新興宗教
私達はでっかい木の丸テーブルをぐるりと囲んで座っております。ここはパン工房の会議室でして、急な客である私達はそこで食事を取るようにハンナさんに案内されました。
テーブルの真ん中には大盛りのパン籠がありまして、そこから各々が希望するだけ食べることが出来ます。
今朝、パンを売る店舗が破壊され、その復旧工事の手配が忙しいということで、店舗の責任者をしているフェリクスを伴ってハンナさんは既に出て行っている状況です。彼らはこのパン屋の接客要員らしくて、確かに2人とも外見も良くて適していると思いました。
モーリッツやシャプラさんは声が小さいし寡黙で何を言っているか分からない時がありますし、ビーチャやデニスは体が大きくて威圧感が強いですからね。
……よくよく考えたら、私、新人いじめの一環でビーチャとデニスに殴られそうになったんですよね。とても酷い事です。私の優れた指導で更正した現実を見るに、私は教師に最適だと思います。
両手にパンを持って交互にかぶり付くミーナちゃんを視界の端に置きつつ、私も負けじとパンを頂きます。工房の皆さんの腕も向上しているみたいで、王都時代よりも美味しいです。レパートリーも増えていて、サクサクパン、モチモチパン、しっとりパンと私のお腹を満たしていきました。
あっ……。モチモチパンの中には挽き肉が入っておりました……。そっかぁ、遂に完成させていましたか……。感慨深いです。
わたしがパン職人を目指す切欠となったパンを目の前にして涙が出そうです。私の的確な指導により、工房の皆さんは高みに至ったのですね。素晴らしいですよ。
熱くなる胸を誤魔化すために、私はお茶をズズッと啜ります。
「メリナお姉ちゃん、音を立てちゃダメって言ったのに、またしてる」
ミーナちゃんは煩いです。
「メリナ様には深い考えがあるのです。何せ、もう神話に登場する人物みたいな奇跡を起こす人なんですからね。指摘するなんて烏滸がましいですよ」
これはパットさんです。工房の守りを依頼したとは言え、何故かこのお疲れ会にも平然と参加している人です。ビックリです。
「えっ、う、うん、ごめんなしゃい……」
ほら、あんまり知らないおっさんに咎められて、幼いミーナちゃんが怯えていますよ。後ろの壁に立てている大剣で真っ二つにされても知りませんからね。
「それで、メリナさん。イルゼの友になれるかもっていう者は誰なのですか?」
デンジャラスが訊いてきました。
うふふ、気になるのですね。では答えて上げましょう。
「名前は忘れたんですよ。でも、気持ち悪さ的な所でイルゼさんと通じる点があるので仲良くなれるんじゃないかなと思っています」
「あっ、アントニーナさんですか!?」
違うぞ、パット。確かに気持ち悪いのは間違いないですが、アレは限度を越えています。しかも中身はアントンですからね。この世から消滅させるべきでしょう。
「良いかもしれませんね。ナイスアイデアですよ、メリナ様。色々と悩むのがバカバカしくなるかと思います」
にっこり笑うショーメに悪意を感じましたが、私は立腹を我慢します。
「聖女決定戦の一回戦でコリーさんと戦った娘さんですよ」
私はよく覚えています。その前日、筆記試験の途中で席を立った彼女がカンニング行為を働いているのを把握し、私は是非ともそれに飛入り参加したい一心で、頭を下げたのを記憶しています。
結局、役に立たなくて転移の腕輪を用いてマイアさんにすがったのです。懐かしいですね。
「パトリキウス、覚えていますか?」
「はい。レイラさんですね。シュマイル家のご息女です。家柄は文句無しです」
「……聖女決定戦で教師を潜ませる不平をしていた娘ですね」
デンジャラスの言葉に、思わず私は背筋がピシッとしました。
知られていたのか……。何たる事でしょう。私まで疑われてしまいますよ。
「確かに彼女は聖女決定戦後、妙にしおらしくなりました。メリナさんが絡んでいたのですか」
「いやぁ、ハハハ……。あの筆記試験の時にマイアさんにお会いしたんですよね。だからかな」
「へ? 私ですか? あぁ、メリナさんが突然現れて土下座した時でしたか。うん、若いお嬢さんと白髪の方がいらっしゃいましたね」
「そ、そうです! レイラさんはマイアさんに感動して生まれ変わったんです。あー、私が彼女のズルを止めたからですね。カンニングの為に離席したと皆から誤解を受けるのを我慢して、私もトイレに行って良かったです! 本当に!」
自分をフォローする私。チラリとデンジャラスを見ます。
「パトリキウス、レイラを呼んで来て貰って良いですか」
「はい!」
ふぅ。私が咎められることがなくて良かったです。
「いえ、私が向かいます。パトリキウス様はここにいらっしゃって下さい」
ショーメ先生が口をナプキンで拭いてから静かに立ち上がり、外へと出て行きました。
「さすがクリスラ様のメイドさんだった人ですよね。行動が迅速ですよ、ハハハ。惚れ惚れします」
あの人隠していましたけど、相当な使い手だし、殺人に躊躇いないですよ。
しばらく待つとショーメ先生が戻って来ます。もちろん、隣にはレイラなる娘がおりました。
「まぁ、メリナ様、お久し――あっ、マイア様……」
驚きの中ですみませんが、用件をさっさと告げさせて頂きます。シャプラさんが後から持ってきた果物盛り合わせが美味しくて、このままではミーナちゃんに全てを食べられてしまいそうだからです。なので、後は私は見ているだけです。
「レイラさん、イルゼさんをご存じですか?」
「はい。メリナ様に聖女の地位を譲られた無知で矮小で可哀想な人です」
イルゼさんに対する敵意がありありですね。
「レイラ、聖女を貶める発言は控えなさい。断罪をせざるを得なくなります」
デンジャラスが少し苦い顔をして嗜めました。でも、レイラさんは平気な顔です。
「構いませんわ。私はマイア様とその天使であるメリナ様に身を捧げたいと思っています」
気持ち悪さに磨きが掛かっていますね。自分の推薦ながらイルゼさんと仲良く出来るんでしょうか。不安しかないです。
レイラさんは続けます。
「クリスラさん、あなたこそ、聖女を貶める格好をしてバカなんですか?」
……おぉ、果敢に攻めましたね。怖いもの知らずの無敵です。ショーメ先生も気分を害されたようでして、先生の魔力が少し震えました。これは殺され兼ねませんよ、レイラさん。
「バカで結構で御座います。自分の道を突き進むのはマイア様の叡知の1つです」
確認の為にマイアさんを見たら、顔を横に振りました。明らかに否定のジェスチャーです。
思えば、間違いなくデンジャラスの進んでいるのは前代未聞のイバラの道でして、でも、自由に生きているのでしょう。しかし、その先に開ける新境地は全く羨ましくないです。
デンジャラスは元聖女ですから、デュランの歴史書にも肖像画くらい載るでしょう。あのハゲ頭に鶏冠の髪型と片耳の縁にびっしり付けられたピアス石。彼女の横に載っているはずの私が普段以上に清楚に見えて、それはそれで良いかもしれません。
「メリナ様、私にご用があると聞きました。如何様にもご命じ下さい。レイラは死ねと言われれば死にます。誰かを殺せと言われれば殺します」
怖いです。この人も怖いです。色んな恐怖が滞在する空間になってますよ、このパン工房!
「メリナさん、すみませんが、レイラではイルゼの友は務まらないかと思います」
そのデンジャラスの言葉にマイアさんが反論します。
「クリスラ、メリナさんの言葉を信じなさい。きっとどうにかなりますよ」
「ですが……」
「デンジャラス様、マイア様の仰る通りで良いかと思いますよ。真面目なメリナ様に全責任を負わせれば、私達は楽できますよ」
……ショーメ、貴様、私にイルゼさんの面倒をサラッと押し付けてきたな。
「その通りです、クリスラ。メリナさんにお任せしましょう」
「……分かりました。マイア様の言葉なれば、この不肖デンジャラス、メリナさんを信じます」
……しまった! 完全に嵌められた感じですね。人選の提案なんてするんじゃなかった。
「うふふ。私、分かりましたよ」
「な、何がでしょうか、レイラさん」
不意に笑顔を見せたレイラさんに私は早く帰りたい気持ちを抑えながら訊きました。
「メリナ様はマイア様より偉いんですね。私、嬉しいですわ」
……いやぁ、これはきっついなぁ。理解不能です。
とりあえず、イルゼさんに会わせて、それから考えましょう。
と言うことで、私はマイアさんにイルゼさんを連れてきて欲しいと頼みました。
転移魔法で私達がマイアさんの家に行くのも考えたのですが、大人数で押し掛けるのも良くありませんからね。シャマル君とはまた別の機会にご挨拶しましょう。
「分かりましたか? メリナ様が仰るのですから、私はイルゼと友になりますわ。決定事項です」
「…………」
表現に困りますが、乗り気なレイラさんに対して聖女イルゼさんは無言でした。困った顔でこちらを見てきます。
「ほら、イルゼ。喜びなさい。マイアさんよりも偉いメリナ様のご命令でこの私、レイラ・シュマイルが友人になってあげるのですよ」
「…………へ?」
イルゼさんの処理能力が追い付かないみたいですね。これは、とても理解できます。
「差し詰め、そうですね。イルゼ、明日からデュランはメリナ様を崇めるメリナ教の本拠地としましょうね。素晴らしい世界の夜明けにドキドキしませんか?」
しない、しない。やめて、やめて。
「……良いんですか?」
イルゼさんはマイアさんとデンジャラスを見ます。2人は若干の迷いが有りましたが、何と頷きやがりました。
「……メリナ様も?」
「ダメに決まっ――」
「うぉおおー!! ボス、神様になるんですか!? 俺もそのメリナ教に入りますよ!」
私の拒否は部屋に入ってきたビーチャの興奮に掻き消されてしまいました。
「ダメです!!」
私の代わりに聖女であるイルゼさんが大声を上げられました。
「まず最初に私がメリナ教の教主になります! 聖女なんてクソ喰らえです!」
……まずい。聖女の継続性に並々ならぬ想いを持っていると感じるデンジャラスが大暴れしかねません。下手したら私が殺されますよ。
「……レイラさん、レイラさん。私は竜の巫女なんですよ。聖竜様を崇める巫女なんですよね。だから、神様になったらおかしいかな? って思うんですけど、どうかな?」
何故に私がこんなにも下手に出ないといけないのか、状況の激変に驚愕します。
「そうなんですか? そうですか……。でも、大丈夫ですわ。シャールの宗教はよく分かりませんが、その分派を立ち上げたことにしましょう。ねぇ、イルゼ?」
「素晴らしいです! そうしましょう! レイラ、貴女とはこの上なく、気が合いますね」
まさかの意気投合……。
しかし、私は負ける訳には行きません。デンジャラスの視線が大変に厳しい感じで私を射抜こうとしているのです。
そして、その横に立つショーメ先生の微笑みがムカつきます。
「あー、イルゼさん、聖女は続けて欲しいなぁ。今は亡きクリスラさんも悲しむんじゃないかなぁ」
「クリスラ様なら、変な格好をしていますが、そこにいますわよ」
いや、ニュアンスの問題ですよ。レイラさん、冷静だなぁ。その冷静さをご自分の発言に活かして欲しい。心から。
「いえ、レイラ。メリナ様のご意向を察しましょう。どうですか、今から2人でマイア正教にどうメリナ様を組み込むか考えませんか?」
「良いですわね!」
2人だけで盛り上がって、ジャンプしながら手をパチンと合わせたりしています。
「では、皆さん、早速ですが、聖宮でレイラと話し合いますので、ここで失礼します」
興奮状態の彼女らは転移の腕輪で去りました。たぶん、聖女のお住まいに行かれたのです。あそこ、建物が崩壊しまくっているんですよね……。それを見て大人しくなってくれたら良いんですが。
私はビーチャが差し入れに持ってきた魚のパンをモグモグしながら、テーブルに向かって頭を抱えました。
メリナの日報
邪教の誕生の瞬間を目にしました。
いえ、崇める対象はとても清純なのですが、とても気持ち悪いです。
デンジャラスさんは終始無言です。私の家にまで来ているのに、すっごく無言で怖いです。
今から寝ますが、これが最後の日記になりませんように聖竜様にお祈りします。




