書かれる日報
さて、一時の騒がしさが去り、また雨が窓を叩く音がします。控えめなノックは、まるで私の気を惹きたい子供のいたずらみたいでした。
すっかり冷えた茶を一飲みしてから気分を整え、私は日記帳を開いてペンを持ちます。
いや、その前にお代わりが欲しいですね。
「そこを歩いている方、すみませんが、食堂からお茶を持ってきてください」
「メリナ様、ご自分でお願いします」
ショーメ先生です。今日はメイド服だと言うのに、主人に奉仕しないなんておかしいと思いました。
「えー、そこの扉を開けたところですよ。めちゃくちゃ近いんですけど」
「それこそ、自分で取りに行かれたらと思いますよ。そもそも、ここは廊下ですから邪魔だって、皆が思っていますよ」
そんな不敬な事を考えるのはショーメ先生だけだと思います。私は机を廊下の窓際に置いて、ただ座っているのです。花瓶みたいなものです。
「ここ、風が通って、とても気持ちが良いんですよ」
「好き勝手に生きれる人は幸せですね。羨ましいです」
そう言いながら優しい先生は食堂に入って、ポットに淹れた茶を持ってきてくれました。
そして、慣れた手付きで私のカップに注いでくれるのでした。
「ありがとうございます」
「はい。これもどうぞ」
ショーメ先生はお茶に白い粉も入れました。
「何ですか?」
「砂糖ですよ。諸国連邦湾岸地域では一般的な飲み方です」
お茶に砂糖? そんな高価なものをお茶に混ぜるとは贅沢ですね。諸国連邦のクセに生意気です。
私はズズッと啜ります。
「……美味しい。蜂蜜を入れた時と違って、お茶の香りが邪魔されないんですね」
「良いコメントだとは思いましたが、ミーナちゃんの指摘を一顧だにしてないんですね」
ミーナちゃん……? 何でしたか。あっ、お茶を飲むときに音を立てるのはマナー違反とかってヤツですか。余計なお世話です。口の中が火傷したら大変じゃないですか。
「メリナ様は何をされているのですか?」
「日記を付けようとしています」
「なるほど。それではお邪魔しないように退散致しますね」
しかし、わたしはショーメ先生の腕をガッシリと掴むのです。
「デュランに来てからの分が堪っているので、前みたいに手伝ってください」
「アデリーナ様に叛逆している状況ですから書かなくても宜しいのでは?」
「いいえ。書いておけば『私はアデリーナ派でしたよ』って言えるじゃないですか。保険です」
「首謀者が言う言葉じゃないですね。ふう、まぁ、メリナ様らしいです。少しだけですが、お手伝いさせて頂きます」
「お願いします!」
私は食堂からカップを持ってきて、ショーメ先生の為にお茶を淹れてあげました。椅子もセッティング致します。
「デュランに来て次の日からですね」
「はい。この日はデュランの人達の前で演説して、私達の国を正そうとか言って盛り上がりました」
「そうでしたね。では、こんな感じでどうですか?」
70日目
未熟な聖女イルゼがハッスルして、民衆を扇動していました。枢機卿ヨゼフもノリノリでアデリーナ女王の断罪を語っていました。身の程知らずも良いところです。
予想外に盛り上がる流れにショーメ先生は焦りを隠せず、デンジャラス様の許可を貰った上でアデリーナ女王に事態の収拾を相談することにしました。
あと、メリナは演説中にも暢気に欠伸をしていて、怒りを覚えました。
「ちょっ! なんで、ショーメ先生が書いてるんですか!?」
「あっ、すみません。疲れていたのでうっかりしていました。申し訳御座いません」
「筆跡も違うし、どうしてくれるんですか!」
「インクを溢して真っ黒にするか、破ってはどうですか?」
「もう良いです!」
最後に『ショーメ先生に落書きされました。ごめんなさい』と付け加えて、この日の分は終わりとします。まだまだ書かないといけないので、時間が惜しいのです。
71日目
今日はすることが無かったので、久々に蟻さんを観察しました。蟻さんは地上の喧騒を知らなくて、いつも通りです。日常がずっと続く、これが即ち平和ですね。と思っていたら、蟻さんは毎日、何匹も踏み潰されたり、食べられたり大変な生活でした。
観察後、ビーチャに命じて蟻の卵料理を作らせました。余り美味しくなかったので、サルヴァへの差し入れとします。いつかアデリーナ様にも食べてもらいたいです。常日頃の私の気持ちが籠った逸品ですよ。是非とも召し上がれ。
「することがないって書かれましたけれども、その日はイルゼ様がご出立しましたし、私も暗部の立て直しに忙しかったんですけどね」
「そうでしたか。大変でしたね」
「えぇ。でも、暗部の者もデュランの危機に面して団結出来たのは不幸中の幸いでした」
「あっ、デンジャラスさんがボッコボッコに殴っていた暗部の人、助かりましたか? マイアさんとこの師匠に看病をお願いした人」
「大丈夫ですよ。本人も反省していました」
反省って……。彼は暗部の命令に忠実だっただけだと思うんですけどね。
72日目
頭が痛いとデンジャラスさんが言い出しました。何か悪い物を食べたのでしょうか。
「メリナ様? もしかして、前日の物をお出しされましたか?」
「いえ。あれはサルヴァに全部あげました」
「そうですか。では、ストレス性の頭痛ですか」
「あんなキレッキレの格好なのに悩み事があるんですかね?」
「うふふ。悩み事の元凶がそう申されるとは、世の中、面白いです。それでは失礼致します。デンジャラス様にお薬を持っていきたく存じますので」
ショーメ先生はそう言って立ち上がりました。そして、逃がすものかと伸ばした私の腕を躱して去っていかれるのです。
ふん。冷たい人ですね。デンジャラスさんの頭痛はもう解決しているんですよ。
さて、私は次の日に取り掛からないといけません。
うーん、書くことないなぁ。ガレキを手で壊して遊んでいたくらいしか思い出せないです。
しかし、私は幸運の持ち主。またもや助っ人がやって来るのでした。
「何だ? ここで何をしている?」
メンディスさんです。遅い食事を取りに来たみたいですね。
「日記を付けています」
「廊下で、か?」
「はい。手伝ってくれませんか?」
「他人が手伝う種類の事柄じゃないだろ。しかし、断りたいが、お前のことだ。それはそれで良くないことになりそうだな」
快く了承してくれました。私はメンディスさんの口述する内容を筆記します。とても楽です。
73日目
諸国連邦の先遣隊が到着。デュランとの国境に逡巡な山々が聳えており、本隊はそこを移動中。街道が狭いため、横からの魔物襲撃に留意。
デュランでは、イルゼが転移の腕輪で街に戻る。理由は日常儀典の執行。また、ナドナムの軍を待ち構える布陣が完成し、高所からの魔法攻撃を予定。
「こんな所だろう」
「そうですか? 文が固いです」
「手伝わさせて文句を言うな。腹が減っている。もう行くぞ」
「ま、待ってください! あと1日だけでも!」
「……仕方あるまい。これが最後だぞ」
74日目
ブリセイダが率いる本隊到着。山中での駐留は行わなかった模様。兵の休憩を優先することを指示。ブリセイダは逸っていたが2日後にシャールへ発つことを厳命。
サルヴァがブリセイダに改めて話し掛ける。タフトから報告があり、密かにその様子を覗き見る。ブリセイダはサルヴァの謝罪を受け入れたようだ。この日の晩餐は3人で楽しんだ。こんな喜ばしい日が来るとはな。兄もいれば、更に良かったのだが。
「メンディスさんの日記になってません?」
「ん? ……そうだな。すまん。思い出したら感慨深くてな、心の内が出てしまったようだ」
それに、兄とか。メンディスさんは第2王子でしたから長兄がいるんでしょうね。
「不幸に突き進んでいる最中に、兄弟の絆が深まるとは思わなかった。平時に望みたかったものだな」
少し嬉しそうに呟いてメンディスさんは食堂へと去りました。
あー、行っちゃった。誰か来ないかな。一人で書くのは辛いなぁ。そもそも昔の事なんて何があったか思い出しにくいですよ。
あっ! スッゴい技を思い付きました!
75日目
寝
76日目
て
77日目
た
78日目
。
うふふ、少し強引ですが、たまには良いでしょう。多用するとアデリーナにねちねち責められるので、4日というのも良い塩梅だと思います。もうこれは自画自賛しちゃいますね。
あっ! ちょうどショーメ先生が戻ってくるところですね!
「先生、お待ちしておりました!」
「メリナ様、クリスラ様に大変な事が起きていましたが、ご存じでしたか?」
……あっ、知ってしまいましたか?
私はサラサラとペンを進めて、ショーメ先生に見せます。
79日目
デンジャラスさんの頭痛の原因が分かりました。邪神の肉を食べたせいです。オロ部長に羽が生え、フロンとガランガドーさんが人化したようにデンジャラスさんの肉体にも変化が起きていたのです。
ショーメ先生は大丈夫ですか? アデリーナ様は牙とか角とか尾とか、悪魔っぽいものが生えていませんか? でも、ご安心ください。似合いますよ。
「本当ですか、これ?」
「はい……。ガランガドーさんが嬉しそうに伝えてきましたし、フロンも同じことを言っていました。魔力に詳しい2人なので真実なのだと思います」
「しかし、あれは……」
ショーメ先生の懸念は分かります。
デンシャラスさんは開眼されました。第三の目が。縦に割れる、大きくて血走った目がおでこに出来ました。
「魔物みたいでしたよね」
「驚きました。クリスラ様がご満足なので何とも言えない気持ちになりましたし」
えぇ。怖いですよね。でも、私は知っています。半年以上前、私がまだ巫女見習いのときに、シャールは王国に反旗を翻した時のことです。
その戦争を止めるために私は当時の王様に直談判をしに行ったところ、王の側近だったデンジャラスさんと対峙することになります。で、その時にデンジャラスさんはリンシャルから借りたという第三の目を開いたのです。
奥の手みたいな感じでデンジャラスさんは使っていた事から、その眼に不快感はなくて、むしろ聖女である自負を持たれていたのだと思います。
リンシャルが正気を取り戻した後、デンジャラスさんの第三の目は消えました。しかし、彼女は再び身に付ける日を待っていたのかもしれません。そう考えると、今の第三の目はデンジャラスさんが望んだものだと思います。
デンジャラスさんは美的センスが独特ですね。個性の話なので、私は否定しませんが。
しかし、現実問題として、荒くれ者の姿なのに、更に額に人間じゃない種類の眼が出来ていると、周りの方に魔族じゃないのかと誤解を受けてしまいます。
なので、額飾り、フロントレットと言うのですか、それの垂れ下がった宝石で隠してもらっています。
「望んだ事が叶うですか……」
「ショーメ先生は大丈夫ですか?」
「えぇ。私の花言葉は『何も求めない』で御座いますし、気味の悪い物を食べる趣味はないです――あっ!? メリナ様!」
急な大声を出されたので、私はビックリしました。
「今回の戦争! 止まらないんですよ! ……いえ、興奮してしまい失礼致しました。色々と手を回しても何故か停戦にならなくて、民衆が特に熱狂しているんです。それって、メリナ様が戦争を熱望したことによる邪神の影響では?」
「あはは、まさか」
「クリスラ様に相談して参りますね」
「ダメです」
「……何故ですか?」
「日記をもう1日だけで良いので協力してください」
80日目
聖女イルゼに転移の腕輪で転移するように頼んでも否定されました。アデリーナ陛下に詫びを入れない理由が不可解で、本気で神聖メリナ王国及びメリナ教と心中するつもりなのかと疑いました。現聖女は狂っていると私は判断します。
そこで、暗殺の必要性についてクリスラ様と相談しました。まだ結論には早いとの判断でした。頭領なら別の見解だったでしょうが、従います。
「じゃ、急ぎますね」
「はい。ありがとうございます」
いやー、流石に暗部の人ですね。聖女さんであっても邪魔なら即排除の考え方、ヤッバイです。
さて、もう少しです。頑張りましょうかね。3日前からですので、覚えています。
81日目
コリーさんが到着しました。あと、蟻さんの観察をした。
82日目
パン工房に遊びに行った。いつもハンナさんが笑顔で挨拶してくれます。でも、出会った当初なんて、謝る私に唾を吐き掛けてくる人でした。
人間って変われるものなんですね。
あっ、アデリーナ様もそうですよ。体に変化ないですか? 首の裏に呪殺の紋とか入っていると面白いんですけど。
83日目
フロンとガランガドーさんは意外に仲が良い。今日は1日中、盤と駒を使った遊びをしていました。どちらもアデリーナ様狙いなのに独占欲みたいなものはないのでしょうか。
2人は人間の形をした獣ですので、特定のペアという考えがないのかもしれません。穢れた奴らですね。
ふぅ。終わりました。
すっかり冷えた茶の残りを飲み終えて、私はベッドルームへと向かいました。
メリナの日報
避けたいところですが、シャールと会戦になると、巫女長が敵側で参戦する可能性に気付きました。それは大変に不味いです。アデリーナ様よりも先に、一番最初に叩きのめす必要がありますね。接近戦なら私に分があると思うんです。




