メリナさんは十分
オロ部長に改めての礼を言った私は一直線に本陣を急襲することにしました。ゆっくりと考えていると、また巫女長の攻撃魔法を受けてしまうことになるからです。
発動までにフロンと一戦を終えるだけの時間が有りましたから、そんなに連発出来るものではないのでしょう。でも、むざむざ次の発動を待つ必要は御座いません。
あれだけの広範囲魔法ですから、味方も自分もいる場所に撃つはずがないという思いも御座いました。
しかし、そんな私の推測と期待は見事に打ちのめされまして、私はシャールの兵隊さんや知らない巫女さん達が無惨に倒れている現場に立っています。
私自身は無事なのですが、周りは呻き声や泣き声で地獄の様です。流血されている方々も多いです。
「あらあら、メリナさんはご無事だったのね。残念だわ」
そんな中、竜神殿で唯一の豪華な巫女服に身を包む老女が、私に対してにこやかに話し掛けて来ました。
紛れもなく巫女長です。決して悪魔では御座いません。
「巫女長……これはやりすぎですよね……?」
「あらあら、そうかしら? メリナさんもそう思われる? それよりも早くお倒れになって下さらないかしら」
言葉はそんな感じだったのですが、柔らかい微笑みに邪悪さも敵意もなくて、私を倒そうとしている意思も感じられませんでした。
「でも、これで終わり。えいっ」
たぶん無詠唱の精神魔法。恐ろしい事に、巫女長の気合いの声とともに放たれたのではなく、巫女長が「でも、こ」って言っているくらいのタイミングで向かってきていました。
見事に私は幻惑されましたよ。しかも、一直線でなく左右にも上下にも広がる魔力の渦。とてもじゃないですが、避けられません。
為す術もなく魔力に巻き込まれた私は立ち竦んでいました。
が、何も起きませんでした。
「あらあら? おかしいわね」
巫女長は「あらあら」と首を横にして不思議な顔をしながらも、その短いセリフの間に10回以上も同種の魔法を連発してきました。
しかし、私は無事です。
安心とともに気付きました。これは昨日、アデリーナ様から頂いたふーみゃんの毛のお陰です。精神魔法の無効化を付与するという、とても不思議な物です。フロンの毛だと思うと極めて穢らわしいのですが、ふーみゃんの物だと思うと安心できるのが、また不思議です。
「勝負有りましたね、巫女長。お座り下さい」
私は勝利を確信しております。この距離ならば、体術の範疇です。ご老体の巫女長では私に敵うはずも御座いません。
「メリナさん、少し話をしましょうね」
しかし、私の言葉を聞かず、巫女長は立ったままでそう言います。なお、この時も絶えず、私に対して魔法攻撃が執拗に放たれていました。友好的な笑顔なのに容赦無しです。
これだけ撃てば誤射も当然に発生します。倒れている兵士や巫女の方々の嗚咽とともに何かを悔やんだり、謝ったりしている声があちらこちらから聞こえてきて、とても怖いです。やはり精神魔法『告解』を使ってやがりますね。
「ご覧なさい。この戦場を」
巫女長は私の背後を示して仰いました。一度は尊敬した事がある人だし、また、ご老人なので倫理的に殴り付けるのに気が引け始めた私は、言われるがままに振り向きます。
この本陣は丘の上に位置していますので、兵士達の集団がワチャワチャ蠢いているのが見えます。でも、闘っているのは獣がいる左翼だけで、サルヴァとへルマンさんが一騎討ちになったはずの中央は歓声は上がっているものの、剣を剣で叩くような音は上がっておりませんでした。あと、私が壊滅させた右翼は倒れた人を回収中でした。
「メリナさん、貴女はとても凄いわ。こんなにも多くの人を動かしたのね」
「……そうでしょうか」
「そうですよ。それって、貴女が魅力的だからよ。自信をお持ちなさい」
何故か巫女長に誉められています。そうするのであれば、無詠唱の精神魔法を放つのを止めて欲しいです。まだ飛んできているのです。
「私、小さな物が懸命に頑張る姿って好きなの」
巫女長の言葉の真意が分からず、私は黙って聞きます。
「ほら、私の精霊は竜でしょ? 竜の中には人間の生活を空から覗き見るのが好きな種類もいてね、私もそうなのかなって思うの。メリナさんは?」
「……はい。蟻が動く姿が好きです」
「うふふ。私達、やっぱり一緒ね。蟻は余り好きじゃないけど」
だったら、どうして一緒なんて言ったのか……。
ただ、雰囲気は和らいでいます。執拗な精神魔法は変わらずですが。
「竜は自由で賢いの。私もそうなりたくて、でも、なれなくて、この歳。聖竜様にお逢いしたくて竜の巫女になったら、あれこれあって、巫女長にされて、いつの間にか自由もなくなっちゃった」
「はぁ」
何ですかね、この巫女長の自分語り。興味がないとは言いませんが、今、私に伝えるべきことなのでしょうか。
「自由は分かるわ。でも、賢いっていうのもどんな状態なのかしら。例えば、エルバ部長は知識が豊富よね」
「はい。でも、あいつ、すぐに調子に乗りますよ」
私の返事に巫女長は「うふふ」って笑いました。
「マイアさんはどうかしら?」
……マイアさんと巫女長の接点なんて、前の内戦の時のコッテン村滞在時くらいしか無かったと思います。よく覚えていらっしゃいましたね。あっ、でも伝説の大魔法使いだし、聖竜様と一緒に戦ったお話も残っているから印象が深いのでしょうか。
「はい。でも、賢いのは間違いないですが、マイアさんは問題を自分で抱えてしまうところが有りますね」
私の答えに巫女長はウンウンと頷きました。
「アデリーナさんは賢いかしら?」
「えっ、うーん、本人は賢いと思っていると思います。邪悪ですけど」
巫女長は微笑みを維持したままです。なお、精神魔法での攻撃も止んでおりません。
何ですかね、この状況は。
「3人とも本当に賢いと思うわ。んー、でも、何だろう。竜の賢さとは別なのよね」
「そうですね」
特に聖竜様の様な荘厳で冷徹な賢さは誰も持っていないです。私はそう思います。
「メリナさんは自分を賢いと思う?」
「……いいえ」
いつもの私なら「はい!」と答えていたかもしれません。でも、今の私は不思議に本心をさらけ出してしまいました。巫女長の優しい微笑みと問い掛けに心が動かされた為でしょうか。
「その感覚、大事よ。竜も自分が賢いなんて思っていないわ」
っ!? そうでした。聖竜様は本当は賢いのに、自分が賢いなんて言ったことは……たぶん無かったです!
新たな気付き、巫女長様、ありがとうございます。私は自分の不勉強さを省みないといけませんね。
「……ありがとうございます。私はバカになります……」
「もう。メリナさんは十分よ。うふふ」
いや、「バカになります」って言ったのに「十分よ」の返答だと、「もう既にバカよ」って言われた感覚なんですけど。
えっ? 巫女長、もしや、そんな意味で仰いました? ううん、そんな事はないですよね。
「メリナさん、私も賢くはないの。いつも、しないといけない事をしているだけ。メリナさんも偉くなったら、私みたいな巫女長になってね」
また心が昂揚しまして、目頭が熱くなります。この人は私の為を思ってアドバイスしてくれているのです。それなのに私は「世界で最も危ない人」だとか「精神魔法を使って巫女長の地位に就いた」だとか「シャールの最終兵器」だとか思ったりしてすみませんでした。
優しさに絆されて、私はゆっくりと巫女長へと近付きます。そして、今までの行いや汚れた思いを謝罪したいと思いました。
愚かな私をお許しください。
謝罪を受け入れて頂けるなら、私はフローレンス巫女長に忠信を持ってお仕え致します。
一筋の涙が流れます。メリナは反省しています。何かお詫びをしないといけないでしょう。
そうです!
巫女長の念願を叶えるために、聖竜様の下へも一緒に行き……一緒に……一緒に?
行ったらダメです。たぶん、聖竜様は困惑されます。下手したら邪神の時みたいに食べてみたいとか言いそうですよ。絶対、聖竜様はお望みになられないと確信します。
もう手が届く距離にいる巫女長に私は尋ねます。
「私、巫女長の魔法に掛かっていましたか?」
そうでした。巫女長は私に精神魔法が効いていないにも関わらず連射しておりました。で、無効化しているというのは私の錯覚で、少しずつ私の精神は汚染されていたと気付いたのです。
聖竜様のお陰でそれが解けたので御座います。
「あらあら、残念。もう少しだったのに。うふふ」
濁りのない目で巫女長は仰いました。
「死なば諸ともね」
次の瞬間、頭をガツンと打ちました。すぐに理解します。これは巫女長の魔法!
二手目も用意していたのか! 私に察知されないように精神魔法の魔力を撒き散らし、上空でこんな大威力魔法を構築していたなんて!
「ぐおおぉ!!!」
私は耐えます。真上からの風、ダウンバーストと言うのでしょうか。膝を曲げてしまいそうになるのを必死に真っ直ぐにします。
周りで倒れている方々は紙切れの様に遠くへと吹き飛ばされました。
なんと術者の巫女長までです。
気を失いそうになるし、骨も軋むしで、私は必死に回復魔法を自分に唱えます。
圧倒的な暴力。回復魔法以外の選択肢を取る余裕はなく、我慢するしか御座いません。
やがて魔法の発動は止まり、私は回復魔法を唱えていたにも関わらず、膝に手を付いて息を整えます。かなりの疲労でした。久々の感覚です。魔力が尽きる寸前、そんな感じでした。
吹き飛んで倒れていた巫女長は立ち上がって、また何かブツブツ言い出しています。
私は縺れそうになる足を強いて、即座に近付いて指摘します。
「巫女長、巫女長! 倒れたから、巫女長の敗けですよ! 魔法禁止!」
「――ガヤヒヤユマーラカニト――」
精霊語!? いや、これ、やっぱり魔法詠唱です! お母さんがやってたのを思い出しました。
ご老体ではあるのですが、私は巫女長の腹を殴って気絶させようとします。準備中の魔法に対して、とても不穏な予感が走ったからです。
「掛かったわ」
手加減なんかしていない私の腕を巫女長は寸前で避けて脇に挟みます。
「えい」
気合いの入っていない声とは裏腹に、後ろへ仰け反った巫女長は私をそのままコンパクトに放り投げました。素人の技では有りませんでした。速いです。
このままでは一回転させられて背中に土が付いてしまいます。
が、負けません。挟まれた腕で巫女長の服を握り、どうにか足を曲げて着地。背筋を精一杯に働かせて姿勢を正しながら、勢いよく巫女長を握った腕を振るいます。
片手で巫女長を持ち上げ、それから、私は前屈の体勢で地面へ巫女長の脳天を叩き付けたのです。
巫女長、目を開いたまま動かなくなりました。
……殺しちゃいましたかね……。
確認のために瞳孔の様子を伺ったところで話し掛けられました。
「メリナさん、ドキドキした?」
「はい」
軽い怒りは湧きましたが我慢です。死んだマネだったようです。
「私が負けたのかしら?」
「えぇ。その通りです。そもそも投げる前から負けてます」
「まぁ、メリナさんは賢いわね。そんなルールを守るなんてとっても賢いわ」
「巫女長……聖職者なんですから、それくらいは大切にしましょうよ」
「堅いわねぇ。メリナさん、お堅いわよ。いいわ。私の負けね。アデリーナさんとの巫女長の座を賭けた戦いを見せてもらうわ」
いや、私もアデリーナ様もそんなの要らないです。って言うか、アデリーナ様も巫女長の風魔法で吹き飛んでいるんじゃないでしょうか。周囲で立っている人は誰もいませんよ。




