水晶の中へと
アデリーナ様の発言の後、皆がエルバ部長を見ます。勿論、私も疑念を込めて視線を遣っています。
「マジで良いのか? どうなっても知らんぞ」
「はい。レギアンスの秘術で精霊の呼び出しをお願い致します」
「うむぅ……。アデリーナ、お前が邪神を倒すとか言っているのは向こうにも聞こえているんだぞ。余り好ましい事ではないのだがな。水晶球も持ってきていないしな」
あー、水晶球ですか。私、思い出しました。巫女長が私の精霊を見たいと仰られた事が有りまして、エルバ部長に鑑定を依頼されたのです。その時にエルバ部長の魔法で不思議な空間に飛ばされて、ガランガドーさんと初めて会話したんですよね。
なるほど、確かにあそこなら私と邪神は分離できています。初めてのガランガドーさんとの挨拶の後、邪神と思われる別の精霊さんも去り際に現れたんです。なお、見たという証言をした人が巫女長であるのが一抹の不安です。
「エルバさん、大丈夫ですよ。私、持ってきました」
その巫女長がニコニコしながら水晶玉をエルバ部長に手渡しました。
「フローレンス、お前、勝手に他人の部屋に入るなよ……」
「ちゃんとノックしましたよ。もぉ、エルバさんは失敬ですね」
「私はメリナの家に泊まっていたんだ。ノックしても誰も返さないだろ!」
あー、絶対に巫女長は無断で侵入してますね。手癖の悪さは王都で知っています。この人は全く罪悪感を感じずに、ニコニコ笑顔で盗みを働くんですよ。
その巫女長に無駄な抗議を続けるエルバ部長を見ていると、ヤナンカが近付いてきます。
「私の知っているエルバ・レギアンスとは違うねー」
どうも私に言ったようです。
「大昔に会ったような事を言っていましたね」
「そーなんだー。ブラナンの寿命を伸ばすのを手伝って貰ったー」
2000年前の話か……。エルバ部長は、普通に老いることと老人から赤ん坊になる逆成長とを繰り返す体質だと聞いた事があります。先代とかいう発言もあったので、その体質は何某かの方法で伝授されていくのかもしれません。
おそらく2000年前のエルバ・レギアンスはエルバ部長本人ではないでしょう。でも、ヤナンカは同一視していて、もしかしたら、賢いモードのエルバ部長を指しているのかもと思いました。
「情報局長時代に知らなかったのですか? 逆成長しているなんて、とても目立つじゃないですか」
「だねー。あれは偽物って報告を受けてたー。シャールが辺境なのもあるけど、ロクサーナに騙されたなー」
ロクサーナさんはシェラの祖母でシャールを治める伯爵様です。高齢ですが、若い時は女獅子と呼ばれる程に勇猛な人だったそうです。情報局長だったヤナンカとも交流か諍いがあったのかもしれません。
「殺気立った精霊もー、エルバの言うことは聞くんだよー」
「嬉しそうですね」
「だよー。ヤナンカはー後悔してたんだー。邪神が生まれたらどーしよーって」
自分で撒いた種なのに、軽い言い様ですね。焦りだとか反省だとかの色はなくて、どこか他人事です。
でも、目の前にいるのはヤナンカのコピーでして、私の中に邪神を入れた本体とは違うのです。だからなのかもしれません。記憶の移転とかの事情を考えると混乱しそうなので忘れましょう。
エルバ部長はようやく怒りを鎮めたようでして、水晶玉を机の上に置きます。玉ですのでコロコロと転がりました。何をやってるんですか……。
巫女長がひょいと出した足がなければ、床に直撃して割れていたかもしれませんよ。
「アデリーナ先生! 連れてきたぞ!」
サルヴァも戻ってきたようです。言い終えた後は激しく息切れしており、全速力で走ったことが伺えました。
背後にはデンジャラスさんとショーメ先生が見えます。
「アデリーナさん、どうされたのですか?」
デンジャラスさんがアデリーナ様に問います。
「邪神を討ちます。協力ください」
「邪神……? マイア様のご助力は必要ないのですか?」
そうです。ここに居るのは最高戦力ではないのです。マイアさんもそうですが、邪神が強敵だと思われるのなら、ルッカさんやアシュリンさんも同行すべきです。
「マイアは来ません。私が倒れた場合を考慮し、シャールで控えて、彼女は聖竜とともに戦う手筈になっております」
「……了解致しました。このデンジャラス・クリスラ、マイア様の尖兵として全力を尽くします」
ショーメ先生はアデリーナ様ではなくヤナンカに向かっておりました。
「頭領、お久しぶりで御座います。素顔を見るのは初めて……と言って良いのか迷いますね」
「善界よ……。本当に見事な術でした。師である雅客を越えましたね」
ヤナンカの口調は雅客のものになりました。
「死んだはずの頭領からそんな感想を頂けるとは思いませんでした。次は本気で戦ってくださいね」
「ふふふ、雅客も善界も救われたと互いに伝えあったのです。もう戦う必要はないでしょう」
そこで会話は終わりました。ショーメ先生は頭を下げました。チラッと見えたショーメ先生の顔は笑っていて、意味が分からなくて、とても怖かったです。
さて、エルバ部長の準備が整ったようです。彼女に呼ばれて、皆が集まります。
ガランガドーさんはオロ部長の頭上にいました。そこなら巫女長に捕縛されないと考えたからでしょう。完全に苦手意識を持っていますね。そんな彼と目が合います。
『主よ、止めるなら今のうちであるぞ』
どうしましたか?
『……邪神は強い。勝てぬやも知れぬ』
最近、体が鈍っていたんですよ。だから、楽しみにしております。
『ならば……我も全力を尽くそうぞ』
エルバ部長の魔法詠唱が始まります。以前は何かの油みたいな物も用意して、私に振りかけたりしていたはずなのですが、今回は省略されたみたいです。
『我、レギアンスに連なる者にして、連綿と紡がれる糸巻きに索寞と無量を包摂せし者。我は問う。寂寥満つる雪中の渓、久離の離別は霜雪の如く、地原を編まんと欲す腫脹に。百眼の淫蕩を顕現とし、雨氷の痛念を予奪し、瑕瑾は有りても蓋世は為る。騎虎にして久遠の暁闇を開闢せしめ、いよいよ、その生を決歩して終焉を混濁すべし、琥珀の徒爾』
詠唱が終わると同時に、私たちは水晶玉の中に吸い込まれたのでした。




