自習という名の自由時間
騒ぎが収まるまでレジス教官は待ちました。そして、咳払いをしてから皆に告げます。
「登校してもらったのに、すまんが、今日は自習にする。急に決まった新クラスの編成で全教員が忙しくてな」
……自習。自ら習うと書いて、自習。
しかし、何を習えば良いのか。
わたしの机は山積みになった中の最奥に土台として置きましたので、取り出しがメンドーです。そもそも初日から筆記用具さえも持ってきていませんしね。
私が悩んでいると、隣のサブリナが静かに挙手をします。
「なんだ、サブリナ?」
「自習ということですが、クラブ活動も認められますか?」
「あぁ、良いぞ。どうせ、この教室は使える状態じゃないからな」
サブリナは絵を描きに行くんでしょうね。私は図書室で本を読むか。うーん、久々の読書ですね。楽しみです。
「あと、メリナ。お前、3日ほど休むと言っていたが来たんだな?」
あー、デュランに向かう前、ショーメ先生のお屋敷でそんな話をしましたね。「お前は籍を置いているだけで、何も学んでいない」って誹謗されたのをしっかりと記憶しています。ちゃんと学習しています。教室の位置とか学んでます。
「意外に早く用が終わりまして」
「そうか。何にしろ、ちゃんと学校に来たことは良いことだぞ。ところで、用って何だったんだ?」
「聖女の街デュランに巣食う秘密組織のトップを殺してきました」
「…………そっか……聞くんじゃなかったな……」
「あっ、でも、殴った回数で行くと、横のデンジャラス様の方が多かったです。罪のない新婚夫婦とかも瀕死にしてましたよ。容赦無しです。それが慈悲だとか意味不明な発言してました」
チラリとレジス教官はデンジャラス様を確認します。いえ、レジスだけじゃないですね。クラスの皆がデンジャラス様に視線を遣り、そして、再び逸らします。
「あー、面白い冗談だな、メリナ。皆も今のジョークだから忘れて良いぞ。……デンジャラス先生はどうされますか? 僕は職員室に戻りますが」
「私も戻りましょう。当面の懸念は解消されましたからね」
はい。私のテストへの恐怖を取り除いて頂きました。大変ありがとうございます。
教師2人は戻って行かれまして、クラスメイト達も各々行動を始めました。晴れ晴れとした私も自習という自分を磨くイベントに心がウキウキとします。
「メリナ、美術部に来ない?」
「私、毒薬とか苦手なんです」
「うふふ、そういうのは学校に持ってきたりしませんよ。ほら、メリナの描いた絵、凄くデフォルメが効いていて可愛らしかったでしょ。絵の才能有ると思うよ」
……サブリナの家を訪問した時の絵のことかなぁ。聖竜様を描いたのにお目々がクリクリなったりで、羽の生えた子犬みたいになったんですよね。
あれは才能なのかなぁ。いやー、でも、私は才気溢れる令嬢ですから、パン作り以外にも天賦の才を与えられているのかもしれません。天と聖竜様に愛されている自分が怖い。
「では、お言葉に甘えて少しだけお邪魔するね」
「メリナが気に入って入部してくれたら嬉しいよ」
サブリナさん、私と一緒にいたいのかなぁ。よくよく考えると、彼女も友達がいないのかもしれません。朝も皆より遅いし、誰かに話し掛けられているところも見たことがないですし。
廊下を進みつつ、私はサブリナと会話をします。
「お兄様は元気にしているかしら」
剣王のことです。アデリーナ様の支配下に入ってしまい、今は私のお母さんの案内で森の深部に行っているはずです。哀れです。
常に湧き続ける亡霊や身体を蝕む瘴気で精神を削られていることでしょう。あそこは異世界みたいなもので、人間が足を踏み入れて良いところでは御座いません。お母さんでさえ、最深部への侵入を避けたんですよ。
「死んではないと思いますよ。でも、廃人になっている可能性は有りますね」
「まぁ、お兄様は厳しい修行をしているのですね」
カッヘルさんの部隊も同行しているみたいだから、確かに修行みたいな物かもしれません。
「早く落ち着いて、家を継いで欲しいのですが」
貴族様はお家のことも考えないといけないので大変です。わたしは知っています。偉くなる程、悩みが増えていくんですよね。
私なんて今は公爵らしいのですが、名目だけで実質は庶民みたいなものです。住むところと食べるものがあれば万々歳で、満足した日々が過ごせます。
「メリナ、着きました。美術部の部屋です」
教室と同じ横開きの扉があって、その上の表示は確かに美術部と入っていました。
鍵は掛かっていないみたいで、サブリナに続いて私は中へと入ります。
絵の具の油の匂いが微かにしました。また、教室とは違う大きな作業台みたいな机が四つ程並んでいて、空きスペースには動物の彫刻が数個置かれています。絵も壁に掛かったりしています。
普通です。普通の絵です。薄暗い森の中でグネグネした樹木達が世の中を呪うが如くに枝を先から血を垂らしていたりしません。また、一見は山に見えたのに、その山肌に血塗れの猫が浮き出たりする怪奇現象も御座いません。
代わりに描かれているのは、どこかのお城だったり、小川です。また、色彩もサブリナと違って普通に鮮やかです。なお、サブリナの絵は個々は鮮やかな色ですが、色が多過ぎるのと、何回も重ね描きしているのとで、目が痛いを通り過ぎて不安な気持ちになります。
「私の新作を見せようか?」
「明日で良いですよ」
すんなり返事が出来ました。良かったです。
ここに来るまでに準備しておいて正解でした。
「これなんですけどね。ちょっと待って下さい」
明日で良いっつーてんでしょ! 何なら、来世でも良いくらいです!
あー、気持ち悪いから火炎魔法で灰にして良いですかと正直に言うべきですかね。
しかし、ケイトさんから聞いた事があります。ある種の顔料は焼くことによって猛毒に生まれ変わると。何と罪深き絵なのでしょうか。
サブリナは三脚に掛かった布を外そうとします。もう覚悟するしかないですね。今晩は悪夢を見るでしょう。
「あら、サブリナ。早いのですね」
背後から知らない声が聞こえてきました。柔らかい声です。それのお陰でサブリナの動きが止まり、扉の方を振り向きます。
「あっ、エナリース様。アンリファ様も。おはようございます」
サブリナが深くお辞儀をしました。そして、私も彼女らの顔を見て思い出します。何回か渡り廊下で出会った方々です。確か、婚約者がいるのに言い寄ってくる男がいて、「エナリース、困っちゃう。モテモテで困っちゃう」的な会話していた人達です。反吐が出ます。
「お二人も自習だったんですか? 私の教室は第二校舎ですので、先に着いたみたいですね」
「もうサブリナったら。早く絵の続きを描きたかったんでしょ。その情熱、素敵ですよ」
お前の目も異常なのか。先輩ならちゃんと熱血指導でサブリナさんの美的センスを矯正してあげなさい!
「それで、サブリナ。私とエナリースにも紹介して頂戴。そちらのキュートなお嬢さんを、ね」
長い髪を後ろで簡単に縛ったヘアスタイルのその女性が私にウインクしながら尋ねてきました。すごくむず痒いです。
「あっ、はい。アンリファ様。メリナ、自分で出来るかな?」
仕方御座いませんね。経験豊富な私の自己紹介をここでも披露させて頂きますか。
「サブリナと同じクラスのメリナです。ブラナン王国からの留学生でして、聖竜様を愛する竜の巫女で御座います。聖竜様は大変に凛々しい方でして、とても大きな体と心をお持ちなのです。私は聖竜様が望むままにこの身を捧げ、聖竜様がいずれ世界を完全支配する暁には、わたしは嫁としてその横にいる予定のレディーで御座います」
どうですかね。恋愛話ばかりのエナリース先輩に合わせて、私の恋愛話しも組み込んだ自己紹介ですよ。
「メリナ……さん? あら、どこかで聞いた気がします。アンリファ、あなたは覚えてない?」
もしかして、私が拳王だという流言をうっすらと存じられているのですかね。しかし、それは誤解を解くチャンスだと思います。私は素敵な乙女です。
「……んー、あっ。聖なる乳毛!」
っ!?




