慈愛を感じる
誰も私を立ち上がらせてくれる人がいないまま、私は横たわり続けました。
生徒さん達は私を遠巻きに避けて校門を通り、教師達は普通に彼らへ挨拶をしています。
ショーメはデンジャラスとともにどこかへ去り、レジスもそれに付いて行きました。
私は冷たい地面にうつ伏せなのです。一人くらいは、この異常な状況を、可憐な年頃の娘が気絶っぽく倒れている光景を、おかしいと思うものはいないのでしょうか。
これは、「皆が見えてない振りをしているから、自分もそうしよう」という集団心理になっていると想像できます。
ったく、あなた方は本当に貴族なのかって思いますよ。昔話だったら、森で深い眠りに付いている、見ず知らずの娘にキッスをしてしまうくらいの、考えようによっては犯罪性をも感じるくらいの積極性を見せるのに!
なお、実際に私へキッスを試みる者はこの世から消滅させます。聖竜様の大切な物である私に極めて不敬な行為をしたのですからね。
「うぉ! メリナじゃねーか。なぁ、オリアス」
「うむ。どうした、メリナ嬢?」
紳士はいた。私はオリアスさんの優しい言葉を契機にして、「うう~ん」と言いながら立ち上がります。それから、パンパンと服から砂を払い落としました。
「全身黒い革服で、ハゲ頭なのに頭の中心線になだけ髪を残して鶏冠みたいに固めた髪型の女に、不意に襲われました。確か、その名をデンジャラスと言っておりました。軍に通報をお願いします」
やけに詳しい説明セリフですが、オリアスさんは意外に頭が弱そうなので私の意図に気付かないでしょう。
「聞いたか、トッド!?」
「あぁ。軍はやり過ぎだと思うけどな」
「メリナ嬢、安心しろ。その悪漢は俺達がとっちめてやる」
くくく。デンジャラスよ、お前が教師を目指すのであれば、その評判を地に落とすまでです! 採用試験は応募する前から始まっているのですよ!
「……オリアス、メリナに勝てなかったヤツに俺達が敵うのか?」
「何を言っているんだ、トッド! か弱いメリナ嬢を襲う悪辣なヤツを捕まえなければ、ケーナ王家の名が廃る」
「でもなー、メリナは拳王だろ?」
「ふん、トッド、下らぬ戯言を信じてはならぬな。拳の一撃で死竜を倒したやら、アバビア公爵邸を強襲して全ての戦闘用員を血塗れにしたとか……。有り得ないだろ?」
「まぁ、そーなんだけどな」
なるほど、私に関する噂についても知ることが出来て良かったです。そして、アバビア公爵での出来事を知っている者は限られています。そいつを締めましょう。
私を罵る噂の根本を断ち切り、そして、後悔させるのです。うふふ、私の闇討ちリストにいっぱい人が記載されていきますね。
歩きながらも笑いが止まりませんね。
桃組の教室に入ると、もうクラスメイト達が来ていました。地面に転がっている時間でロスしましたね。私、早めの登校が好きなのに。
でも、まだ始業の鐘は鳴っていないので遅刻ではないですよ。
あっ、忘れていましたが、教室はバーダの為に改修していたのでした。机は山積みにして片隅へ、床には藁を、ちょっと狭く感じたので隣の教室との壁をぶち抜いたのでした。
なので、クラスメイト達は黙って所在無さげに佇んでおります。自由登校期間に順応されていなかったのでしょうか。ダメな人達です。
なお、隣のシードラゴン組だった扉を開けて入って来られる人も何人かいましたが、彼らも教室の変化に付いて来れず沈黙していました。
「メ、メリナさん、おはようございますっ!」
おや、いつぞやの図書室の時もバーダのご飯の調査に協力してくれた女生徒が挨拶をしてくれました。ものッ凄い速さで頭も下げてくれます。
「おはようございます」
もちろん、私は丁寧に返します。友情って大事ですからね。
理解しました。私はこの学校で友達不足なのです。だから、謂われなき誹謗を受けながら地面に横たわるしかなかったのです。
考えてみれば、サブリナさんとサルヴァくらいしか話をまともにした者がいないと言うのは宜しくない状況でした。
しかし、何を話せば良いのか。逡巡している間に彼女はタタタっとお仲間の傍に行ってしまいました。
よくよく見ると三、四人の小集団が出来ているんですよね。仲の良い方同士で集まっているんだと思います。微妙にお仲間に入り辛い雰囲気があって、私は独りで立っております。
「おはよう、メリナ」
サブリナがやって来ました。彼女の助けを借りましょうかね。
「サブリナ、お願いがあります」
「あら、何でしょう? 私に出来ることなら勿論、聞きますよ」
「サブリナ以外にも友達が欲しいです」
「なら、放課後に活動しているクラブに入ったら良いかも。どうですか、私が参加している美術部に来ない?」
美術部……。何だか令嬢っぽいですね。
しかし、サブリナの不気味な絵画の製作過程を見ないといけないというデメリットがあります。
「エナリース先輩っていう優しい人もいるよ」
……ん? 聞いたことあるなぁ、その名前。
何だったかな。破壊衝動が少し湧き出るのですが、覚えていないなぁ。
「ところで、今日はサルヴァ殿下は登校されてないんだね?」
「あー、サルヴァは遠くで修行中ですよ。今日は休みかもしれないですね」
マイアさんの所で師匠の指導の下、正拳突きの練習をしていました。師匠は別に武道の達人でもないので、スッゲー無意味だと思いましたが伝えていないです。
なお、タフトさんはナーシェルで仕事があるとかで戻っておられます。
「そうなのですね。バーダが見当たらないので、またお探しに行かれたのかと思いました」
「あー、バーダちゃんはガランガドーさんと旅行中なんです。でっかい湖の上を飛び続けているとか言ってましたね」
「大きな湖? 海のこと――」
サブリナと楽しく会話をしていたのに、ここでガラリと扉が開かれます。同時に鐘が鳴りました。
「おはよう、皆。久しぶりに顔を合わせる者もいるが、元気そうで何よりだ」
レジスです。今日も学校の一日が始まるのです。
「そうか、机がないんだな……。座りたいヤツは藁を除けて床に座ってくれ。今日は大事な話が二つある」
…………。
私は緊張します。まさか試験日の発表でしょうか。何人かがレジスの言葉を聞いて着座する中、私は恐怖で立ち竦みます。
「まず一個目。新しい先生だ」
レジスが手招きで教室の外から呼んだのは、なんとデンジャラスでした。
驚愕です。私は何日も前から推薦状と履歴書を添えて志望していたというのに、ぽっと出のヤツが先に教師になっているのです!
これは不正です! 犯罪です! 大金が動いたか、ショーメが体を売った疑惑が濃厚です!!
クラスメイト達は一瞬だけデンジャラスに目を遣りましたが、すぐに逸らします。そして、今では、ほぼ全員が床を見詰めています。
ふふふ、私には分かりますよ。
デンジャラスの極悪なファッションを見て怯えているのでしょう。皆さん、良いとこの坊っちゃん、嬢ちゃんですから暴力的なものへの耐性は全ないと思いますし。
「デンジャラス・クリスラです。気軽にデンジャラスとお呼びください。レジス先生からは新しい先生と紹介を受けましたが、正式ではなくてボランティアですので誤解無きようにお願いします」
今しかない!
「あーー! あの人、今朝、私を背後から襲撃してきた危険人物ですよ!! キャー、怖いー!!」
大声で叫んでやりました。皆の第一印象を更に強めてやるのです。私を敵に回した事を後悔なさい、デンジャラス!
教室が静かになり、その後にヒソヒソ話が若干聞こえます。
「……今の話は本当なのですか、メリナ?」
「そうなんですよ。ぶっ飛ばされて口の中を流血したくらいです。サブリナももう少し早く登校していたら、地面に倒れている私をご覧になれましたよ」
「っ!? 最強生物と言われる貴女が!?」
マジかよ……。トンでもない枕詞が私に付与されている様でした。
いえ、早めに知れて良かったと思いましょう。そんな悪辣な噂を流しているのは誰かとお尋ねして、そいつを修正しておかないとなりません。やること、いっぱいです。
「サブリナ、大変に重要な――」
「そこ、うるさいぞ。デンジャラス先生がまだ喋っている」
レジスに叱られました。殺されたいのでしょうか。こう見えて、本日の私は少々気が荒いですよ。手負いの獣だと思ってもらっても良いくらいです。
「レジス先生、大丈夫です。フェリスから状況を聞いて最適解を既に得ております」
くっ、生意気な……。何の最適解なのですか。どうせ私を苦しめる罠についてでしょう。
良いですよ。このメリナ・デル・ノノノノ――何だっけ、とりあえず、この私が受けて立ち、見事にその罠を喰い破って差し上げます。
「メリナさん」
デンジャラスは私に呼び掛けました。しかし、私は無言で睨み付けます。
「もうテストは受けなくて良いです」
「っ!? 本当ですか!?」
「はい」
デンジャラスさんの微笑みが眩しいです! 後光さえ見えます。
「デ、デンジャラス先生? 良いのですか? 学長はともかく副学長が個人への特別待遇なんて許さないと思いますが」
「私が全責任を負います」
「そうですか……? そうであれば僕からは止められませんが……」
おぉ! 私は大きな誤解しておりました!
さすが元聖女です! なんという慈愛、そして、毅然!
思わず、私は前に進み出てデンジャラス先生の両手を握り感謝の言葉を告げます。心の底からです。
「お気になさらず。私はメリナさんを信じていますから」
くぅぅ! 朝の自分をボコボコに殴ってやりたいです! こんな良心の塊みたいなお方を、この世から社会的にも生命的にも抹殺しようとしていたなんて!
私が元のサブリナの横に戻りますと、デンジャラス様も自己紹介の役目を終えたのか、レジス教官が再び喋ります。
「はい。次の重要事項な」
はいはい。私は正座して聞いておりますよ。何であろうと、私はこの桃組、いえ、桃とシードラゴンの合同チームをデンジャラス様の為に盛り立てて行きますからね!
「先の内戦で国から戻ってない生徒が多くてな、人数の関係でクラスを再編することになった。それで、桃組とシードラゴン組は解散だ。教室もこの有り様だから分かるだろう?」
……あんまり重要事項では有りませんでしたね。肩透かしでした。
しかし、クラスメイト達は絶叫さえしながら喜びを爆発させていました。
なので、クラスを盛り上げたいと願う私も空気を冷まさないように、歓喜の声を真似てみました。何が嬉しいのかよく分からないままです。




