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聖女の悩み

 ご飯を食べ終えるとイルゼさんがやって来ました。若夫婦と冒険者一家の方は我が家で一泊されたのですが、彼らはひどく緊張されます。


「……俺、昨日から夢を見ている気分だぜ」


「あぁ……。前聖女のお屋敷に泊まってご馳走になって、現聖女が迎えに来るなんてな」


「俺ら、実は死んで極楽にいるんじゃねーか」


 頭の弱い三兄弟が未だ動揺を隠せずに会話をしているのが聞こえます。親御さんの落ち着きはやはりベテラン冒険者としての経験が豊富で胆力が素晴らしいですね。若夫婦の方は聖女に対して敬虔で状況の全てを素直に受け入れているからなのかもしれません。



「……まだクリスラ様はお越しになられていませんか?」


 神妙な顔でイルゼさんが私に聞いてきました。着席を促しながら、私は「まだですね」と答えました。

 三兄弟は近くに座った聖女に畏れを感じたのか、音を立てながら椅子を引き摺って、少しばかり距離を開けました。


「そうですか……。デンジャラス・クリスラ、おかしいと思いませんか?」


 触りにくい所なのに、真っ直ぐにイルゼさんは突っ込んできました。


「えぇ。 まさか、クリスラさんがあの様なファショッンセンスをお持ちだとは知りませんでした」


「……楽しんでおられるのかな……」


「次は唇にピアスか、腕に入れ墨かを悩んでおられましたよ。あっ、嫌々でなくて、前向きにどちらにするか悩んでおられるのですよ」


 私の言葉に会話を盗み聞きしていた三兄弟が驚愕の表情となりました。



「ヤベー! デンジャラスは本物の元聖女らしいぞ!」


「な、何があったんた!? 」



 盛大に驚かれまして、この食堂に彼らの声が響きます。


「すみません。本件は貴殿方の心内でお留め頂きたく存じます。聖女イルゼの(ささ)やかな願いです。どうかお願い致します」


「お、おぅ……何だか分からねーけど、俺たちゃ、聖女様には逆らわねーぜ」


「感謝致します。貴殿方にマイア様の叡知とリンシャル様の冥護の恵みあれ」


 冥護って何でしょうね。イルゼさんは博識です。



「クリスラ様は私のために自分を貶めておられるのです。私、それがどうしても許せなくて。あんな真似をクリスラ様にさせる自分が情けなくて、憎くて、悲しいんです」


 ん? どうしたのでしょう。まだ朝っぱらですよ。そういう湿っぽいものは夕方に独りで(おこな)って頂きたいものです。


「偉大な聖女であったクリスラ様は自身がそのままデュランにいると、新しく聖女に就任した私へ向かうべき、民からの畏敬の念が薄れると判断されたのだと思います。だから、あんな奇行を……」


「そんな事ないですよ。ほら、たった今、そこの冒険者の方はイルゼさんに畏れを抱いていましたし」


「おぅ、そうだぜ」


「いいえ。私がメリナ様程に立派な人間であれば、クリスラ様はクリスラ様のままでデュランで静かな生活を送れたのです。うぅ、私が未熟なばかりにクリスラ様の人生まで狂わせてしまいました……」


 今日は弱々しい日だったのかな、イルゼさん。大変に鬱陶しいです。

 そんなもん、本人に直接言ってやれば良いんですよ。「私じゃ、聖女に不満ですか? 不満があるなら私を殴り倒して、聖女に戻りますか? デンジャラス、お前程度に出来るのならね」って啖呵を切るくらいで丁度良いと思いますけどね。アデリーナ様ならしますよ。


「聖女さんよぉ、なんだ、そー難しーことぁ考えなくていーんじゃねーか」


 こちらの様子をチラチラと見ていた冒険者一家の親父が体格通りの野太い声で言います。


「ほら、そこの若造達は聖女様が居るから毎日安心して暮らしてるんだわ。デュランの大概のヤツがおんなじだ。クリスラ様かメリナ様かイルゼ様か知らねーけど、誰かつーのはカンケーねー。冒険者は冒険者つー肩書きがなきゃ只のその日暮らしのバカだけどな、聖女ってーのも聖女じゃなきゃ、只の高飛車な女に過ぎねーんだよ。ならさ、俺たちの聖女様っつーのは、この世で一人になるわな。それがあんただぜ。胸張りな」


「……親父、すげー良いこと言ったな」


「酒が残ってんじゃねーか……」


 彼は確かに良いことを言いました。使う機会があれば、私も言いたいです。しっかり覚えておきましょう。


 イルゼさんは虚を突かれた様子でしたが、すぐに頭を深く下げて感謝の意表します。


「おう。聖女さんよ、もういいぜ。顔を上げてくれ」


 イルゼさんは従いません。長い髪が垂れて、横顔も伺えません。

 私、分かりますよ。必死に涙を堪えておられるのでしょう。


 全く……どうしようもありませんね。食後の満足な余韻を楽しみたいのですよ、私は。



「イルゼさん、いえ、聖女イルゼよ。立ちなさい。このメリナが貴女のためを思って、誘います。一緒に蟻の観察をしましょう。とっても楽し――」


 ここで、開けたままの食堂の扉からベセリンが誰かを案内して向かっているのが見えました。


「メリナ様、ショーメ様がいらっしゃいました」


 むっ。魔力的にはデンジャラスもいますね。意気消沈中のイルゼさんをお見せするのは避けたいところでしたが、致し方御座いません。


「聞こえましたよ、メリナ様。特異なご趣味を他人に強要してはいけないって学校でお教えする必要があるかと思いました」


「特異って失礼ですね。先生はいつも慇懃無礼です。むしろ、蟻の観察だけで一年中授業して欲しいくらいなんですけど」


「メリナ様が言うと冗談に聞こえませんのでお止めください」


 ショーメ先生が先に部屋へ入り、その後にデンジャラスさんが続きます。デンジャラスさんをいつも立てるショーメ先生にしては珍しい順番でした。デンジャラスさんが順を譲ったのか。



 デンジャラスさんは私に軽く挨拶をしてから、黙ったままのイルゼさんを一瞥します。彼女らの間には会話は有りませんでした。


 そのままショーメ先生が場を仕切ります。



「昨日、皆さんが不思議な行動をされたのは暗部の仕業だと推測しています」


 若夫婦や冒険者一家が食料を探していると認識しながらフラフラと徘徊していた事をショーメ様は指しています。


「教会の裏組織として暗部というものが構成されておりまして、そこは表立っては出来ない作戦を実施しております」


 暗部はデュランの秘密組織です。ショーメ先生も所属していました。限られた人しか存在を知れないのですが、一般の方々に公にして良かったのでしょうか。


「皆様は第二序列、蘇芳(すおう)のビャマランによって偵察の目的に操られていたのでしょう」


「先生! どうしてそんな事が分かったのですか? 昨日の段階で教えてください」


 私は挙手をして訊きます。


「分かっていました」


「はぁ!? なら、そいつをぶっ殺しましょうよ! 悪霊の親玉なんですよね! 敵前逃亡ですか!?」


「ビャマランは周到です。あの場で私が発言しては、今日の奇襲が失敗する確率が上がりました」


「クリスラさんも分かっていたのですか!?」


「今はデンジャラスです」


 ん、状況が危険って訳でなくて、呼び名のことですね。ややこしい。


「皆さんにお聞きしますと、ここ何週間の内、何日間は昨日と同じように食べ物探しをされたとのことです。自分の意思であるかのようにです。他にも同じように術を掛けられた方がいると想像できますよね、メリナさん」


 むむむ、相変わらず口が達者です。まぁ、警戒が必要だということですね。


「作戦を説明する前に質問は?」


「蘇芳って何ですか?」


「血色の染料の事です」


 うわ、暗部らしい名前です。怖いですねぇ。血色って何色なんでしょう。鮮血なのか、空気に触れて黒くなったヤツなのか曖昧です。


「その染料の元となる草の名前でもあるぜ」


 親父さん、詳しいですね。これがベテラン冒険者の実力ですか。クソ弱い魔力のクセに知識はあるとは、さては賢者タイプですかね。私より賢そうなのは生意気ですよ。



「もしかして、先生の善界にも意味があったりします?」


「さあ 、どうでしょうね。さて、今日の予定ですが、クリスラ様が合流されたので直接にヨゼフの所へと転移して、殴り倒します」


 おぉ、素早い展開です。


「それで宜しいですか、イルゼ様」


「……それがクリスラ様のご意志なら大丈夫です」


 主体性ゼロ。まだまだダメですね、イルゼさん。足手まといにしかならない予感です。


「イルゼ、聖女クリスラは生まれ変わり冒険者デンジャラスとなったのです。貴女の思うままに命じなさい」


 しかし、イルゼさんは黙ったままです。皆の視線が向かいます。



「確かなる導きを与える聖女様、明日のパンを我らに」


「デュランの栄えある未来と聖女に祝福を」


 イルゼさんの気持ちに関係なく、若夫婦が祈ります。デュランの宗教の一節かもしれません。それがイルゼさんの顔を上げさせました。

 信者の気持ちには応えたいという意思かもしれません。若夫婦も何とかイルゼさんに元気を出してもらいたかったのでしょうね。



「イルゼ、何か仰りたい様子ですね」


 デンジャラスが話し掛けます。鶏冠な髪型がいつ見ても、私に微笑みを与えます。


「いえ、何も御座いません」


「言いなさい。ヨゼフの動き次第では貴女が最後の聖女となるかもしれません。それを民が喜ぶとでも思っているのですか?」


 デンジャラスさんとイルゼさんは数回、「言いなさい」「大丈夫です」の不毛なやり取りを繰り返します。


 我が家でそれをされるの、すごく迷惑なんですが……。蟻の観察した方が良かったじゃないですか。


「言えって言ってるでしょ!」


 デンジャラスさんが鉄器を装備した拳で食卓を叩きました。最悪です。それ、私の家の物ですよ。


「っ!? ……言いたい事ですか……。ふぅ、有りますよ。いっぱい。…………クリスラ様! 何故に私から離れたのですか!? 未熟だからですか! フェリス、貴女もです! 私の傍には誰もいないのです! 誰も! そんな状態で、どうにか街を纏めるなんて不可能でした!」


「イルゼ、貴女の家や友人が居たでしょう」


「あいつら、全員クズでした! 家名や打算でしか物事を考えられないんです! 私も同じ考えで利用していたので友人でもないです!」


 イルゼさんの友人――いや知人か――何人かは知っていますね。一人は私に腹を殴られて瀕死になっていましたっけ。確かに正真正銘のクズでしたね。



「ならば、今から友を見つけなさい。貴女なら可能です」


「あー、私、イルゼさんの友人ですよ」


 即座に場を鎮めて、サッサッとボーボーの人を倒すために、私はそう言いました。


「メリナ様、あー、やっぱり、私にはメリナ様しかおりません!」


 あー、キモい。でも我慢です。


「一緒にデュランで暮らしましょう。アデリーナ様も余り来ませんよ」


 とても良い提案ですが、残念ながらデュランに聖竜様はいらっしゃいませんので却下です。


「イルゼ! 一人くらいはまともな親友か知人がいるでしょ!」


「居ないんです! 私、昔から友達いないんです!」


 おぉ、悲しい現実ですね。



「皆様、白熱しているところですが、私、フェリス・ショーメは左遷されて、ナーシェルに来ました。なので、私がイルゼ様の隣にいればウィン―ウィンですよね。良い友として頑張ります」


「クリスラ様は薄情で無責任です! 私の後見をしてくれないなんて思っていませんでした!」


 ショーメ先生のお言葉は無視されたようです。


「……宜しい。信者の方の手前も有ります。そこまでイルゼが申すのであれば、このデンジャラス・クリスラを傍に置きなさい。貴女が要らないというまで、私が仕えましょう」


 そういうと、デンジャラスさんは両手で頭の鶏冠を整えました。オシャレの一環でしょうか。

 キラリと耳たぶが光りました。


「あれ? 耳のピアス、そんなんでしたっけ?」


「あっ、メリナさん、気付きました? 昨日、買ったんですよ」


 デンジャラスさんの片耳だけなのですが、耳の外周に幾つもの石が列なっていました。

 外見が余計にやばく進化していきますね。


「唇と臍は痛そうでしたので」


「いや、それだけ開けたら耳も痛そうですよ」



 その後、タフトさんとサルヴァもやってきまして、一般民の方は屋敷のまま、私達はイルゼさんの転移でヨゼフの下へと移動したのでした。

 サルヴァ、今日は学校をお休みするみたいですね。ずる休みです。良くないことですよ。

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