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大魔法使いのお言葉

 静粛な部屋だったので、今は殴打音しか響いていません。デンジャラスさんはマイア様のお住まいに来たというのに一方的な攻撃を止める気配はなく、少し怖いです。無表情で打ち続けるその姿には、一片も元聖女の面影は残っていませんでした。


「あっ、お嬢ちゃん、久方ぶりだね」


「師匠、久方ぶりぶりです」


 訪問するといつも門番のように最初に寄ってくるのは、この喋るゴブリンです。可哀想に名前がないのですが、私は師匠と呼んでいます。何も教わっていないのに、何故に師匠と私が尊んでいるのか理由は忘れました。彼はそんな大した者ではないと思います。


「ぶりぶり?」


「地上で流行っている言葉ですよ。アデリーナ様が来たら是非これで挨拶ください。仲良くなれますよ」


「分かったよ。ありがとう。あの人、僕を見ないんだよね。これで仲良くなれたらいいな」


 心底、師匠は嬉しそうです。私も良いことをした気分になりましたが、胸が痛むのは何故でしょうか。



「人語を喋るゴブリンですか!?」


「タフトよ、それよりも驚くべきは、我が師匠である巫女の更に師匠なのだぞ。どれだけの強さを秘めているのか分からぬ。礼を尽くしたい」


 サルヴァは率先して師匠の足下に(かしず)きました。タフトさんも遅れて片膝を付きます。


「うん? どうしたんだい。大丈夫だよ。僕は男の人には悪戯しないんだ。そんな風に嫁さんに作られた存在だからね」


 師匠のセクハラトークです。最悪です。


「是非、俺にも師匠と呼ばせてほしい。巫女のように俺は強くなりたいのだ!」


「突然に何だって言うんだい? 巫女ってもしかして、お嬢ちゃんのこと? ダメだよ。この人は特殊なんだから。特別におかしな人だから目指しちゃいけないよ。僕が言うのもおかしいけど、倣ったら人の道から外れるよ。文字通り外道だよ」


 師匠、良い度胸ですね。一発、腹に良いヤツをぶちかましてあげましょうか。



「イルゼ様、ここがマイア様のお住まいです。私はここで叡知を授かったので御座いますよ」


 ヨゼフが振り返り、しっかりとイルゼさんを見ながら喋りました。


「……そうですね……。メリナ様は私よりも先にヨゼフをこの聖地に連れてきた訳ですか…………死にたいです」


 先程までは笑顔だったのに、イルゼさんはマイアさんに会う前のヨゼフと同じ感じで気分の上下が激しくなっています。精神的な病の可能性が有りますね。



「ところで、お嬢ちゃん。そこで執拗に人を殴り付けているのはお友達かな? 僕、とても怖いんだけど。流血ってレベルの騒ぎじゃなくなってると思うんだ」


 師匠が指したのは、もちろんデンジャラスです。両拳を用いて何回も降り下ろしています。


「師匠のお知り合いですよ。ほら、私が師匠と出会った日を覚えていませんか?」


「覚えているよ。まだ妻が姿を持っていない時だったね。椅子に手足を縛られているのに、君はその縄を引き千切って僕に襲いかかったんだ。殺されるんだと思ったよ」


実際に殺す間際まで行ったのですが、師匠を父と呼ぶ子供、シャマル君の登場で私は殺意を収めたのです。


「懐かしいですね。ほのぼのします」


「逃げても逃げても追い付くお嬢ちゃんに僕は心の底から恐怖を感じていたよ。悲鳴を上げる余裕もなかったんだから。で、それがそこの人と関係があるのかい?」


「あの時の聖女様があの人ですよ」


「えぇ!? 変わりすぎてないかい!? 静かな人だったのに、人ってこんな短時間で変わるのものなのかな。僕は怖いよ」


 デンジャラスはまだ殴り続けています。あれだけフルスイングしているのに、頭の鶏冠がぶれないのは、流石の体幹だと思いました。



「で、こちらの絶望の底にいる様な顔をしているのが今の聖女様です」


「えぇ!? こんなので迷える人を救えるのかい!?」


 師匠は反応が面白いです。緑色の顔の色んな筋肉を使って驚いてくれます。


「でも、この人、前も見たなぁ。あー、あの金髪の怖い女の人、アデリーナさんと来たんだよ。嫁さんの古い友達を連れてきたんだよね」


 ん? 古い友達はヤナンカさんかな。

 あっ。そう言えば剣王と戦う直前にそんなことをアデリーナ様が言っていましたね。ヤナンカをここに連れていくために転移の腕輪をイルゼさんから借りて転移したって。

 あー、イルゼさんはそれでマイアさんとお会いして聖女の価値について悩んでいたのを思い出します。

 なんだー。今回、私が転移の腕輪を使う必要は無かったのか。



「メリナ様、そろそろ良いですか?」


 ショーメ先生が私達、師弟の会話に口を挟んできました。


「あっ、そうですね。師匠、マイアさんは居ますか?」


「うん、いつもの大部屋に居るよ。今日はミーナちゃんとシャマルが剣の稽古の日だから、その相手をしているんた」


 なのに、こちらの前室で独り留守番をしている師匠が哀れです。



「デンジャラスさん、行きますよ。下にしている人、そろそろ死にそうですし」


 私の声に反応して、デンジャラスさんは最後に一発力強いパンチを入れてから立ち上がりました。


「了解です、メリナさん。こちらも性根を叩き直してやったところです」


 叩き直すではなく、叩き潰すって感じですけどね。



「またもやマイア様とお会いできるとは、このヨゼフ、光栄で御座います」


「君は真面(まとも)そうだね。安心するよ」


 師匠がヨゼフに嬉しそうに寄っていきました。


「マイア様はどうしてこんな小汚ない生き物を従者に選んでいるのでしょう。いえ、それも叡知の高みに至れば分かるのでしょうが」


 師匠はマイアさんが作り出した存在です。誰も居ない空間に独りぼっちでは、マイアさんも寂しかったのでしょう。彼女は人間の子供であるシャマル君を魔力から作り、その後にゴブリンの師匠を誕生させています。しかも、精神魔法を使って、後から生まれた師匠をシャマル君の父とする荒業を行っています。

 シャマル君より若いことに気付いた師匠の顔、面白かったです。


「従者ではないよ。僕は彼女の夫なんだ。自慢の嫁だよ」


「戯言を」


 ヨゼフは侮蔑の笑いをしましたが、それも真実です。

 ヨゼフは前回も師匠と出会っているのに忘れているのでしょうか。師匠の悪質なゴブリックジョークにお漏らしするのではと心配するくらいに怯えていたのに尊大な態度ですね。



「……メリナ殿、デュランで信仰されているマイア様はゴブリンなのですか?」


 タフトさんが聞いてきました。


「いえ、人間ですよ。あと、その質問、デンジャラスに聞かれたら撲殺され兼ねないので注意してください」



 扉の前まで来たときに師匠に呼び止められました。


「お嬢ちゃん達、この倒れている人はどうしたら良いんだい? ピクリとも動かないから僕は動揺激しいよ」


「看病をお願いします」


「こんなにまで痛め付けた上で、何てお願いなんだろう。お嬢ちゃんは相変わらずだね」


「違いますよ、師匠。お願いでなくて命令です」


 上下関係ははっきりさせておかないと師匠は図に乗るタイプですからね。ほんと、人間よりも野獣に近い種族には困ったものです。


「えー、何回もびっくりするよ、僕は。命令って、仮にも師匠と呼ぶ者におかしくはないかい?」


 つまらない事に拘る小さな存在ですね。私はペコリと頭を下げてから、無言で背中を見せました。

 師匠はまだ何か言っていましたが、無視です。進むのです。



 私の背丈よりも高い大扉に両手を掛けて押そうとした時に、今度はヨゼフが喋ります。


「クリスラ様、貴女が倒した彼は(えやき)でしたな。『悲しんでいるあなたが好き』とはどう解釈しましょう?」


 またです。何だと言うのでしょう。

 お前達の宗教に興味が全くない私には耳障りでしか有りません。


「私なら『あなたの悲しみに寄り添う』だと解釈致します」


 キリリとデンジャラスは答えました。血塗れの両拳のままで。


「相変わらず、クリスラ様は勝ち気ですな」


「……枢機卿、この先はマイア様の御前です。口を慎みなさい」


 私はデンジャラスの格好の方がマイア様に失礼だと思いました。



 扉を開けます。


 マイアさんとヤナンカの後ろ姿がまず見えました。特にヤナンカは長い白髪ですので、目立ちますね。すぐに誰だか分かります。


 それから、奥に数人いました。ミーナちゃんとシャマル君だろうなと思います。あとは、誰だろう。



 部屋に入るなり、デンジャラス、イルゼさん、ヨゼフは片膝を折って頭を垂れます。一言も喋らず、その姿で身動きしません。

 マイアさんを崇拝する彼女らにとっては神様ですからね。その気持ちは分からないでもないです。

 そして、ショーメ先生が皆から遅れて同じ体勢になったのは、先生の信心の無さを現していますね。



「すみません、メリナです。お邪魔しています」


「あー、来たんだー。こんにちはー」


 ヤナンカが笑顔で振り向いてくれました。それから、マイアさんもこちらを見ます。


「丁度良かったです。ミーナの実戦訓練をしていたのですよ。メリナさんがお相手してください」


 ん?


「その前に、このヨゼフさんに聖女を慕い従う様に説得してもらえませんか?」


「ヨゼフ? 誰でしたか。まぁ、良いです。皆、仲良くですよ。喧嘩はよく有りません。それじゃ、メリナさん、宜しくお願いします」


 かるっ。今ので、マイアさんの有り難いお言葉は終わりでしょうか。



 私は後ろで傅く4人を見ました。無言です。デンジャラスの鶏冠が真っ直ぐにマイアさんに向いています。頭を剃っている部分がテカっていて、大変に愉快です。


 タフトさんとサルヴァが私の開けた扉を閉めていまして、その軋む音だけが小さく聞こえます。だから、私の吹き笑いも響いてしまいました。

(師匠との出会いは『竜の巫女の見習い』235話参照)

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