デュランへ出発
クリスラさんはガツンガツンと拳を打ち鳴らすのを止めてから、不思議そうに言います。
「おかしいですね。呼んでいるのにフェリスが来ません」
クリスラさんの謎の行動が威嚇ではなくて、呼び鈴代わりだったことに驚きを隠せない私でしたが、これ幸いです。
「ちょっと呼んできますね。お待ちください」
素早く私は部屋を出ました。
そして、ショーメ先生とレジス教官がいる別の部屋と突撃です。魔力感知、便利です。ノックもせずにガバッと開けました。
「おいおい、メリナ。行儀が悪いぞ。俺とショーメ先生で何かの最中だったら、どうするつもりだったんだ? ですよね、ショーメ先生」
「うふふ」
バカの言葉は無視です。何かの最中が性的な話だとしても、それは罠の深みに入っていっているだけなので哀れにしか思いませんし。
「クリスラさんがショーメ先生をお呼びでしたよ」
「そうですか。ありがとうございます、メリナさん。……大丈夫でしたか?」
聞けば、クリスラさんが来たのもつい先ほどだったので、先に対応していたショーメ先生も事情を把握されていなかったそうです。
それが故に、まずは偵察のために私を使ったのです。相変わらず良い根性してますね、ショーメ先生。
でも、絶対にショーメ先生もクリスラさんにデュラン解放の協力を求められるはずです。だからこそ、クリスラさんはショーメ先生のお屋敷に来たのです。
先生はそこそこの戦力になりますし、デュランの暗部にも詳しいし、クリスラさんとの仲も長いですし。
この件については、二人きりになったら伝えましょう。
次に私はレジス教官にお願いします。
「先生、明日から3日ほど学校を休ませてください。王国のデュランに用事が出来ましたので」
「デュランですか?」
ショーメ先生が反芻したのに、レジス教官は私を真剣に見ながら言います。
「メリナ、お前は学校を何だと思っているんだ? 真摯に授業を受けて日々のたゆまぬ努力の価値を知り、規律の厳しい集団生活から団結の大切さと達成感を心に刻み、他の生徒たちと交流して生涯の想い出を作る。そうして、立派な貴族として成長するための場所だぞ。お前は1つでも学んだと言えるのか? 俺はそうは思わない。お前は籍を置いているだけで、学んでいない。お前が学院を休む事を止めはしないが、俺はお前を落第させるしかなくなるな。その甘えた考えを直せ」
うわぁ……。
酷い言い掛りなのに、何故か耳が激痛ですよ。
私が昔のサルヴァの様なクズだと仰るつもりですかね。侮辱です。レジス教官のクセに生意気です。私は教師として同僚になる存在であることをお忘れなのでしょうか。
「レジスさん。メリナさんは立派に成長されていますよ。ほら、灯台もと暗しと言うか、レジスさん自身はお気付きになっていないのかもしれませんが、レジスさんの教えが優れていますからね」
「そうですね! メリナは自慢の生徒ですから! いやー、僕の教えが彼女の知性に影響を及ぼしていたなんて、流石ショーメ先生です。よく看破されましたね。……メリナ、出席簿は任せろ。俺が適当に上手くやってやる」
はい。簡単に解決です。
レジス教官を翻意させたショーメ先生を後で誉めて差し上げましょう。金貨4枚くらいで宜しいですかね。
「では、レジスさん、大変に名残惜しいのですが、これからは女子3人で女子会なんです。また学校でお会い致しましょう」
「えっ。そうですか? ならば、何なら今だけでも気持ちだけでも女性になっても――」
「そういうのは趣味では御座いません」
毅然としていますね。
さて、キリの良いところで、ショーメ先生が有無を言わさずにレジス教官を外に追いやりました。先生のお里であるデュランが絡んでいるので動きが早くなったのかもしれません。
ショーメ先生の着替えを待ってから、私達3人は街へ出ました。
クリスラさんは目立つ異様な格好ですので、見廻りの兵隊さんなんかはジロリとこちらを観察したりしてきます。
でも、遅れて歩く私に気付くと彼らは離れていきまして、クリスラさんが連行されないのは常識人の私がいるからだと強く思いました。全く……感謝して頂きたいものですね。
「フェリス、世話になります」
「いえ。お気遣いは必要御座いません。クリスラ様と再び仕事が出来る事は幸せです」
ショーメ先生、私にデンジャラスとの会話を押し付けたクセに、今更の言葉ですね。
しかし、ショーメ先生はデュランに居た頃と同じメイド服に着替えていました。先程の言葉の通り、クリスラさんに仕えていた当時の気持ちになっているのかもしれません。
「敬称はおよしなさい。もう私は貴女が仕える者ではないのですよ」
「いいえ。これは私の癖ですのでクリスラ様とお呼びさせて下さい」
「なりません。せめてデンジャラス様と呼びなさい」
「…………お戯れを……」
「本気ですよ」
「……それを戯れていると表現しているのですよ。クリスラ様」
頑張りましたね、ショーメ先生。驚きが顔に一瞬しか出ていませんでしたよ。スパイ活動の熟練者だけはあります。
鶏冠みたいな髪形で鎖をジャラジャラしているおばさんと、その横を闊歩するメイドさんの組み合わせはやはり極めて異質です。傍目から見ると変質者ペアに見えているに違いありません。ショーメ先生はショーメ先生で、頭にはあの白いパンツみたいなヒラヒラが装備されていますし。
と言うことで、私は気持ち離れて追っています。一緒に横並びになるのは恥ずかしいのです。
どこに向かっているのかは分かりません。ショーメ先生が案内している様子ですね。
「メリナ殿」
前からカッポカッポと馬がやって来ると思ったら、タフトさんでした。ショーメ先生に軽く頭を下げてから、私に向き直し馬から降りました。
「怪しげな者を連れて、何をしているのですか?」
怪しげな者とはクリスラさんの事でしょう。私の代わりにショーメ先生が答えます。
「解放戦線として働こうと思っておりまして」
「どういう事ですか? それと、こっちの下品な者は誰ですか?」
タフトさんは元聖女のクリスラさんを知らなかったのでしょう。ナチュラルに下品とか言ってしまいました。
ショーメ先生が笑顔の中に殺意を隠したことを私は見落としません。それをクリスラさんも察したのでしょう。二人の間に入って、タフトさんに自己紹介します。
「デンジャラスです。以後、お見知りおきを」
「デ、デンジャラス? 変わった名前だが、異国の単語と重なっているようですね。改名された方が宜しいのでは? あっ、私はタフト・ザッフルです。宜しくお願い致します」
素直な良い模範解答を聞かせて頂けました。多少の引っ掛かりは有っても、気にせずに流してしまえば良いのですね。私もこの先に変な名前の人と会えば使わせて頂きましょう。
「タフトさんこそ、何をしに来たのですか?」
「兵より連絡があったのです。街を練り歩く怪しい者がいた。取り押さえようと考えたが、背後にメリナ殿が居るために恐ろしい。そこで、私が何事か確認するために派遣されました」
「私に直接聞けば良いじゃないですか、その兵隊さん達」
「……我が軍の中でもメリナ殿は有名でして。言葉を交わすのも体が震えて出来ないと言うのです」
もしかして、私の高貴さのせいですか。いやー、照れてしまいます。滲み出るノーブルオーラが一般の兵士の方では畏れ多くなってしまったのですね。
「なるほど。それは無理もないことでしたね。うふふ」
いやー、こんな言葉で返しましたが、私程度が尊敬の眼差しで見られることは恥ずかしいですね。
「ショーメ殿がいるならば問題御座いませんね。そちらのデンジャラスもショーメ殿の手の者ですか?」
「事情は後々伝えますので、タフトさんも一緒に来て頂けますか?」
「うーん、本日は忙しいのですがね。しかし、分かりました。ショーメ殿は我が国の協力者ですから。貴女のために、このタフト、一肌脱ぎましょう」
はい。デュラン侵攻部隊に一名追加です。
タフトさんは馬を遠くに控えていた兵隊さんに託して、私達と歩き始めます。
「アバビア公国の公館ですか?」
タフトさんがショーメ先生に尋ねた結果です。
「はい。デュラン近くへ飛ぶ転移魔法陣が御座います」
「えっ? デュランに行くのですか? それはまずいですよ。関所を通らないなんて、貴族であっても重く罰せられます。……ん? アバビアは何故そんな危険な真似を……」
それに対してクリスラさんも反応します。
「諸国連邦の方を捲き込む形は私も望みません。フェリス、この方は同行させないようにしなさい」
「クリスラ様、良いでは――」
「2度目ですよ。私を呼びたいのであれば、デンジャラスの二つ名の方を使いなさい」
拘りますねぇ。クリスラさん的には何かの筋を通しているのでしょうか。
「……デンジャラス様、私には策があります。どうかお許しください」
ショーメ先生はクリスラさんに頭を深く下げました。私に対しては飄々とした態度なのに、この格差は少しだけ釈然としませんね。
「タフトさんでしたか? 本当に宜しいのですか? ショーメは少々、独善的な所が有りますので、後々にご迷惑になるかもしれません」
「あはは。私もショーメ殿の話に驚きましたが、メリナ殿がいるのです。何かあってもメリナ殿が起こす行動が上書きしてくれると期待しています。やはり私も行きます」
「……メリナさんですか」
呟いた後に、クリスラさんは気持ち良く微笑んで頷きました。納得されたみたいです。でも、私は疑問です。
「タフトさん、それ、どういう意味ですか? 私がいるから大船に乗っている気分だと仰っているのですか?」
「そんな感じです」
うふふ。やはり頼りにされています。出来る女に成長していますね、私。
本音かお世辞か分かりませんが、彼には屋台で買った肉の串焼きを差し上げました。受け取りを渋りましたが、ちゃんと口に入れましたね。良かったです。
存外に美味しそうでしたので、私は他の方の分も買いまして、皆で食べ歩きです。大変に楽しいです。
「おぉ、巫女よ! 奇遇であるな!」
その陽気な雰囲気の中、偶然にサルヴァにも遭遇しまして、勝手に付いてきてしまいます。ショーメ先生が断らなかったのです。タフトさんも嫌な顔をしません。
私も出会った当初の嫌悪感がだいぶ無くなっておりまして、彼との行動に反対しませんでした。
こうして、私達は5人に増えてアバビア公国の公館に入って行きました。公館でお勤めの方々がクリスラさんを警戒する目で見ていましたが、タフトさんという近衛騎士が居るので誰にも引き留められませんでした。




