一つの和解
アデリーナ様がお帰りになって、朝食を取ってから庭へと出ます。
ガランガドーさんが申し訳なさそうに首を下げたまま、こちらを見ていましたので、気にするなと伝えました。今の彼はミニチュア版で、横で眠るバーダと同じくらいの大きさです。見ようによっては番犬みたいですね。
『主よ……我は死竜ではなかったのかもしれぬのだ。アイデンティティーの崩壊である』
知りませんよ。ガランガドーさんが死竜であり続けたければ、死竜で良いじゃないですか。そもそも、ほぼ誰もが、ガランガドーさんが『死を運ぶ者』ってうそぶくのを生暖かく見守っているんですよ。
『……しかし、死竜でないとなると、我は一体何であったのか』
むあー、メンドーなヤツですね。
お前、内戦中に調子にのって何ヵ国かを殲滅したでしょ。あんな所業をしていて死竜じゃないなんて、有り得ないです。
ガランガドーさんは、どこに出しても恥ずかしくない立派な死竜です。いっぱい人を食ってます。極悪竜です。これで良いでしょ? はい、おしまい。
あと、アデリーナ様が邪神をぶっ殺すらしいから、その時に恨みをはらすしかないですね。
『……承知した。その際は我も尽くそうぞ。……優しき心遣いを感謝する、主よ』
えぇ。どこに優しさがあったのかは自分のことながら謎ですが、それで良いのです。
では、ガランガドーさんの悩みが解消したところでお願いがあります。
学院の休みが1日減らされました。元に戻す手立てを考えなさい。
『……えぇ?』
これは至急解決する必要がある最重要事項です。恐らく学長の決定でしょう。彼の屋敷を焼き払い、その愚行がどれだけ悪辣卑劣だったかを思い知らせるのです。お前の死竜としての本能を少しばかり最大限に活かしなさい。
さぁ、校庭にでっかいお前の体が有りましょう。その中に移り、燃やし尽くすのですよ。この主人であるメリナの烈火の如くの怒りを愚かな学長にぶつけるのです。
その後に、私は十分に反省した学長とお話し合いを致したいと考えています。
『主よ、先に話した方が早いと思うのだが……』
お前、死竜だって言っただろ!? 何を躊躇うのですか!? 人間を食い殺してなんぼの職業のくせに!
『死竜は職業ではなか――』
行きなさいっ! それとも、ここで消え去るか!?
あと、バーダも寂しがるのでご一緒にお願いしますね。
私の祈りが通じて、ガランガドーさんは颯爽と飛び立ちました。しかし、体が小さいので威圧感はないです。
さて、と。
今日は久々に蟻さんと遊びましょうかね。種類の違う蟻さんを小さな箱に入れて、最強蟻さんはどれなのか!?勝ち抜き決定戦を開催致しましょう。手に汗握る死闘が見れそうですね。
そうと決まれば準備です。ベセリンの所へガラスの小箱を貰いに行かないといけません。
「化け物、何してんのよ?」
熱戦に全集中していた、うずくまる私の背後から薄汚れた声が掛けられました。今日は歓迎していない方々がよく来ますね。
「見て分からないのなら、巣にお帰りなさい」
私は振り向きもせずに答えます。
相手はフロンです。魔力感知を用いるまでもなく淫乱魔族が私の屋敷を訪れたようです。殺して欲しいのでしょうね。
「……化け物さぁ、私と協力しない?」
「お前の自殺なら手を貸しますよ。灰も残さずこの世から去らせてやりましょう」
「待ちなさいよ。ほら、和解の為に菓子を持ってきたから」
「毒入りとしか思えないんですけど?」
「化け物、ここは合理的判断が要求されているわよ。私が化け物を毒殺できると考えているなら、とっくにしてるから」
それもそうですね。神殿では同じ部署だったから、茶に混入させるのも簡単です。しかし、新しい毒を手に入れたと仮定したら、話は別です。
「あと、私は竜の交尾を知っている。それを教えるわよ」
っ!? それは魅力的です!
「は、はぁ? ルッカさんに訊けば良いんだけど?」
「相変わらずバカね。そうだとしても情報ソースは多い方がいいに決まってんじゃん。四十八手みたいなもんよ」
ここで、ベセリン爺が銀盆に載せて白磁のカップを持って来ました。
「お嬢様、すみません。ご学友と思われましたので取次は致しませんでした」
フロンは見た目は清純そうで、天真爛漫に見える外観です。ふんわりとしたセミロングの髪型とか、健康的な快活ささえ感じさせます。ベセリン爺が騙されるのも仕方ないでしょう。
忠実な私の執事は、庭にある丸テーブルにお茶セットを載せて、また屋敷へと戻っていきました。
「まずは話を聞きましょうか」
「ふん、最初からそう言いなさいよ」
「話を聞いてやるだけですよ。頭を下げるのなら、それなりの態度がいると思いますよ、私は」
私の小言を聞きながら、先に座ったフロンは手にしていた箱を開けます。甘い香りがするので、詫びの品なのでしょう。
「この街の有名な菓子らしいわよ」
フロンが素手でそれを私に出してきました。茶色の一口パンみたいです。パン工房でも見ることのあった、ギザギザした金属の器に生地を入れて焼く種類のパンのようで、上の方は器からはみ出て、こんもりと丸みを帯びております。
カップから外して、私は一呑みします。ふむ、サクサク系の甘いパンですね。
むっ! 中にジャムが! シャールでは貴重な砂糖をふんだんに使うというジャムが入っておりました!
うまいっ! うま過ぎる! 一つでは足りない!
「どう? 満足した?」
「悔しいけど、中々の逸品でした」
「でしょ? 昨日、公爵の次男を落としたんだけど、その時に聞いたのよ」
……お前、他国でも遠慮なしですね……。耳が腐ります。恐らくアバビア公爵邸に泊まっているはずですから、フロンの毒牙に掛かった男はラインカウさんのお兄さんでしょう。なんて事をしてくれたのか。その内にラインカウさんまでヤられてしまいますし、公爵や執事の人さえ貞操の危機です。
しかし、それはそれ。どうでも良いことでした。
「で、何を協力するのですか?」
4つほど食べましてお腹が膨れた私はフロンに尋ねます。
「アディちゃんの件よ。昨日の魔法を見たでしょ?」
巫女長の精神魔法が炸裂した件ですね。いやー、私は巫女長が動いた時点でヤバイと思いましたよ。
「傑作でしたね。アデリーナ様も涙腺を持っていたことに驚きました。しかし、それがどうしましたか?」
フロンは茶に口を持っていきます。あとで、カップを炎で焼いて消毒しないといけません。
「アディちゃんが私を傍に置く理由は分かる?」
「ふーみゃんが可愛いからですね。人の姿になったら、お前みたいになるのが信じられないです」
「それもあるわよ。あるけどさ、マイアがアディちゃんに精神魔法を唱えて、それを私が跳ね返したの、覚えてない?」
ん? ううん? そんなの有ったかなぁ。
「私はね、精神魔法には自信があるのよ。暴走してたから記憶は薄いんだけど、ラナイ村でも皆にかけていたわよね。200年くらい生きてきたけど、私に勝る魔族はいなかったわ。で、精神を操られる怖さも知っているから、防御法も身に付けているの。私がね、アデリーナ様に大切にされていた理由は、その術を応用してアディちゃんをブラナンの意識体の憑依から守っていたからなのよ。ブラナンが消えた後も重宝してくれてた」
あの憑依は精神魔法の類いだった訳ですね。
「それなのに、昨日、私の防御魔法があのキチガイババアの魔法に負けて、アディちゃんが失態を見せたのよ……」
「お前の存在価値が落ちましたね」
「そうよ! だから、私は必死なの! アディちゃんの傍にずっと居たいんだから! 化け物にも頭を下げるから!」
フロンは確かに私にうなじを見せるくらいに頭を下げました。でも、お願いする相手を化け物と呼ぶのはどうかと思います。
「それで、私に何をして欲しいのですか?」
「私を猫に戻して欲しい!」
それは私も望むところです。一刻も早くそうしたいと願っておりましたが、私はルッカさんみたいに噛みついてから魔力をチュルチュルと吸い出すなんてマネは出来ません。あれ、どんな原理なのでしょうか。
「自分で戻れば?」
「無理だから来てんのよ! ルッカにも吸われ慣れしたのか、人間に戻るのが早くなってるし!」
えー、何を逆ギレしてるんでしょうかね。いつもながら、不愉快なヤツです。
「あー、魔力を減らしたら戻る感じでしたよね。ちょっと近付きなさい」
「痛くしないでよ!」
「お前、ラナイ村で私の足を切断しておきながら何を言ってるんですか」
お互いに文句は言い合います。でも、フロンは口では素直でないですが、席を立って私の傍へとやって来ました。
その後、試行錯誤を経て、私はふーみゃんを胸に抱いております。どの魔力を優先的に吸うのかが肝でして、それが一種類じゃなかったのが難しかったです。
この愛らしい黒猫はフロンに違い有りません。しかし、私はふーみゃんは好きです。初めて見た時なんて、メリナザセカンドと名付けようとしたくらいです。
憎々しいフロンなのに不思議な感情です。
もしかしたら、この魅力も精神魔法の一つなのかもしれません。
何にしろ、みゃあみゃあと鳴くふーみゃんの円らな瞳はとてもキレイで、竜の交尾について一切何も教わらなかった点について許せる気持ちになりました。
あと、ふーみゃんになった所で、アデリーナ様は今後もフロンを必要とするのか疑問でした。その際は私がふーみゃんを頂きましょう。
メリナの日報
今日、遠くで火事が起きたみたいで、煙が見えました。怖いです。
私の勘でしかありませんが、学校の休みを削ったヤツが天罰を受けたんじゃないかなと思いました。
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マイアさんの精神魔法の件は竜の巫女の見習い 374話「ポリティカルガールズトーク」参照




