二つ名
パン屋の店舗は大小の瓦礫となっていましたが、パンを作る工房は離れた敷地にあったそうで、そちらは無事で御座いました。
私達は身を隠す意味も込めて、その建物に入ります。
香ばしく、また懐かしい芳香が漂う厨房を進み、私達は一番奥の部屋へと案内されました。
「この部屋はいつかメリナ様が帰って来られた時のために作っておいたんです。ごゆっくりしてくださいね」
ハンナさんがとても自慢げに仰いました。何でも、彼女が設計段階で出したアイデアなのだそうです。立派な革張りの椅子とか漆黒に艶光りする机なんかも置いてありました。緑の葉を繁らせた植木なんかも広い窓側に飾ってあります。
「ありがとうございます」
私への尊敬の念がこんな立派な部屋を作らせたのです。つまり、私の人徳の為せる業ですね。私でなくアデリーナ様だったら、こうも行きませんよ。
「メリナお姉ちゃん、すっごいんだね」
ミーナちゃんは出されたパンを食べながら、私を誉めます。
「みんなからこんなにいっぱいパンを貰えるの、すっごい!」
ふむふむ。ミーナちゃんの目がキラキラ光っております。私への尊敬の念に溢れているのです。大変に宜しいことです。
「そんな大したことではないのですよ。あっ、そうだ。これも食べてください。魚のパンです」
魚の形をしたパンでは有りません。小麦粉の代わりに魚の擂り身を使ったパンです。作り方は詳しく聞いていませんが、かなりモチモチした弾力を持つ料理でして、とても美味です。
「すっごい! 食べたことのない味だよ!」
ミーナちゃんは目を大きくして喜んでいますね。素晴らしいです。
マイアさんでさえ知らなかったようで「お酒のつまみに良さそうね」とか感想を言いながら、次々と口へと運んでいました。
そこで扉がノックされます。
「メリナ様、皆がご挨拶したいと申しておりますが、宜しいでしょうか?」
「はい。もち――」
「すみません。急ぎ終わらせますので、少しお待ちください」
私の返答を遮ってマイアさんが答えました。
「暗部について情報を得てからにしましょう」
……そうですね。ハンナさんは出来るだけ視界に入れないようにしていましたが、この部屋には縄で括られた暗部の人が転がっています。その状況で和気藹々と昔話に花を咲かせるのは、かなり異様かもしれません。
「ミーナは部屋の外で遊んでいて良いわよ」
「えっ。いいの? じゃあ、パンをもっと食べてくるね!」
大剣を壁に立て掛けたまま、ミーナちゃんはハンナさんと共に部屋の外へと出ていきました。
「さてと――」
マイアさんの切り替えの言葉を合図に、部屋の雰囲気は一変します。
皆で転がる人を注視します。
「毒を入れました。しばらくは動けません」
「フェリス、解毒薬は?」
「御座います。入れますか?」
ショーメ先生とデンジャラスが短いやり取りをしました。長年、一緒に仕事をしていたのでしょうから、余計な会話も無くてスムーズです。
しかし、デンジャラスがショーメ先生に次の命令を出そうとしたのをマイアさんが止めます。
「待ってください。起こす前に私に情報を下さい。まず、フェリス、あなたは暗部の幹部だったのですか?」
「はい。私は第5序列でして、善界のフェリスと呼ばれております。ただ権限は個別案件での委任に留まり、全体の意志決定については頭領のみに許されています」
ショーメ先生の後半の発言部分はさておき、そんな良さげな異名を誰から呼ばれているんだよと、またもや思いました。貴族学院では貴族っぽい女生徒から「はしたない格好」「そういう家の人」呼ばわりだったのを知らないのでしょうか。
「あなたが善とは思えませんね」
「えっ、えぇ? そうですか? 意外です」
ショーメ先生、マイアさんに慣れてきたのか私に対するのと同じようにからかい始めてますね。
「何せメリナさんと仲良くしていますしね」
「なるほど。ごもっともで御座いました」
「マイアさん、ふざけないで下さいね」
まさか、こちらにからかいの矛先が振られるとは思っておりませんでしたよ。
「暗部の者の内、第2序列の蘇芳のビャマラン、第4序列の瘧のルスカに襲われました。そこで倒れている者は第11序列の風待のラックで御座います。暗部は各地に散らばって活動しておりますが、召集が掛かっている者と推察されます。今後も時間を経つ程に攻撃が激しくなると危惧しております」
暗部の人の二つ名はカッコいいです。デンジャラスとは全然違いますよ。
しかし、序列とは何なのでしょうか。純粋な強さを表しているだけなら、ショーメ先生よりも一個上のルスカさんって人の方が強く思えますが、そんな事はありませんでした。私に背骨を砕かれた挙げ句に、馬乗りになったデンジャラスに何回も殴られて、今は師匠が介護している状態です。少なくともショーメ先生より弱いことははっきりしていました。
しかし、マイア様はそこではなく別の所に注目します。
「善界、蘇芳、瘧、風待……。全て植物の名前ですね」
えっ、そうなんですか!? いやー、マイア様は博識ですね。私が感心する中、デンジャラスがマイアさんに頷いて続けます。
「はい。デュランでは初めての洗礼の際に、教会より誕生花を付与されます。姓を持たない庶民の個別管理に都合が良かったためです。暗部では、その花の別名を二つ名に用いております」
「なるほどねぇ。魔力の質だとか、戦い方に由来する訳ではないのですね」
「正確に申しますと、その者の魔力の質を読んで花を名付けます。また、本人もその誕生花を意識して生活しますので、ある程度は関連します」
ここで私は気になる質問をします。
「ショーメ先生の善界って、どんな花なんですか? やっぱりエロチックなヤツですか?」
「……余り言いたくないのですが、翁草です」
ぶふっ。まさかの爺でしたね。ショーメ先生はジジイでしたか。
「似合っていますよ」
「立腹して良いですか?」
「どうぞどうぞ」
うふふ、小さい頃から同じ様にバカにされていたからショーメ先生の性根は曲がってしまったのかもしれませんね。そう考えると、ちょっとだけ哀れです。
「なるほどねぇ、そこのは風待草。だから、梅の種だったんですね」
マイアさんは手にしていた種をテーブルに置きながら言いました。それはイルゼさんの居室にいた時に撃ち込まれたヤツです。
「梅って何ですか?」
「シャールには生えていないですね。春先に咲く花です。その実を削って、果汁とともに調味料にします」
へー、為になりますねぇ。果汁ですから、甘いんだろうなぁ。
蘇芳は染料の元になる草って冒険者家族のお父さんが言っていましたね。
「瘧は竜胆です」
うーん、教えられてもどんな花か想像も付きません。
「デュランでは、その誕生花が表す言葉、つまり花言葉で人物の性格を揶揄する風習が有ります」
あぁ、それがヨゼフとショーメ先生が言い合っていた「何も求めない」とか「裏切り」とかですかね。
「話を戻しまして良いですか? ショーメ先生の翁草ってどんな草ですか?」
「赤紫の花を咲かせます。実はタンポポの様な綿毛を持つのですが遥かに長いです。で、風に吹かれる前はその姿が白髪の老人みたいに見えるから翁草なのですよ」
さすが動く字引きであるマイアさんです。続いて、デンジャラスも答えます。
「花言葉は清純な心、何も求めない、裏切りの恋です」
「どれもショーメ先生に当てはまりませんね」
恋が始まる前から男どもを裏切っていますし。
「そう言って頂けると気が楽になります」
「クリスラさん、ちなみに梅は?」
「約束を守る、高貴、復讐です」
凄いなぁ。元聖女ともなると全部覚えているのかなぁ。逆に言えば、私が聖女のままでいたら、こんな意味のない事を学ばされていたと思うとゾッとしますね。聖女を最短時間で辞めて正解でした。
「ところで、私なら何の花になりますか? やはり淑女らしく薔薇ですかね。あっ、それだと自称白薔薇のアデリーナ様と被るので勘弁して貰いたいですが」
「デンジャラス様、どうでしたか? 確か、聖女になる前に決めたはずですよね」
ショーメ先生がデンジャラスに促します。先生も知っている様子ですね。
「皆と言うか、アントンが主導したのですけどね。メリナさんは薺です。しぶとさが雑草に似ているとか彼は言っていましたよ」
……雑草云々はぶち殺したい言いっぷりですが、アントンにしては、まともな名前の草を言いましたね。そもそも薺が何かを知らないですが。
「嫌な予感がするんですが、花言葉がとんでもなく悲惨なんじゃないですか?」
「あなたに全てを捧げます、です。聖竜様に忠実なメリナさんにぴったしでしょ? 私もアントンの意見に反対しませんでした」
「良いですね! 名付けがあのクソ野郎なのが大変に気に食いませんが私にピッタリです!」
私が暗部なら「薺のメリナ、参上!」ってなるのですかね。なかなか良いではないですか。いやぁ、でも別名で名乗るんでしたよね。マイアさんに尋ねてみましょう。
「虫釣草ですね」
虫釣りのメリナか……。何かやだなぁ。
「ペンペン草とも言いますよ。ペンペンのメリナで行きませんか? 私、暗部に復帰したらメリナさんを暗部に入れるように推挙しておきますから」
……いや、絶対に結構ですからね。
さて、雑談も終えまして、梅の人を起こしました。生意気にも何も喋らなかったのですが、デンジャラスが「私に任せてください」と言うので部屋を出ました。
私はパン工房の方々と友情を深める必要もありますしね。




