元聖女
アバビア公爵さんの屋敷の地下室、一度お邪魔と言うか強襲したことが有りますが、その更に奥には秘密の部屋が御座いまして、小さな魔法陣が作製されていました。
王都で情報局に侵入したときもアシュリンさんと使用しましたが、転移魔法陣ってヤツでした。
ショーメ先生が先に乗ってすぐに姿を消しまして、私も勇気を振り絞って続いたのです。
視野が瞬時で変わると廃屋に居まして、幸い敵はいませんでした。先に行ったショーメ先生が露払いをした訳でも御座いません。無人でした。
皆が揃ったところで外に出て、また彼女の先導で道なき道を進みました。
踏み均した小道はあるのに、態々、鬱蒼と草が繁る中を突っ切るのが辛かったです。ショーメ先生は慣れた感じでして、枯れた枝を手に蜘蛛の巣とかを払ってくれましたが、全部は取りきれなくて、私の顔に当たるのです。
そして、ただいまは森の中で休憩中です。
「ここがデュラン侯爵領なんですか?」
「はい。メリナ様。デュラン北方の森です」
私達は思い思いに座っているのにメイド姿のショーメ先生だけは立ったままです。あと、私の敬称が「さん」から「様」に変わりました。学院関係者のサルヴァがここに居ると言うのに、もう正体を隠す気はないと言うことでしょうか。
「さっきの転移魔法陣はデュランと解放戦線の連絡用ですね?」
タフトさんがショーメ先生に確認します。
「はい。私もあれを使用して、ナーシェルに入りましたので」
「クリスラさんは――」
「デンジャラスです」
あっ、すみません。でも、そこで区切られるとクリスラさんが危ないって感じになって面白いですね。
「デンジャラスさんは歩いて来たんですか?」
「はい。私は真っ直ぐではなく各地を放浪しながら、ナーシェルへと来ました。私は冒険者ですからね」
「巫女よ。我らはどこに行って、何をしようとしているのだ? 教師のショーメ、兄者の従騎士タフト、巫女であり愛の伝道師でもあるメリナ、奇っ怪な女デンジャラス。まるで分からぬ」
付いてきてはいますが、何も事情を伝えていないサルヴァが尋ねます。
「デュランを奪い返す戦いです。また、諸国連邦のより良い未来を掴む戦いでもあります」
ショーメ先生が答えました。
「奪い返す、ですか?」
タフトさんが冷静な声で反復してきました。ショーメ先生の言葉からはデュランとの諍い、若しくは戦争が予想されるのですが、その点に関しては驚きはなく、ここまで来る道中で既に予期していたのかもしれません。
「そうです。デュランはマイア様、次いで、その聖獣リンシャル様、そして、それらの代理である聖女様を信仰する街です」
「それはそうですが、今は誰かに奪われているのですか?」
真っ当な質問です。私もまさかボーボーの人が聖女を押し退ける程の名声や権勢を得るとは思ってもいませんでした。
聖女決定戦でも明らかな不正――いや、違いますね、ルール上ちょっと黒っぽいグレーな行為を把握しても、彼は勢いに負けて観衆に明らかにすることが出来なかった男です。しかも、後からそれを気に病む小心者でした。
大それた事が可能な人物とは思えません。
「枢機卿ヨゼフ・カザリン・デホーナー。数ヵ月前よりマイア様より直接授かった叡知と称して、数々の奇跡を起こしております。やがて、学者連は彼を支持し、また、暗部も彼に興味を持ち始めました」
ヨゼフのその行為は紛い物ではないかもしれません。マイア様の所へ彼を連れていったら、マイアさんは精神魔法で自身の記憶を彼に植え付けたのです。
「今は民衆の支持も集め、聖女の威信が下がっております。私はそれを戻したく存じます」
「その男を排除するだけで聖女の威信は戻るのですか?」
「……戻したいと思っております」
ショーメ先生は戻らない事を承知しての返事ですね。しかし、クリスラさんもショーメ先生の言葉を助けるべく付け加えます。
「フェリスだけではなく、私の願いでもあります。イルゼの頑張りを認めてやらなければなりません。歴々の聖女に負けまいと重みに逆らう彼女を助けてやるのです」
はいはい。私にはどうでも良いことです。イルゼさんもマイアさんに転移の腕輪を扱う為に適した体だと誉められて自信を取り戻していましたし。
あれ? クリスラさん、それを知らないのかな。
私がクリスラさんにデュランを発った日を訊こうとしたのですが、先にサルヴァが言葉を発しました。
「聖女イルゼ、俺もヤツを知っているが、普通の貴族出身の女としか思えなかった。危険を冒してまで救う必要が有るのか?」
「聖女が存在する。それだけでデュランの民心は救われてきたのです。それは数百年の長きに渡り、生活や風習の中に組み込まれています。徐々に聖女の在り方を変えていくのは致し方ないにしろ、ヨゼフ一派のやり方は性急過ぎるでしょう」
クリスラさんは過激な外見になっていますが、喋り方は理路整然とした以前のままで安心しますね。
「ふむ。ところで、巫女よ。そこの女は何者だ? デンジャラスなる奇妙な名前は分かったが」
あれ? 自己紹介、まだでしたか?
「前の前の聖女のクリスラさんです」
「「なっ!?」」
サルヴァだけでなくタフトさんも驚きました。
「聖女と言うのはもっと清楚な感じではないのですか……」
「確かに顔付きと声は女であるが……」
「現役時代は立派にお務めを果たしておられました」
ショーメ先生がフォローを入れましたが、二人とも信じられないと言う顔です。
何せ第一印象がデンジャラスですからね。無理もないです。
「メリナ様は先代の聖女です」
「何っ!?」
驚き過ぎですよ、タフトさん。私の高貴さの所以が分かりましたかね。
「巫女は聖女でもあったか。俺はトンでもないヤツの弟子になってしまったな」
「お前が弟子なんて一度も認めてないですよ」
ここでショーメ先生が掌をこちらに向けてきました。声を抑えなさいという合図です。
私にも感知出来ていました。二人組が周辺にいます。ただ、真っ直ぐこちらに向かう感じでなく、フラフラと迷いながら進んでいるように思えます。近くの村人かな。
クリスラさんが拳に金属製の武具を填めます。それを見て、サルヴァがショーメ先生の制止を無視して尋ねてきました。
「……巫女よ、デンジャラスも拳で闘うのか? 強いのか?」
「強いですよ。魔法も体術も優れています」
「巫女が認めるならそうなのであろうな。ふむ、世界は広い。剣王が異国に渡るに至った思いも分かるぞ」
諸国連邦の人は魔力が弱いですからねぇ。その中で剣王は頭一つ抜けていましたが、武を磨くには物足りない地域だと思います。
草を掻き分ける音が聞こえ始めます。
タフトさんも腰の剣に手を掛けます。
「止まりなさい。私は第5序列、善界のフェリスです。怪しいものでは御座いません」
謎の序列を出した段階で怪しさ爆発ですよ。森の中でそんな事を言われたら、私は身構えますね。
しかも善界って。先生は自分とは対極の物だと疑問を持たないのでしょうか。
しかし、そんな言葉で彼らの歩みは止まりませんでした。惑いながらもこちらへと着実に寄っています。
「……クリスラ様」
「デンジャラスです。フェリスの言葉で動きを変えませんでした。聞こえていないとも思えません。敵でしょう。私に任せなさい」
「承知いたしました」
その後は早かったです。
クリスラさんは立ち上り、音もなく素早く駆けます。
私は座ったまま魔力感知で様子を伺っていましたが、あっという間に一人を吹き飛ばして制し、もう一人の方は馬乗りになって殴り続けています。
殴打音が木々のざわめきの間に混ざって響きます。相手の悲鳴などは聞こえませんから奇襲成功でしょうが、クリスラさんも無言で叩き続けているのが怖いです。容赦御座いませんね。
「……み、巫女よ。ブラナン王国はここまで敵に対して苛烈なのか……。命乞いさえも許さないとは……」
「女王からしてアレですからね。お前も剣王が無惨に一方的に射貫かれたのを見たでしょ?」
「恐ろしい国だ。俺の血にもあの蛮勇が流れているのか……」
サルヴァよ、お前、私と出会う前は気持ち悪い方向で蛮勇を見せていましたよ。もう一々言わないですが。
さて、ショーメ先生が止めないので私も放置ですが、あんなゴツゴツした武器で武装した拳で何回も殴られたら一般人は死にますね。
口の中に魔法で出した水を飲みながら、私は、この猟奇殺人事件が発覚したときの言い訳を考え始めました。




