邪神と混じり有っていると言ってましたね。
「そうですか。当分は寂しくなりますね」
「主よ、主よ」と煩くも私を慕っていた彼が居なくなると、ナーシェルの館の庭も広く感じてしまうでしょう。
私は強く拳を握りました。
「行くねー」
言葉と同時にヤナンカが突撃してきます。手には短刀。
速いのは速いですが、パウス程では御座いません。私の拳が腹に入り、止まったヤナンカの首をアデリーナ様の剣が断ち切ります。
ゴロリと首が落ちましたが、血は噴き出しませんでした。魔族の特徴です。
しかし、地面に転がった頭と体は浮遊し、アデリーナ様が再度、斜めに叩き斬ったにも関わらず、何事も無かったかのように全身が合一致します。
「すっごいー。ヤナンカ、不死身ー」
……調子に乗っておりますねぇ。
こちらはガランガドーとバーダの弔い戦なのです。必ず殺して差し上げます。




