手の内
とは言えですね、担当教官が涙を生徒の前で流すのは大変に気の毒です。なので、私はサルヴァに言います。
「ほら、サルヴァ。レジス教官が困っています。せめて、立ち上がりなさい」
「フッ、巫女が言うのであらば仕方ない。しかし、俺の机がないものでな」
あっ、そうですね。昨日の事件で机がぶっ壊れたのでしたか。
「大丈夫です。ここにあった二脚が窓の外に落ちています。拾ってこられたら良いでしょう」
いやぁ、よく思い出せましたよ、私。自分を誉めてあげたい。
私の机を設置する場所が足りなくて、近くにあった机と椅子を窓から放り投げました。確か、サルヴァの取り巻き二人が座っていた所ですので、別に良いかなと思っていました。
それを聞いたサルヴァが素直に机を拾いに出て行きましたが、彼の存在を無視したかのように朝の会は関係なく始まりました。
「皆、気を取り直して聞いてくれ。大切な話なんだ」
そんな切り出しからレジス教官は説明してくれました。
「今朝の職員会議で、このクラスが話題に上がった。ほら、昨日の朝の会で、皆、他のクラスに移りたいって行っただろ? それ、隣のダグラス先生にも聞こえていたんだ。それで、ダグラス先生が俺に言ったんだ」
レジス教官は、ここで一回言葉を切りました。続きの句を言うのを躊躇ったみたいです。
「……レジス、お前は教師に向いていないんじゃないかってな。生徒が可哀相だろって」
レジス教官はプルプル震えていると思います。でも、私の視界は机の背棚で遮られていて、よく見えません。そもそも、私は窓から空を見ていて、聖竜様に似た形の雲がないかなと探していました。
「俺だって、お前たちが可哀相だって思っているよ! でもな、ダグラス! お前が受け持ってみろよ! ここは動物園かってくらいに騒ぐ奴等がいるのに、更にバカが増したんだぞ! どう対応したら良いんだよ!」
あー、それは難しいですね。可哀想です。バカを治すのは無理ですよ。
あと、自分の生徒をはっきりバカって言いました。面白いです。学校、意外に楽しい。
「…………すまん、取り乱してしまったな。しかし、お前らも昨日、言ってくれただろ! このクラスを移りたいって! 俺も同感だが、それは無理なんだ! ならば、理想のクラスを作ろう! 自身の変革だ! それだけが、俺達が貴族らしさを取り戻せる道なんだ!」
貴族らしさ……。
何でしょうか。私、結構な数の貴族様を知っています。まず、神殿の同期であるシェラ。神殿のある街シャールを治める伯爵の一族です。それから、アシュリンさん。実はシェラの従姉妹と知ってビックリしたことがあります。現聖女イルゼさんと前々聖女のクリスラさんも貴族だったと思います。
他にもシェラを想う中身が薄っぺらい騎士のグレッグさん、早く死ねアントンとか、うーん、どれもそんなに貴族っぽくないです。庶民である私が喋り掛けても怒ったりしません。
王都では一般民であるパン工房の方々と一緒に飯を食べ、笑い合いました。粗野な部分や過ちも御座いましたが、日々を愉快に暮らされていました。
彼らと貴族、どこに違いがあるのでしょう。聖竜様の前に出れば、どちらも矮小。そして、百年もすれば等しく動かぬ骨になるのです。
その辺りをかいつまんで私は質問します。ちゃんと手を挙げて「はい」と声を出し、椅子を引いて立っての発言です。
「……考えさせられる意見ではあるがな、メリナ。お前の姿が机で見えないんだ。早くそれを片付けろ」
えー。
「……ん、なんだ、サブリナ? 意見があるのか?」
見えない。見えないけど、誰かが挙手したのでしょう。
「はい……。今のメリナさんの意見ですが、その通りだと思いました。我が国シュライドでは貴族は民を庇護する義務を負っています。しかしながら、このクラスではナーシェル王家の者による目に余る暴言が放置され、また、私はそれに抗う意思を放棄しておりました。ナーシェルは諸国連邦でも最強の国。私が不愉快さを我慢できずに、彼に逆らっては将来、民が苦しむ可能性があるとの判断です。しかし、どう言い逃れても、それは庶民と同じく狼狽えただけのこと。戦えなかった私達は庶民と同じだと思います。恐らくはこれからも」
「……サルヴァについては、俺も反省している。すまなかった」
「結構です。私も同罪です。レジス教官も学年の途中から登用されたため、こんなものかなと思っておられたのではないでしょうか。私も感覚が麻痺しておりました」
「あぁ、俺には妹がいないのに戸惑っていた。だから、クラスの中でもサルヴァ達は触れてはいけない可哀想な者なんだと思っていたんだ……」
お前!
それ、早くサルヴァに教えてやれよ!
あのバカは架空の妹の乳で脅していたのかよ!?
「レジス教官の言葉を受けて、私は立ち上がります。拳王メリナさんは既にサルヴァ殿下を変えられました。私達も導いて貰いましょう。いえ、それでは他力本願でございますね。共に歩ませて頂きましょう」
誰かが良いことを言ってるなと思ったのですが、机が邪魔で見えません。サブリナさんかな。あと、サラッと私を拳王と呼びやがったことは心に深く刻みました。誰から聞いたんだ。
「さぁ、私に賛同される方はいらっしゃいませんか? このクラスを、落ちこぼれ集団と呼ばれる一年桃組を、学院で最高のクラスに致しませんか?」
学院で最高のクラス? スッゲー寒い表現ですね。お子ちゃまでちゅかね。
んなもん、卒業すれば最悪も最高も関係ないのですよ。
「はい!」
私は手を即座に上げます。
「ぐぉ! なんだ!?」
レジスの戸惑いは、気合いを入れた私の拳が速すぎて空気が圧縮され、次いでそれが原因となって爆音と共にクラス中を衝撃波が走った為です。
私は椅子から下りて立ちます。それから、紙が舞い散る中、教壇へと歩を進めます。
サブリナと呼ばれた生徒は立ったままでした。昨日、私が殺した人の数を尋ねてきた人ですね。全く印象には有りませんでした。
彼女と目が合います。青い双眸で私を捉えた後、軽く会釈されました。
「弱き愚か者達よ――」
あっ、これじゃ、ガランガドーさんの口癖みたいですね。まぁ、良いかな。
「勘違いしてはいけません。クラスが一番になる必要は御座いません。そんなのは既に実現されています。このメリナ、地上最高のシティガールが在籍しているのですから」
なお、地下最高は聖竜様です。ほんと、早く雄になって欲しいです。
「さて、卒業してしまえば、結局はバラバラなんです。クラスの和なんて何の役にも立ちません。学校はあくまで勉強する場所でして、和気藹々したいのであれば、サロンでも作れば良いので御座います」
私はここでもう一度サブリナを見る。表情は変わらない。
更に、私は続ける。
「クラスなんて集団を言い訳にして、自分の意思を薄めようとしているのは気に食いません。自らだけを高めれば宜しいのです。自分が強くなりたいと言えば良いのです。それとも、何ですか? 諸国連邦の方々は、目立つのが苦手な内気な性格なんですかね。はっきり言いましょう。この諸国連邦は弱い。生き残りたかったら、自分だけでも強くなるしかないのですよ」
「個が弱いから集団で強くなるという選択肢も間違っていると言うのですか?」
サブリナは私に穏やかに訊いてきました。
「断言しましょう。間違っています。戦場では個の力が全てです。本気になれば、私一人でこのナーシェルを陥落できます。一見は百聞にしかず。証拠をお見せしましょう」
私は窓辺に移動する。窓を開けると風がカーテンを揺らしました。
狙いはメリナ山にするか……。いや、あそこは憩いの場。死人が出ます。上に向けて撃ちますか。
ガランガドーさん、聞こえますか?
『……主よ、勿論である。本来、精霊は実体無き者故、距離など影響せぬわ』
良かったです。聞こえなければ、恥を掻くところでした。
魔法詠唱をお願いしますね。とびっきり派手な火炎魔法にしましょう。
『承知した』
私はガランガドーさんに体を委ねます。
勝手に体が動き、手をすっと前に出します。それから、口が動き、言葉を紡ぎます。
『我が御霊は聖竜と共に有り、また、夢幻の瓊筵を守りし英武と成り得た者なり。芽甲の如き羞花は芳馥にして芳景を理る冢君に寿ぐ。暗れ塞がる深淵に潜みし物憐れなる臥竜を、故国も旧里も優河の彼岸に追いやりて、口惜しき輝きとともに果てたる紅雲を絶つ。高磯撃つ自今と鉛金。迥遠なる暘谷を眺める燧。潰えよ、封閉。統べよ、盈虧。恤孤を希う妖姫は琳琅にして、即ち、儼然たる死竜の哮り』
窓の外に出した私の両方の掌が赤く輝き、その光が重なった後に、夥しい火が天を突きます。火ではなく、赤い光なのかもしれません。私の背丈よりも直径のある光の柱が伸びていくのです。
他の窓から見ていたクラメイト達は沈黙していました。レジスさえ静かでした。
これは恐らく王都でルッカさんを燃やし尽くして足首だけにしてしまった禁断の魔法ですね。嫌な事件でした。ルッカさんが復活したので、誤射の件は無かったことになって良かったです。
「このように、どのような軍団であっても魔法による遠距離攻撃で壊滅されます。むしろ、個々でバラバラに戦った方が勝率が上がると思いますよ」
教室は静かなままでした。
その中、サブリナさんだけは私に言います。
「分かりました。武では勝てません。ブラナン王国の手の内を見せて頂き、ありがとうございました。でも、それでも、私は皆で強くなりたいのです。お力を、拳王様のお力添えをお願い致します」
えー、お前、喧嘩売ってんのかな。拳王はダメだろ、拳王は。




