新人教師メリナ
ショーメ先生に連れていかれたのは、職員室近くの小部屋でした。一番最初に学院へ来た時に案内された応接室とは違い、安っぽい長机が1つ奥に置かれ、離れた手前側に一脚だけ丸椅子が有りました。
あら、いつぞやナーシェルのお城へお邪魔した際に、会議室にてお顔を拝見した学長がその長机の向こうに座られておりました。横には副学長がおられます。
「ショーメ先生、お疲れさまでした。それでは、メリナさん、お掛けして下さい」
神経質そうに眼鏡をくいくいしながら副学長が私に言ってきました。それを受けて、ショーメ先生は退出し、私は粗末な丸椅子に座ります。安楽椅子を椅子の山から探し出して、持って来たら良かったです。
「えーと、メリナ・デル・ノノニル・ラッセン・バロ君? 長い名前だねぇ」
「えぇ、嫌がらせで命名されたのだと思います」
王都解放後、私はアデリーナ様によって貴族にさせられまして、新たな名前を彼女から頂いたのです。もっと短くて良いのに無駄に長くてですね、フルネームを書く際に欄が狭くて困ることが頻発しております。地味な嫌がらせですね。
「まずは志望動機から行こうかな」
うふふ、対策済みです。訊かれると思いましたよ。
「私、メリナは学院生活を送る中で感じました。ここの生徒達に燃えたぎるような情熱が足りないと。学校での経験を人生の礎とする予定の彼らにとって、これは不幸な事です。それを私は微力ながら補えたらと思っております」
「うちの教師陣だと、それが出来ないと?」
「そうではありません。しかし、少しでも私のような快活な淑女になりたいと思う者が増えると、陰気臭くて憎々しい授業も少しはマシになるのではないでしょうか」
「具体性が足りませんなぁ」
「私、1年桃組のサルヴァ皇太子を見事に更正致しました」
サルヴァとお付き合いされている副学長が少し微笑まれましたが、すぐに表情を戻されます。
うふふ、信じられませんが、まだ仲は破綻していないようですね。あのバカの何が良いのでしょうか。
いえ、その疑問は今は関係のないことです。私はそれを知っており、かつ、副学長は私が2人の将来を応援していると思っております。教職希望の願書と同時に渡した、お祝い金貨一袋がここで利いてきますね。素晴らしい。私は策士です。
その後も大した事のない質疑が繰り返されまして、私は無難に答えていきました。
「サンドラ副学長、メリナ君は申し分ない人格者に思えますな」
「はい」
ですね。でも、欲を言えば、思えるでなくて、断定形で言って貰いたかったところです。
「かなり若いですが、採用で良いですかな?」
「メリナさんが持つ規格外の行動力は同世代の生徒達に大きなインパクトになるでしょう」
「では、承認と」
うふふ。遂に教師メリナ誕生です!
テストの恐怖から解放され、私がビシバシと出題する側になったのです。とても嬉しいし、今晩はゆっくりと安心して眠れます。
そうなると、あれですね。
教師らしく尖った縁の眼鏡を買わないといけないですね。そして、クイクイっと上げ下げしながら、「そこぉ! 私語は厳禁だ! 腕立て伏せを100回! それから、背面宙返り5000回! 出きるまで死ぬなっ!」って愛情を込めて叫ぶんです。絶対に楽しいですよ。
あー、その為には副神殿長か副学長に腕利きの眼鏡職人を紹介して貰うのが良いですね。
「次に。メリナ君は用務員にも応募されていたのでしたか」
「そうですね。メリナさんは優れた人物ですから、美化運動にも感心を持たれていたのでしょう」
「しかし、教職と同時にできますかな」
あー、そっちは教師採用試験を落ちたときの保険みたいなものなんですよね。今となっては断りたいです。しかし、言い出しにくい。
「メリナさんは拳王という並外れた称号もお持ちですから、体力も他人より抜きん出ております。私が万全を保証致します」
「ふむぅ、サンドラ副学長がそこまでおっしゃるのであれば、私も反対しません。では承認と」
学長は軽い感じで、また押印します。それから、トントンと何枚かの書類を整えてから私に言い放ちました。
「教職と用務員と生徒。全てを両立させるのは困難かもしれませんが、ブラナン王国の栄誉を背負って諸国連邦に来られたメリナ君なら可能だと私は信じておりますからな」
はぁ!? 生徒ぉ!? 結局、テストの魔の手から逃れられないのですか!?
それじゃ、意味が御座いません!
余計な仕事が増える分、むしろ、マイナスです!!
……いや、冷静に考えるのです、メリナ。
私が出題し、私が答える。とても楽チンなのではないですか……。いいえ、それは違います。教師によって担当教科が違うのは自明。となると、私が生徒である限り、他人の作った問題を解かないといけない現実は変わりません。
「あー、生徒の方は退学で良いですよ」
私の慎ましやかな提案をどうぞお受けください、学長様。
「何も問題を起こしていない生徒の将来の芽を摘むことはできませんな。メリナ君、勉学にも後進の育成にも励もうという君には期待しておりますからな。それでは、私は王宮で仕事ですので先に失礼しますな」
呆然とする私を置いて学長は去ってしまいました。副学長が待遇とかを熱心に説明してくれていますが、耳に入ってきません。策士、策に溺れるの巻です。
まぁ、でも、当初の計画からはずれ始めていますが、修正は可能でしょう。
「それでは、メリナさん、もうしばらくすると新しいクラス分け結果も出ると思います。生徒の皆さんを宜しく頼みましたよ」
「えぇ。大船に乗ったつもりでお任せください! あと、サルヴァとの結婚式、是非呼んでくださいね。あっ、忙しかったら断るかもしれませんが、その時はごめんなさい」
今後のことを考えて、副学長の気持ちを良くする言葉を添えつつ、私は力強く返答しました。
そして、今、私は割り当てられたクラスの教壇に立っています。学年は1年生、クラス名はまだなくて、今から皆で決めます。人数が少なくて広い部屋が少し寂しいですが、その内に馴れるでしょう。
「それでは早速ですが、新任教師のメリナです。今日から宜しくお願い致します」
「メリナ先生、こちらこそ宜しくお願いします」
「うわー、賢くて美しい先生だー。やったー」
「おっす! よろしくっ!」
「うふふ、そことそこ、うるさいですよ。では、出席を取ります」
少し間を置いて、貰った名簿を一人ずつ読み上げます。
「メリナさん」
「はい!」
「メリナさん」
「はーい」
「メリナ君」
「おすっ!」
…………全部、独り言です。
この部屋には私しか居ません。
担任教師は私、生徒も私。生徒役を三人目までしたところで、凄まじい虚しさに襲われました。
物理的にも精神的にもとても寒いです。
バカバカしくて名簿の紙は丸めて窓から放り投げました。




