見えない炎の件
☆薬師見習いマリール視点
目覚めたら、いつもは空いているはずのベッドに誰かいた。この部屋は四人部屋で、木製のベッドが人数分設置されているのだが、今は同期のシェラと私しか部屋を使用していない。
一人は同じく同期のメリナだと思う。あいつは、神出鬼没だから。遠くの異国に留学しているはずだけど、何らかの魔法で簡単に戻ってくる凄いヤツ。後世の歴史書にたぶん載る、生きる伝説。あと、憎めないバカ。
もう一人は誰だろう。……金髪か……。
まさか、アデリーナ女王陛下…………。
すっごい苦手だから離れて欲しい人、ナンバーワンの人。出会った当初に、あの方の身分を知らずに喧嘩を売ったことをずっと後悔している。何かの拍子であの件を思い出されたら、私も私の実家も破滅間違いない。
でも、嫌いな人に媚びたくはないし、向こうもすり寄って来る人間はむしろ害意を持って接して来そう。
せめて態度を正しての静観が最良の選択だと思っている。
と言うことで、見なかったことにして二度寝ね。今日はバストアップ体操は無し。シェラ、宜しくお願いするね。
体を乱暴に揺らされて、二度目の目覚め。やはりメリナが戻ってきていた。笑顔になるのを我慢して、私はめんどくさそうに声を掛ける。恥ずかしいから。
「突然戻ってきたくせに、強引ね」
「事情があるんです。マリール、聞いてください」
絶対に碌でもない話。私は分かっている。
だから、困った顔をしても同じよ。ったく、普通にしていたら、この神殿の巫女の中でも一二を争う美貌のくせに滅茶苦茶なのよ。
「は? 何よ? 目に見えない炎の話?」
私の言葉に、ハッとした表情を隠さない。
「そ、そうだったね……。忘れてないよ。うん、 全く忘れてない。昨日まで覚えてたもん。だ、だから、蟻さん殺しの殺虫剤は撒かないで下さい……」
今は忘れていたのね。よく分かる。
「イルゼさん、デンジャラスさんを呼んで来て下さい」
まだ寝ていた金髪にメリナは話し掛けた。アデリーナ陛下ではなかった。でも、イルゼ? 聖女イルゼ……? もしかして本物……?
「承知致しました。しかし、暫し時間を頂きたく存じます」
知らない歳上の女性が髪を手で整えながら起床する。そして、真っ直ぐに別のベッドに向かい、そして、うつ伏せに寝る……?
「うふふ、メリナ様のお匂い、堪能出来ましたぁ。ぐふふ、レイラに自慢しちゃお」
……何? 悪い夢かしら。身体を横にうねうねさせて、全身で残ったメリナの体温を味わっているみたい……。
イルゼと呼ばれた女性はメリナに首を掴まれてベッドから剥ぎ取られた。そして、メリナに叱られながら幻みたいに姿を消す。
「……メリナ、何よ、今の?」
魔法で塵にしたのか……。親友による殺人現場を目撃してしまったのか……。
「聖女イルゼさんです。見えない炎を出す前々聖女を連れてきて貰うように頼みました。転移の腕輪、便利ですよね」
「あっ、そう……」
ヤベーなぁ。メリナといると展開が激し過ぎて頭が付いていかない。一つ分かったのは、聖女イルゼもダメな人種だということ。
「シェラも起こして。それから、メリナが戻った理由を聞かせて貰うわ。見えない炎の件ではないみたいだから」
「勿論。あっ、シェラ、まだ巫女服で寝てるんだね……」
「何の拘りだろうね」
「えー、着替えの度にマリールが揉むからじゃん」
「贅沢品を一人占めするなって戒めよ」
私は平原なのに、シェラはメロンでズルいもん。
「はぁ!? メリナが教師になったから、自分の生徒になってくれ!?」
「ナーシェルは遠いですわね。私、礼拝部のお稽古も有りますし」
「朝とお昼間だけで良いから! あとは神殿に戻って良いから!」
……それ、神殿での仕事に思っきり差し支えるじゃないのよ。
「シェラは無理よ。お昼間に礼拝儀式をしているんだから」
シェラはシャール伯爵の直系。それもあって、儀式でも大切な役割を担っていると聞いたことがある。
「……そうなんですか?」
「んー」
シェラも困るわよね。
「部長と相談してからの返事にさせて貰いますね。親友であるメリナの願いですし、理想の方を紹介して頂いた恩も御座いますしね」
えっ? 何、それ? メリナがシェラの恋を手伝ったの? 私、知らない。ショック。
「ちょっと詳しく話しなさいよ、それ」
聞いて後悔した。シェラにそんな闇の深い趣味があったなんて……。寮の部屋を変えて貰いたくなった。鞭で男性を叩いて云々って……。あー、記憶から消したい。
さて、朝食を取り終えて部屋に戻ると、聖女様も待っていた。極めてガラの悪い人と並んで。
片耳にぎっしりピアス入れてるし、側頭部は剃ってるのに真ん中だけ斧みたいに逆立てた髪型だし、腕の部分に刺青で紋様を描いてるし。
あと、それ以前に、ここ、巫女さん以外は立ち入り禁止なんだけどなぁ。
「マリール、こちらが前々聖女のデンジャラス・クリスラさんです」
メリナの紹介に合わせて、ガラの悪いヤツがペコリと頭を下げてきて、私も軽く頭を下げる。何て名前よ!って、心の中で叫びながら。
「メリナ様、誉めて下さい! 私、デンジャラス様に有無を言わさずに転移してきたんです! デンジャラス様の背後を取ったんですよ!」
聖女イルゼが興奮しながら、自分の手柄を伝えてくれるんだけど、それのどこに誉める要素があるのか。
デンジャラスも含めて判断するに、聖女になるための条件には、きっと頭のネジが五本くらい抜けていることっていう決まりがあるのだろう。あと、聖の意味が、聖女の街デュランでは異なるのだろう。
「それでは、私はアデリーナ様にご挨拶してきます! あっ、転移の腕輪が必要ならお使いくださいね」
聖女様は本当に嬉しそうに部屋を出ていった。替えの利かない宝物であるはずの転移の腕輪を、何の抵抗もなくメリナに託して。
「メリナさん、私は授業前で忙しいですので、早く用件をお願いします」
ガラの悪いヤツは意外に丁寧な言葉遣いで、私はそれに軽く驚いた。メリナは前々聖女って言っていたけど、本当なのかも。
もう、何て言うか、世も末って感じ。
実験室に移動して、デンジャラスに見えない炎を出して貰った。確かに何も見えない。だけど、熱い。メリナが紙を近付けたら、燃え上がった。あと、性質を調べるために色々と試した。
一緒に実験を行っているフランジェスカ先輩と顔を見合わせる。これは行けるかもしれないと期待したのだ。しかし、すぐに先輩は私を窘めてきた。
「でも、マリール。これ、あくまで魔法の炎だから、それに頼るくらいなら魔法で直接分析した方が早くない?」
……先輩のいう通りだ。それは分かっている。
「でも、先輩。魔法を使わずに見えない炎が出せれば、分析精度が高まる実証が出来ます」
「見えない炎ねぇ。探すの大変そうよ。……あら?」
部屋を暗くして、魔物をセットしようとしていたフランジェスカ先輩が何かに気付く。
物を燃やすと炎に色が付くことは知られていて、それは燃焼時に新たな光が発せられるからとも知られていた。私達は、発光だけでなく光が吸収されていることを発見して、それを利用して極微量の元素分析に応用できないかを研究している。
当初、私達は光に敏感な魔物の瞳孔の開き具合で、吸収された光の強さを分析していた。でも、暗闇で瞳孔の大きさを測るのは困難で誤差も大きかった。だから、今は光で成長する魔物を利用している。
これは光を食べて成長する卵形の珍しい魔物で、光の色によるけれども光の強さによって卵全体が大きくなる。最終的には孵化するけれども、私達の実験では弱い光しか与えないから、そうなることはない。卵の成長と光の強度との直線性、成長の迅速性。この実験には適した魔物で、冒険者ギルドに依頼して取ってきて貰っている。
分光器もプリズムから虹色に光る虫系の魔物の甲殻に変更した。これに反射した光を微細なスリットに通せば、プリズムよりも精細に分光が可能であることを見出だしたから。
甲殻を固定した長い棒を回して光の入角を変えれば、欲しい光の色も簡単に切り替えができる。
「孵化しちゃった」
「メリナ! 魔物をぶっ殺して!」
「えっ!? はい!」
瞬時にメリナが対応してくれたけど、危なかった。神殿から街に逃げられたら、難癖を付けられ兼ねなかった。
「助かったわ、メリナ。ありがとう」
「いえいえ。お役に立てて嬉しいです」
「メリナさん、これ、食べる? 美味しいわよ」
「そうなんですか? あり――」
「先輩、メリナ! 後にして」
デンジャラスっていうふざけた名前の女にもう一度炎を出して貰って再実験をする。結果、また孵化して、見えない炎は見えない光を出していることを知った。
甲殻の角度からすると青色の光よりも外側。
「不思議ね。見えない光よ。紫の外だから紫外光って名前にしようか」
えっ? 一番外側は青色じゃん。紫に見えるかな。
「凄い! マリール、凄いよ。いつも発見するね」
メリナが嬉しそうに言ってくれる。私も誉められているみたいで気持ちが良くなる。けれども、私は意地が悪くて素直になれない。
「まだよ。新しい発見も利用できなきゃ意味ない」
「メリナさん、マリールはストイックなのよ。でも、嬉しがってると思うよ」
「はい。知っています。立派な友人です。努力を絶えずしていますし。毎日、お胸が大きくなる実験を繰り返していますし。まだ成功してないけど」
…………死ねよ。
最後、私と先輩はデンジャラスに礼を言う。彼女は見た目と違って、とても優雅な振る舞いで私達に対応する。実験の最中は会話には参加しなかったけど、優しく私達を見守ってくれていた。
あと、怖いもの知らずのフランジェスカ先輩がデンジャラスと握手していた。先輩、何故か嬉しそうだ。
2人が去った後、フランジェスカ先輩と話をする。
「ガラスを入れても煤が付かなかったわね」
「はい。でも、水を入れたフラスコだと水滴が付きました」
「臭いもなかった」
「トライアンドエラーで、色々と燃やして探しましょうか」
「うーん、珍しいヤツじゃないとダメよね。魔法だから特別とかいう理由じゃなければ良いのだけど」
「あっ、私、煤が出なくて燃えるヤツを知っていますよ」
「あー、あれね。こないだの学会でも失敗談で聞いたわ。着火から爆発まで早いらしいから危ないわよ」
金属を酸で溶かした時に出てくる気体。あれを小瓶に集めて火を近付けると爆発する。でも、煤が出なかったと聞いた。炎の色の情報はなくて、透明かどうかは分からないけど、やる価値はあると思うな。
たくさん集めてバーナーから出してやれば分かるはず。
「失敗したら死ぬわよ」
「……大丈夫です メリナの魔法で生き返りますから」
「メリナさん、他国に戻るじゃない」
「あいつ、教師しているらしくて、生徒募集中なんです! 私も薬師長の許可があれば行けます! そこで実験したら良いと思います!」
友達であるメリナの願いも叶えられる良いアイデア。
「あら? そんなの早く言いなさいよ」
ちょうどメリナが戻ってきて、私を再び生徒に勧誘してきた。忘れていたらしい。
私が口を開く前に、フランジェスカ先輩が「お世話になります」と答えた。「薬師長の許可は?」と訊くと「マリールの活躍を見ていたら断るはずがないわよ」と簡単に言われた。
私は材料と道具の準備、フランジェスカ先輩は薬師長に外出の届け出をしに行くことになり、メリナには後で迎えに来て貰うことにした。
水素の燃焼では可視光ではなく紫外光が発せられます。
余談ですが、水素社会が到来すると、トラブル時の水素への引火が目視で分からないという問題が発生すると考えられます。そのため、現在、ニッチながら紫外線を可視化するシステムの研究開発も各所で行われている状況です。




