相応しい世界
エナリース先輩はとても優しい人でした。お下劣な単語は、微笑みと若干だけ頭を傾ける動作で聞き流してくれました。また、アンリファ先輩も空気を読んで、「あはは、私の聞き間違いだよね。ごめんね、変なこと言って本当にごめんね」って自分が悪かったというふうに装ってくれました。
悪いのはショーメ先生なので気にしないで下さい。
今は紙と炭を貰いまして、絵の練習をしています。私は再び聖竜様にチャレンジします。
そして、羽付き子犬が量産されました。解せません。
「初めての絵なのに上手だよ。メリナは本当に才能があるね。明日からも一緒にガンバローか」
アンリファ先輩は元気よくて明るくて私を励ましてくれます。
「そっかー、メリナはイラストが得意なんだね。凄いよ。えへへ、私にも教えて欲しいなぁ。凄いなぁ」
ふわふわヘアーのエナリース先輩は私を誉めてくれました。明らかに自分の方が上手な絵を描くのに、私に媚びてくると表現した方が適しているくらいの態度です。
しかし、今の言葉に裏の意味は御座いません。なぜなら、サブリナの不気味な絵に対しても私と同じ様に誉めそやすからです。
サブリナがただ今製作中なのは、三日月の下で沸き立つ血溜まりです。もがき苦しむ人間や獣も描かれています。地獄探訪記の挿し絵ですかね。
相変わらず精気を吸い取られる感じの絵柄です。そんな絵を彼女らは称賛するのでした。
「サブリナ、ここの色遣いはプロレベルね。私も負けてられないわ。見て、エナリース。構図も心が震えるのが分かるわ」
「ここもだよ、アンリファ。凄いわ、赤から緑へのグラデーションが、まるでリアルな紅葉みたいに私の心を掴まえるの」
それ、葉っぱじゃなくて水面ですけどね。毒々しいです。
「芸術の神様が降臨してきたみたい」
「ええ、アンリファ。今年の一年生は当たり年だね。サブリナとメリナ、若き天才が2人も来てくれるなんて……はっ! 大変だわ! 神様に感謝しなくちゃいけない。それから、私、マールデルグ様にも喜びの手紙を書くわよ」
「リナリナコンビ、凄く良いよね」
何ですか、その呼び名。サブリナさん自体は嫌いじゃないですが、絵の話なら絶対に一緒にされたくないです。魔物駆除殲滅部で一纏めにされた方がマシ、とさえ思います。
「もぉ、いつもいつもアンリファも冴えているわ。リナリナコンビ、普通の人なら出てこないセンスよ。私、あなたと親友で良かったと改めて思ったの」
「そんなことないよー。エナリースだって優しいし可愛いし、でも驕らないし。あなたは、私の、た、い、せ、つな宝物よ。一生、友達で居てね」
「もちろんだよ、アンリファ」
「よろしくね、エナリース」
止めなさい。耳が腐ります。私はこういう好意100パーセントの会話が苦手です。耐性が御座いません。湿疹が出来そうです。
魔族フロンと罵りあっている方が落ち着くかもという血迷った発想も脳裏に浮かびましたが、それはそれでオカシイと頭を振り振りして追い出します。
でも、絵を描くのは意外に楽しいです。聖竜様とは違う物も描いてみました。
「メリナ、こちらの角と牙が生えた生き物は何かな? 眼も血走っているように見えるから悪魔かな?」
「さすが、アンリファ先輩です。ほぼ正解ですよ。私の国のアデリーナ・ブラナン女王です」
「ありがとう、メリナ。拝見したことがないから、出会った時にもこれで挨拶できるわ。角と牙が生えていて、お尻から炎を出している方があなたの国の女王様なのね」
「えぇ、大変に怖いです」
「大丈夫だよ。メリナにはアンリファも私も付いているからね。震えなくて大丈夫。可哀想なメリナ……きっと苛められていたのね」
「エナリース先輩! 私、もっと早く先輩とお会いしたかったです!」
とても良い人です。誤解していましたね。
いつも男の事ばかり考えている頭がお花畑のたわけ者と思っていてごめんなさい。
楽しい一時でした。また明日も訪れたい。そんな気持ちにもなりました。恐れていたサブリナの絵も、先輩2人が全身全霊で誉めるのを聞いていたら、そういうジャンルの最高峰かもとか思い始めているのでした。
あっ、エナリース先輩とアンリファ先輩に我が家にある絵を差し上げようかな。喜んで頂けると確信します。両者両得ですね。
さて、もうそろそろお昼ご飯の時間です。私のお腹が鳴り始めましたから。
アンリファ先輩がお金を出してくれると言うので、とても有り難かったです。今日の私、手ぶらでした。デンジャラス様に気を取られ過ぎて、館に忘れたんですよね。
とは言え、今日話したばかりの余り知らない人からの奢りでしたので、淑女な私は遠慮気味にゴージャスロイヤルスペシャルステーキコースだけにしました。サブリナさんはパンと何かのスープとナッツの組合せでして、大変に慎ましいと思いました。遠慮も過ぎるのは良くないですよ。
美味しくモリモリ頂いたところで、更にお茶までやって来ました。お盆にカップを4つ載せてエナリース先輩が運んでくれたのですが、転げそうになったのをアンリファ先輩が慌てて支えます。
仲良しで微笑ましいです。私に相応しい世界の住民ですね。
思い返せば、聖竜様の神殿に入る前もこんな優雅な雰囲気を想像していたものです。実際には初日から「お前の母親はクソ虫だ」とか言われて、アシュリンさんと殴り合いでしたね。愚かです。アシュリンは。
さて、食後のお茶を頂きましょう。
私がカップに唇を付けたところで、背後に気配を感じました。
「エナリース、もうそろそろ、俺の求愛に対する答えを貰いたいものだな」
男の声です。エナリース先輩は身を小さくしました。代わりにアンリファ先輩が返事をします。
「ラインカウ様、エナリースには婚約者がいますので、良い返答は難し――」
「俺はエナリースと話しているのだ。残念ながら、アンリファ、お前ではない」
私の頭越しに喋るのは止めて頂きたいです。お茶に唾が飛び込みます。
「どうなんだ、エナリース?」
「そ、その……。私、そういうの分からなくて……。でも、マールデルグ様は大切で……いえ、ラインカウ様が大切じゃないって意味じゃなくて……でも……」
泣きそうな顔です。
エナリース先輩は優しいので「殺すぞ、クソ野郎」と言えないのでしょう。ただ、優柔不断さも垣間見えましたね。
フロンが男を落とす時の演技にも一瞬見えましたが、まさかエナリース先輩がそんな事を考えるはずがありません。なので、エナリース先輩は天然の悪女です。
「今晩は俺の誕生パーティーだ。来てくれないか? これが招待状になる。あぁ、気にしないでくれ、マールデルグのヤツも呼んである。この際、はっきりさせておこうと思ってな」
男は高貴な紋様の入った封筒をテーブルに置いて去って行きました。強引な人ですね。
「大丈夫、エナリース?」
「う、うん。ありがとう。でも……困ったなぁ……」
「ラインカウ様、戦争から帰って来られてから変わられたね」
「……うん。私、怖いな……どうしよう……」
言い終えて、エナリース先輩が涙を一筋、溢されました。
これは私の出番ですね。
その誕生パーティーなるイベントで、さっきの男にエナリース先輩を諦めさせば良いのです。
ふふふ、私には容易なことです。お任せください!
人知れず、サブリナと眼を合わせ、2人で頷くのでした。




